のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

マチズモを削り取れ を読んでびっくりしたこと

感想というか、自分の今まで歩んできたあれこれを交えながらの感想を書きます。

読み進めるのめっっっっちゃしんどかった…。ツイッターにも書いたが「男様でござい」と男を振り回す人間がこれでもかというくらい沢山出てくるのだ。
読みながらゲンナリ&怒りが沸々としてきてうんざりした。

本書は社会のそこかしこに潜む、「男性優位社会」についてを書いている本だ。わかりやすく「ぶつかり男」や、分かり難く潜んだ「女を会話に参加させない」仕草まで、とにかく色々書いてある。多種多様なマチズモ。こんなに有害な男らしさを社会が後押ししてるんか・・・と絶望してしまう。男友達に読んで欲しい本だった。まずは「存在している」ということを認識しなければ、差別が何であるかという気づきも生まれないのだと思う。

この本を買ったきっかけは、好きな本屋が一番目立つ所に平積みにしていたのと、武田鉄砂さんは良くツイッターでお見かけするので読んでみようと思って読んだ。cakesの連載もたまに読んでいる(cakesは牧村朝子さんの連載もあるし、良心のある人がいるんだろうなということは分かるのだが今の所擁護できないですが)。

一体いつになったら、私たち(女たち)は楽になるのか。

本当にしみじみそれに尽きる。
この本には集英社のkさんという人間が登場する。もうめちゃくちゃ共感しかない。男性優位社会に絶望し、悲しみ、怒りを感じている文章の上手な方だ。Kさんのファンになってしまった。

Kさんは30になって金髪にしたらしい。新卒の頃の事を思い出し、反骨精神剥き出しにしている。ハーフアップ、黒髪、スカート、などなど…就活の頃が人生で一番辛かった。あの頃を思い出した。私はちなみに絶対履きたくなかった(足を閉じてられないタイプなのと足が長いので閉じても下げないといけないのでスカート就活向いてない)ので履かなかった。女性嫌悪もあったと思う(当時はミソジニー剥き出し人間だったので)
私は黒髪だが、髪の毛が隠れる所サイドはバリカンで刈り込んでいる。会社の人たちも気がついてるけどあんまり突っ込んでこない。

コロナ禍になってよかった事がある。それは、飲み会が無くなった事だ。私はお酒が一滴も飲めない。二口飲んだら酔っ払って吐いてしまう。
飲み会が嫌いすぎて、毎回飲み会開催前には胃が痛くなっていた。それくらい嫌いなのだ。
弊社はとにかく体育会系である。この本にも体育会系の会社の話「密室に他人が入り込む」にもあったが、長時間労働で家庭を顧みない人がたくさんいる。すぐに男は女はって言い出すあわよくば社内の女を抱いて自慢したい剥き出しの人とか多すぎる。これはもう私個人的な感情だが、社内結婚多すぎるのも嫌だ。
興味のない人間の話を聞いてなんになる?金払うから帰らせてくれ、うまくもない料理、快適でも無い空間、トイレに行って戻ってくると席がない、他の場所に移動しようにも偉い人の前しか空いてない、人の声で爆発寸前の空間、全員中身のない話を大袈裟に笑い合う、猥談にまざれて一人前、すごーい!って大袈裟に驚いて一人前、そういうのができないやつはダメなやつ、そういう烙印を押される。そういう世界が弊社にはたくさんある。飲み会のたびに律儀に傷ついていた。女の先輩から「偉い人のグラスが空になりそうだったら店の人呼ぶんだよ」とか「偉い人から渡すんだよ」とか、そういうことを教わった、新卒の頃の話である。
私は後輩たち(直属の部下はいないのだが合同飲み会がある時)には「取り分けるとか、ドリンクとか、やらなくていいからね、んなもん飲みたい人、食べたい人が自主的にやればいいんだから」と教えた。

本書を読んで「男性優位社会でもありつつ、長いものに巻かれ、同調圧力に屈しなければ、社会の一員として社会という長いものから認められない」という事を知った。私は、本書に書いてある様な日本社会全体にあるめんどくさいお作法みたいなものを、意識せずに昔から避けていたんだなということに気がついた。

私は中学生のころ運動部に入っていた。本当は吹奏楽部に入りたかったのだが、親に「絶対に運動部にしろ」と言われたので渋々入ったのだ(これもまた体育会系という実績を得るためだったのだろうと思う)。そして最初は真面目にやっていたが、度重なる先輩たちからの理不尽、克己心の押し付け、部活とはこういうものだというお作法を押し付けられ、何もかもが嫌になって同級生と部活を逃げ出し、幽霊部員になった。大会だけはお手伝い要員として参加してたのが偉いと思う。
部活の人が部活している時に昇降口で会うのは気まずかったけど、やりたくないのだからしょうがない。陰口を叩かれていたのも知っていた。私は先輩という生き物が大嫌いになった。部活が強制だったのも良くなかったと思う。

高校になって文化部にはいってから、先輩たちは優しかった。私は嬉しかった、入ってきてくれた後輩たちにめちゃくちゃ優しくした。
よく部活中に喋っていたら、同級生からの「真面目にやれ」という同調圧力が降ってきた。やるべきことをやってからお喋りしていたので、まじで意味がわからなくて、また部活をぽつぽつサボる様になった。でも部活は好きだった。とにかく全員がてっぺんを目指している訳ではない。私は昔から「楽しくやりたい」という人間だった。時間をかければ、それなりに出来る様になるという特性があるのにも気がついた。やるべきことをやっているのに、なぜ非難されなければならないのか。これは「その行為をしている/そこにいる」ということがこの社会では「是」とされているからなのだという事を本書を読んで知った。

就職してから体調やメンタル、生理痛などでよく休む様になった。勿論、有給があるので有給を使って休んでいる。自分の仕事は他人に任せないし、やるべきことはやっている。だけど、白い目で見られている。それが原因の一端となって、パワハラまでされる様になった。
とにかく「そこにいる」という行為が、この社会においては重要なことなのだ。そこにいることで忠誠心を測られているのだと、そういう事を感じた。ただひたすらに気持ち悪い。私の価値観には合わない。好きな人間としか長い時間を一緒に過ごしたいと思えない。
こんなものが社会に蔓延しているのであれば、そりゃあ社会と反りが合わないわけだ。私は一切合わせる気がない。

マチズモを削り取るために私が意識してやっていること
・通行帯を守らずに突進してくる男には絶対道を譲らない(肩がお互いに弾けそうになるくらいぶつかる)
・「旦那さん」「奥さん」と呼ばない(連れ合いの方とか、配偶者とか、下の名前とかで呼んでる)
・笑って同調しない
・電車で股をおっ広げて座る男(99%男)と、肩を広げて座ってる男がいたら絶対に譲らない(お互いに触れ合い続けて不快になる)
・失礼には失礼で返す(タメ口聞かれたらタメ口で返す)
・それ一歩間違うとハラスメントですよ〜っていう

こんな感じである。
というか、同調圧力や「自分が偉い」と思い込んでいる人間達の振る舞い所作全てを忌み嫌っている。

最近気がついたのだが「男」と意識していなくても「女」をナチュラルボーン見下ししてくる人ってありふれてると思う。弊社の人だが、狭い通路を通る時に譲り合うことがある。大体譲り合う時には「先に歩き出している方に譲る」というシステムになっている。だが、その人は女が通る時には絶対に譲らないのだ。別に差別の意図があってやってる訳でないのは見ていればわかる。でも「女は譲るだろう」という感じで歩き出すのだ。だから私はその人が来た時には絶対に譲らず、狭い道を二人ですみませんと言いながらすれ違う様にしている。彼は「ホモ」とか「奥さん」「旦那さん」「俺甘いもの大好きだから女子ってよく言われるんだよね」とか、そういうことを平気で話してる、じゃあしょっぱいものが好きなら男子なんですか?人間の味覚に男性と女性って関係あるんですか?と思っている。世の中そういうものだ。にしても、弊社はまじでホモソなので辛い。女の偉い人がほとんどいない。しんどい。業界的にもしょうがないのだろうが。

世の中に馴染めないのは、世の中が私の物差しでは測れない大いなるホモソーシャル同調圧力に満ちているからなのだなと、そういうことを本書を読んでしみじみ知った。世の中には不思議がいっぱいだね、ハム太郎。マチズモに辟易している人間達一生懸命削り取ろうぜって思った。