のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

ポケットモンスターレジェンドアルセウスの話 知らない事を知ることについての自分の主観も含めての話

ゲーム本編のネタバレをふんだんに含むいつも通りのオチのない話をします。

アルセウスをはじめた。
自由度が高い。
こういうポケモンやりたかったんだよ!!!!って感じ。

崖の上に登ったり、行けそうもない所に行けたりするのが楽しい。ここもしかしていけるんじゃね!?と思いながら行った場所にポッチャマがいた。ここ抜けられるんじゃね?!という峰の先にレアなアイテムがあった。あと絶対ここ伝説ポケモン出るじゃんっていう場所があった。
イーブイの出現場所はたくさんのお花が咲いているところだった。かわいいね。
まだシナリオをやっている最中だが、既に色違いポケモンに出会えた。すごく嬉しかった。確率下げてたりするのかな。

ポケモンセンターに行かなくても回復できる、ボールを作れる、いつでも技を忘れて覚えられる、進化モーションをきせきもたせなくてもキャンセルできる、進化のタイミングじゃないと覚えない技とかいう縛りがない、ポケモンと触れ合える、ポケモンから殴られる、楽しい。めちゃ楽しい。シナリオは恐らくあと一匹でクリアできる。ディアルガパルキアはストーリーに絡んでくるんかな。
今までのポケモンシリーズの知恵を集約した結果のゲームだ。おそらく一人でプレイしても全種類コンプリート出来る様に作られているのではないかと予想している。ゲームとしてはひたすら楽しい。こういうポケモン世界を望んでいた。

PMSで落ち込んでしんどくて苦しんでいたのだけどお陰でだいぶマシだった。
ただひとつだけ嫌なのは鞄拡張屋が暴利を貪ってる事である。
彼一人のために、お金が足りなくて困ってる。金策をもっと楽にするか、安くするかして欲しいなどと思った。

閑話休題

ゲーム内脚本の話をしよう。

あらすじだが、
アルセウスの主人公は異世界転生してきた人だ。ヒスイ地方はポケモンと共存するというよりも、野生のままのポケモンが野原にいて、ポケモンと共存するべく四苦八苦する人間達側からの物語だ。
なんと言っても野生のポケモンはかいこうせんを打ってくる恐ろしい国だ(音が特徴的なのですぐにわかる)。

『空から降ってきた余所者は存在感を示す事で、怪しい人間でないことを示さなければお前の居場所は無い、お前がここに認められる為には、戦い続けるしかないのだ。』
そんな様な意味合いのセリフを、繰り返し繰り返し主人公である自分は言われる。

得体の知れないものは怖いものだと、ポケモンは恐ろしい存在だと何度も何度も言われる。
それはヒスイ地方の人たちが恐らく「そういう」目に何度もあってきたのだろう。

だか、異世界転生をしてきた我々は知っている。ポケモンは恐ろしい存在でない事を。
ポケモンは相棒として、我々のそばにいてくれる存在であることを。怖い存在ではないことを。
だからこそ、ポケモン達の為に、自分の為に、戦うのである!!

……というメッセージなのだろうなと、そう思っている。
「知らないという事は恐れるということ」
という人間の真髄をつく話だとは思っている。

ただ正直、少数派たる人間達は、なにもしていないのにも関わらず、多数派たる人間から危害を加えられるという、存在しているだけなのに、日常的にマイクロアグレッションをされて、虐げられる、認めたいなら「それなりの態度を取ったら?」と言われる事、そういうことを思い出さずにはいられないシナリオだ。

日常的に他人から無意識に虐げられる立場、とみにホモソでミソジニーな弊社に於いて常に反論を持つ立ち位置で生きている人間なので、正直シナリオがしんどい。

ヒスイのポケモン達がこちらに向かって牙を剥くのは、推察するにそれだけヒスイの人間達から敵意を向けられているからなのだろうし、人間達はポケモンに傷付けられたのだろう。
お互いに自分の生命を守ろうとしているだけなのだろう(ヒスイの人間と、ヒスイのポケモンの間を取りなすのが、異邦人たる「主人公」の存在である。なんせ、主人公はポケモンが恐ろしい存在でない事を知っているから、その為に働くのだろう)。

つまり、この冒険をする我々に向けてゲームフリークスからのメッセージを推察するに、
「知ることが肝要」という事なのだと思う。

知らぬ事を知らぬままにせず、知らぬ事を知る努力を怠らなければ、知る事で知らないことが減り、知っていれば対応方法もわかる。
知れば恐れも減る。
世界を結びたいのならば、
知らなくてはいけない。
多分アルセウスはそういうことを言いたいのだなと私は理解した。


変化の激しい現代である。
良い時代になっていると思いたい昨今だが、それは私が学ぶタイプだからその様に思うだけかもしれないという事を、学ぼうとせず受け身で居続ける弊社の人間を見ていると感じてしまう。
誰かに教えて貰わなければ分からないという立場にあぐらをかいているように見える。
まあ困る事がないから勉強しないのだろう。そういう人たちに絶望しているし、常に苦しめられているが為に、やけっぱちな言い方になってしまってる自覚はあります(弊社がいかにホモソでヘイトスピーチ蔓延る会社なのかは過去の記事で参照頂けると幸いです&書いてないけど最近メンタルをゴリゴリ削る重大事件が起こりましたのでな…)。

「やりにくくなった」と言い、「自分達が居場所を奪っていた」という認識はゼロ。
都合の悪いこと、理解出来ないことは全部「キモい」で片付ける人たち。

そうなってはいけない。知らないからといって、学ぶこともせずに表面や都合の良い情報だけを掬い取る人間になってはならない。私はそう思う。
コトブキムラの人間達は、「知ろう」という姿勢の元、ポケモン達と共存しようとしている。

現代社会を生きる我々は、コトブキムラの人間達と同じ様に、「恐れている事を学べば畏怖を減らす可能性が生まれる」のである。


個人的ないつもの話になるが、
今年は学ぶ事や勇気を持つという物語によほど縁がある。そういう作品が表舞台に出てきているという風に捉える事もできるし、自分のアンテナにそういう作品が触れる様になったと捉える事もできる。

しかし、やっぱりシナリオしんどいっすね。
居場所を得るために戦え!と他人に言われるのって(背景的に仕方無いとはいえ)ゲームの中に楽しみを求めて行ってたのに現実の辛さをビターン!って置かれる感じ。
真実を知る者に全てを強いるその感じ。
現場に投げる感じ。
剣盾のシナリオは「子供は守るものである」というメッセージがあったけれど、アルセウスは「戦わなければ死ぬ」という、例えるならばこれは進撃の巨人の世界である。まあ実際ヒスイ地方はそういう地方なんだけどもさ。

多分、ポケモンというネームバリューや、今まで積み重ねてきたものとはちょっとイメージが違うので戸惑っている部分もあるっちゃああるのかもしれん。



うまくまとまらんかった。日にちを跨いで書いたのが悪かったけど推敲する気力が無くて非公開になりそうなのでとりあえず公開します。
今日も帰ったらアルセウスやるセウス。