のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く

2022年の目標とグリーンブックの感想。

結局この話途中で終わってたので、続きの話を書きます。

去年の目標は「つみたてニーサを始める」だったので、無事に達成できたので良かったと思う。

DCも満額やれてるし、今度弊社iDeCoも出来る様になるとかいう噂もあるので節税頑張りたいですね。老後資金ーーーー。老後資金なーーー。
ちなみにDCも黒字ではありますが下がり幅が激しい。一喜一憂してもしゃーないね。

本格的に節税するなら家を買えという話もあるが色々あって家は選択肢として今の所買えない。
そこに関してはどーしようもない。
社会がマシになるまで健康寿命を伸ばしたいと思うけど、日本は終わりに向かってる気しかしないよね。政治が終わってるよ。給料を上げるか、消費税無くさないとこの国はどんどんおしまいになる気がするね。出来る事をやろう(他人にしいてるわけではない)


そんな訳でゆるふわ今年の目標の話。
私はお金が好きです。

株主優待を貰える位の投資にチャレンジする」※無理に100株〜買う事を目標にするとちょっと怖いけど最終的に辿り着けたらいいなとは思う(しかしJTの株はおそらく買わないきがする)

「目標の資格を取る(国家資格の方はやる気が出たらやる)&更新終わらせる」
※勉強は大事。本を読み知識を深める事も本当に大事だなって思う。でもゲームもしたい。時間が足りないわね。ちょいちょい問題解いたりしてるけどもだんだんわかる様になってきた気がする。反復って大事だね。

「お金の勉強をする」
※子供の頃「日経平均株価ってなに」「トピックスって何怖い」って思ってたんですけど勉強するとそんなに怖いもんでもないことが分かって良かったなと思う。ニーサ枠以外でも頑張ってやっていきますわね。そういう関係の本も読みましょうね。

「無理だなと思った人間と無理に付き合わない」
※好きな人や好きなゲームで遊ぶ時間を増やしたいという気持ちです。人生の時間は有限なので、気を使いすぎる関係にある人と喋って疲れたりとか、差別を平気でするかつ(言葉に出さなくても)態度に出てしまう様な友人とはもう付き合わないことにしました、付き合わないと決めることも辛いけれど、心を守るために必要なこともある。差別されたくない。
無関係の他人に傷付けられるのと、仲が良いと思っている人間に傷つけられるのは、傷の深さが全然違うんですよね。不思議だけど。

「自分の気持ちを言語化し、他人へ伝達をする」
※「私はこう思う」という主語を用いて、差別侮蔑偏見と戦っていきたいという気持ちがある。

今度、「女の敵は女」「女は陰険」と仮に他人から言われたら(職場想定)「私この部署の皆様敵だと思った事ないしむしろ味方ですけどあんたは何様ですか?」だとか「女が陰険かは知らんけど、部活のしごきで男の顧問から学生殺されてる事件ありますけど男は陰険じゃないんですか?」と返す様にしようと思う。はーくそ。世の中はうんち。
言われっぱなしは性に合わん。性に合わんので差別や人権を損なう事柄にnoと言いたいのだ。
他人がどう思うかは怖くない訳ないけどさ、それよりも自分の思う良いと思われる事柄についての意識を大事にしてやりたい気持ちがあるんですわな。後は損なわれている渦中にいる人間は自ら声をあげることは難しいからこそ、別の人間らが言わにゃいかんことが世の中にはごまんとあるのでよ…。
他人はどうあれ、自分はこう思うという気持ちを大事にしたい。


とりあえずそんな感じ。
早く任天堂の株主になりたいがしかし、現在株価めっちゃ下がってるので怖すぎる。
ニーサの含み益もめっちゃ消えてて怖いがまあまだ赤字ではないし。ただし下がりっぱなしというのはそこまで確率として高いわけでは無いのでニーサもイデコも相変わらず放置です。



冬は命を削るなと思ったので冬の活動は無理しないことにした。具体的には無理な早起きとか(釣りは別)、寒い中薄着するとか。
会社行く時もこれでもかと厚着してる。とにかく心臓に負担がかかる事はあんまり積極的にやらないことにする。階段駆け上るとかね。




グリーンブックを見た。
余りにも辛く、そして辛かった。
ヒューマンドラマ系の作品はとにかく体力を使う。映画館では中々観れないと思うので配信はありがたい(逃げられないので)。

マイノリティに属する人間ほど丁寧さが求められる。非暴力で無ければならない。丁寧さを欠いてはならない。何か言われてもカッとなってもいけない。眩暈がする様な事柄のオンパレードだった。

差別をしている側の人間が「俺の方がずっと差別されている」と、突然開き直るの凄い見覚えがある。「自分の方が辛い」と提示する意味って無いよな。
人には人の乳酸菌だもの。

各々の辛さを張り合うことに意味は無く、ただ受け入れ合う事が必要である。ただ、彼が受け入れられなかったのは「自分が黒人のことをニガーと呼んで嘲笑していたから」なので、やましいことがあるから反発したくなったのだろう。

あの作品の救いは、ドクとトニーが友達になったこと。そして、ドロレスが分かっていたこと。
トニーは「ニガーはよせ」と言える様になったことであろう。

トニーは「半分ニガー」と「馬鹿にされた」事に憤り、殴った。
それはドクの為と虚勢を張っていたがそんな事はない。彼は自分の為にしか動かない人間だった。トニーがイギリス系アメリカ人という立ち位置だから、トニーにも思う所はとてもあるのだろう。
だけど、それに立ち向かうドクを彼は「そういう社会なのだから仕方が無い」と「まあまあw」と捻じ伏せる。差別される側の人間がマジョリティに組し、いわゆる「弁えている側」着く。白人男性であればそれだけでマジョリティになりうる素質があるから。権力を振りかざす。見た事ある呪いの再生産ですよ。自分さえ良ければ、あるいは自分が諦めている事に声を上げる人間を押さえつけてしまう人、いるよね。

クリスマス。静かなドクの部屋と、トニーの騒がしい部屋の対比があの二人を物語る。
絶対に嫌な思いをすると知っていて、あの部屋に出向く(トニーだけは歓迎してくれるだろうが)のは、ドクの勇気が眩しかった。私は傷付くのが怖いから、きっと同じ立場であの場所へ出向くことは出来ない。

勇気か、全てにおいて勇気が必要だ。
後味良く作らない事が社会への問題の投げ掛けである。自分ごととして捉え、勇気を持ちたいと、そう思える作品ではあった。
ただ、しんどかったし昨日見た作品なのにまだしんどい。