のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

JR東日本150周年パスを使って半年振りの東北旅行に行った話

旅行割りは使えない状態での旅行でしたが行ってきました。周りの人たちが旅行割り使ってんだろなーと思うと悲しくなった。それでも楽しく旅行してきましたという話です。

150周年記念パスの話を見てから絶対旅行するぞ!と思ってワクワクしていたのですが、旅行割りが被ったせいで割と番狂わせになってしまったのでちょっと悲しかった。ホテルとかレンタカーとか思った所が取れなくってしんどかった。でも結果的に悪い結果にはなってないのでよかったです。

1日目は目がしょぼしょぼしながら青森へ。Kindle Unlimitedを契約したので普段読まない本を読んだりして過ごした。
全席指定の新幹線を立ち乗りで行った。あんまりよく分かってなかった故にそういう乗り方になってしまった。悪い乗り方だなということで始めての経験すぎて胃が痛くなり、手が冷たくなり、足が棒になった、悪事は行えないタイプの人だな…犯罪を起こさないように、犯罪に巻き込まれないようにしないとだな…という気持ちになった。新幹線の方ありがとうございました。仕事上で「そう案内しなければならない」ことって結構あるから「そういうこと」なんだろうなと思いました。

東北で育った人なら誰でも知ってる(言い過ぎ)柱を見に行く感じのことをした。一食目には寿司を食い、しじみ汁の美味しさに感動した。あすかという店に行ったのだが、絵画が飾られていて、ウクライナ難民を受け入れて寿司職人にしますと書いていたりして、社長か社員か、いい会社だなあと感動した、地場のものって美味しいね。文化はだ大事。のどぐろと海峡サーモン最高でした。また青森行くことがあったら行こうと思う。

三内丸山遺跡はガイドさんがめちゃ親切で聞いてて楽しかった。佐藤さんという女性の方だった。話を聞いて否が応でも映画ゆるキャン△を思い出したりした。二食目はラーメンを食べる予定だったが胃が不調なので断念し、飲み屋さんで料理を食べた。せんべい汁初めて食べたけど美味しかった。ほたてうまい、ほたて最高。接客良し料理最高だった。いい店だー!!!!ってなりながら嬉しく帰った。街を歩いていたらジャズイベントの音が聞こえてきて、古着が沢山ある通りがあって、商店街の中にも人間が生きていた。そりゃあ東京とは比べものにならないけれど。そういう話でもない。

ホテルはボロかったけど接客が優しすぎて泣いた。旅行割つかえなくて悲しんでたら慰めてくれた。良すぎたのでGoogleレビュー書く。



2日目は弘前へ。その前に朝ラーをした。長尾中華そば最高、大昔に池袋に出店してた時代があって、その時食べに行ったぶりだったのだがやっぱり美味しかった。

弘前はアップルパイ天国と聞いて、アップルパイは大好きなのでウキウキしてた。ついてから循環バスに乗って弘前城へ。雰囲気あるなあという感じで楽しかった。
スタバのアップルパイめちゃおいしかった。ジェラートやさんのジェラートも美味しかった。ジェラートって美味しいんだな、今度美味しい店いこうとおもった。
他の店のアップルパイもお持ち帰りで東京まで買って帰ってるので楽しみです。駅にロッカー少なすぎて発狂し掛けた。もっとでかいロッカー沢山あると嬉しいなとおもった。他にも困ってる人沢山いたのでもうちょいあってもいいんじゃねえかなあみたいなことを部外者なので思いました。言うだけただのやつ。

庭園綺麗でカレー美味しくて楽しかった。ゴールデンカムイはいからさんが通るの世界だった。大正時代って素敵ね。いつか我々の暮らす時代も「素敵ね」と思われる日が来るのだろうか。そうだといいね。

鳩笛を買って吹いて遊んだ。街並みが穏やかですごく良かったです。城下町って独特の雰囲気あっていいわよね。公園も紅葉してて綺麗だった。東北の冬はもうすぐそこまで迫っているんだなあということを感じた。
弘前観光後、秋田まで移動して念願の比内地鶏食べ放題(自主的)をやったら腹を猛烈に下した。脂が強くて連日連日食べ過ぎが祟って腸が悲鳴を上げていた。でも美味しかったので後悔は無い。比内地鶏最高。秋田県美味しいもの多すぎる。秋田食い倒れの旅をすべきである。というか観光らしき観光してない。なまはげは男しかやれなかったという話らしいが、マチヅモなのか、それとも妻の居ないエネルギーの有り余る男に発散の場を与えるためだったのか。わからんけど、そういう事を考えるのは楽しい事だ。秋田は仙台みたいだった(東北に遊びにきた人にしか伝わりにくいジョーク

弘前〜秋田は特急に乗ったのだが、特急だけど割とそんなに早くなかったのが面白かった。
青森観光したい所めっちゃあったし食べたいものまだまだ沢山合ったのでまた行かなくちゃならん。


三日目は食べ過ぎによる体調へのダメージにより、ヨレヨレになりながら起きた。朝ご飯は野菜とタンパク質を若干食べたが、しんどすぎて昼飯を抜いた。今回の旅の本丸、お友達と会ってお話をたくさんした。スの話とか同人の話とか個人的な話とか色々してた。私はとても楽しかった、もっと話したかった、他にももう何年も会えてない友達が沢山いる。コロナ早く落ち着いてほしいなあ…という何千何万と言われてるセリフをそっくりそのまま感じてしまった。
お友達とはお話が弾みクソ寒い中すげー長く公園で喋ってしまった。井戸端会議ってこんな感じなのだと思う。体を冷やすことは良くないことだ、公園大好きだけど反省した。夜までずっとぐあいをわるくしてしまった。秋冬は気をつけよう。秋田犬のななちゃん可愛かった。友達とギリギリまで遊んでもらえて楽しかった。こまちに揺られて盛岡へ、特急券無かったけど盛岡までは乗ってもいいよ公式アナウンスが出て助かった。危なかった。みんなの人生も3年分進んでるんだよなという事を思った。こんなにコロナに対して嫌な気持ちになったのは、人に会う機会を得たからこそなんだろうなという事を思った。なんだか悔しさみたいなものかじわじわと湧いてきた。推しカプのある生活、久しくやってない。

お友達に会うと滅茶苦茶元気出る。即売会って楽しいよね…みたいな事を思いつつ、私は一生こうやって生きていたいので、戦争のない、平和な世の中で、疫病の無い世の中で、病気にもならず、円安が進みすぎずに適当に楽しく生きられる世界にいてほしいと心底思った。仕事が不安定だとか、ゆっくり休めるとか、旅に出れるとか、そういう精神の充実のある世界にいたい。人は生きてるだけで生きてる訳ではない。そういう生き方ができる人も居ると思うけど。

個人的なことは政治的なことだなあという事を思った。人生は楽しいことばかりじゃない。だからたのしいことが反復できるようにならねばなあということを思うのだ。一人一人がかんがえて生きれば、多分丁度いい感じになると思う。思いたい。

こんなに政治が激ヤバカルトに囚われて、円安進んでしまって生活が苦しくなりはじめているのだから、我慢しなくていいんだよなという事を思う。みんなの人生が幸せであればいいなと思う。そして幸せの結果で私と遊んでくれ(強欲)。


しみじみ、色んなお友達に会いたくなった(毎週のように誰かしらには合ってるけどもそれでも好きな人には毎日会いたい)。



そして、今回同行した人と一緒に喋っていたんだけど私はほとんど空中に浮いてるらしい。

これは私の認知の歪みなのですが、私は人からあんまり誘われないから、友達が少ないんだな〜と思っているんですけども。どうやらそもそも世の中の人間は「他人と遊ぼう」として声を掛ける事がそこまで多くはないらしい、という事らしい。わかんないけど。最近はコロナもあるし一概にどうとは言えないけれど。

私は7〜8割くらい自分から声掛けて友達に遊んでもらってるタイプなのだが(ここ数年は特定の友人からは声をかけてもらえるようになったけども)、逆に「私は別に好かれてないから自分から声掛けるの厭わないどーせ嫌なら断ってくれるよね」という認知の歪みが、逆に人に声掛けまくるバーサーカーとして生きていくエネルギーになっているのかもしれないという話をした。
でもね、休日の貴重な時間を使ってわざわざ私と合ってくれている時点でそれはもうそういうことなんだよなあ、ということも思えるようになった。自己卑下でもなく、自惚れでもなく、ただあるがままを受け入れられるようになりてえな。
行動認知ナントカっていうのが私には向いてたりするんじゃないだろうか。

別れを惜しみながら、再開を願いながら、新幹線に乗った。こまちさん。
同行者と合流し、盛岡で冷麺と焼肉を食べた。ゴールデンウイークの亡霊が除霊された。くたびれ果てて新幹線の終電へ。寝たり起きたりしながら家に着いた。東京に着くと安心する。

疲れ果てて即寝た。

今回の旅の総括
「不安症なので、不安にならないように備えること(新幹線の乗り方とか)」
「旅行を100楽しむために、筋力をつけたほうがいいと思う」
「ガイドブックが電子だと滅茶苦茶楽」
「荷物軽くする努力して偉かった、でも洋服はもう少し軽めのにしよう」

危機的状況に放り込まれるとその人のポテンシャルが発揮させられざるを得ない。だからこそ旅は自分探しになるのかもしれん。でもそんな事で自分を試したくない。

いい旅だった。楽しかった。