のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

イカゲームとオッドタクシーを見たという話 ネタバレしかない グリーンブックの話も少し

イカゲームとオッドタクシーを観ました。
どちらもネタバレ満載で書きます。


まずはイカゲーム。
ネトフリ契約してる人がいたのでその人に相乗りさせてもらった。
日本のよくあるデスゲームと何が違うんだろうと考える。

全員等しく死ぬ。
若い女性が愛玩のお人形として出てこない所、
女も殺す側であること、
女も主役であること、
女だからと笑わないこと、
辺りだろうか。

見ていてモヤモヤする描写はそんなに無かったと思う。クソ男とクソ女には大層腹が立ったけれど、同様に等しく「性別を振りかざすタイプのクソ人間」として書かれていた、どっちもクソ人間という事が大事なのだ。
ただ、性別に乗っかるクソ女のクソっぷりがパワハラ女の事を思い出させてたまに動悸がした。

結局、気にならないという事は、それだけ気を遣って作られている作品だという話だ。韓国のエンタメはすごいんだよな…。

日本の作品って予告の時点で辟易してしまって見ない事が多いのだけど、良い作品もあるのだろうとは思うが。

日本のデスゲームだとバトルロワイヤルとか悪の教典とかになるのかな。
(真っ先に名前が出てきたのはカイジだけど。カイジは実写のオリキャラの女is誰?って感じだった気がする)

どっちも本は読んだけど、映画は悪の経典しかみてないな。映画の悪の教典は血飛沫!!!!って感じで余り好みでは無かった。貴志祐介作品のどんどん追い詰められてページを捲る手が止まらないあの感覚。

人生に疲れたので読もうかしらね。人権のこと考えるとこの世からドロップアウトした方がマシだと思える。尊厳のある死とはなんだろう。



オッドタクシーもみた。
一話のオープニングの時点で「猫と鳥は存在してるんだな」という話をしながら見ていたし、自分らのことを「人類」と称していたので、これはそう言う表現なのかな。という話をみながら鑑賞していたので、ズバリ真相であった。
まあ、元々伏線がすごい作品と言われていると色々深読みはしてしまうよな。概ね面白かったけど、別に映画は観なくていいかなと思った。
一番面白かったのは小戸川さんは「自分が本当に猫に見えているものが動物なのか人間なのかが分からない」

後、作品の端々からオジサンの匂いがした。

男なら稼ぎたいと思うとか、
婚活サイトに登録している18歳と結婚しようとする41歳の年収を虚偽をするオジサン(しかも女慣れしてないという描写で、オジサンを周りで笑うの女性ばっかだったし女は陰険と言う描かれ方だなーと思った)
41歳のオジサンが28歳の美人のアルパカに好かれるだとか、
「まだ女はダメか!!」とか突然アルパカの事を属性で呼び出す剛力先生とか(あれはアルパカの事が気になってるからで良いはずなのに突然女全てに言及するのは製作者を感じる)、
女は美人局やらで主要な所に噛んでこない所とか、
パワハラまがいの漫才の猪のおっさんが言葉も尽くさず突然お前やないとダメなんやと泣き落とし始める所とか。

人間のダメさみたいなのを書きたかったのだろうが、(承認欲求の塊で己のしたいことも分からないくせに苦しみだけは一丁前に語るカバとかね。そういえば癇癪を起こして女に当たり散らかしてたけど女は人気のYouTuberと寝るだけでその後は出てきては無いね)作品を作る人間たちにとっての「人間」は「男」なんだろうなと思った。

いやいやミステリーキッスいたじゃんって話ですけど、重要なピースではあったとは思うがしかし、あくまでもピースの域を出ない。お風呂のシーンも唐揚げのシーンも省略されてたのに突然出てくるし。(書かれない美しさもあるからそういう了解なのかもしれない。でも端折ったんかなと私には思わせられた)

アルパカは途中までよかったのに突然小戸川氏が「アルパカの事を許してやってくれ」という立ち回りになったことで庇護される対象としての存在が膨らんでいった事残念に思う。

「男」として生きてれば良さがわかるんかな。私には意味不明だった。ホモソボーイズクラブによくあるデカい主語とか雑な扱いとかで仲良くなろうとする奴なのでは?と思ってしまった(私はそういうコミュニケーションで人と仲良くなる事はしないし出来ないししたくないので想像の域を出ない)

女は小戸川母以外は概ね美人に描かれていて、作画コスト割かれないんだねー(しろばこで手に入れた新たな観点)と思った。

カバの所めちゃ良かった。
あの「一切人の話が入ってこないタイプの人間」の書き方が秀逸だった。態度だけの人いるよね。「セミナーじゃねえんだよ」的な言葉はなるほどなあと思った。自分という人間を認識する努力を怠っているから他人も同じように認識しない。とにかく何をしたいのかが分からない人間と喋る時が一番疲れる。自分と違う意見であろうが、意見を「持っている」人間のが好きである。何のポリシーもなく「なんとなく」差別する人間達に絶望している。樺沢は分かりやすい「悪」を見つけてそれを利用したけれど、彼は自分の心を手に入れられていないと思った。 


まあ全部個人の感想なんで誰かの好きを否定してる訳ではないのでこういう視点もあるなーと思って貰えれば。
クソでかい主語でいうなら「本邦のエンタメはあんまり肌に合わねえな」という気持ちです。
なんていうか「男だけが人間として生きている、女の人生は添え物、男がいないと全てがどうしようもない」みたいなの多くない?
前に観劇した話で「人間のダメさを書こうとして男女差別の構文で女を人間扱いしてなかった」というのがあってその時は劇団に「ひでえ脚本だったすね」と感想を送ったことがあったのを思い出した。

現実問題、女の人生は創作物の世界ですらそのように扱われる。
現実を生きている女達を蔑ろにしながら。


好きじゃないものにこそ自分の考えが表れるなと感想を書きながら思った。多分期待がデカかったから余計にモヤッとしたんだと思う。



グリーンブックをみてから一週間くらい経った。
辛さがだいぶ消化された。
結果、
心の中に「勇気」という言葉が残った。
勇気を持ちたいと思った。