のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

人生は自分で全て選択できるなら楽しいものなのだと思うよ

お祝いというのは祝いたい人が祝えばいい。
強制されるべきものでなない。祝いたい人が祝いたければ祝えばいいのだという事を思う。簡単に割切れるなら苦労はしない。結論で言うとお金が欲しい。お金があれば呪いが幾分か解ける手助けになるので。
人生なんでいつの間にかはじめられてんだろうな…。私は私のためだけに生きたいよ。他人の責任取れないので。私は軽薄な人間です。蒸発してえよな。


ツイッターで長い間同じ事に対して議論しているとどんどん他人と言葉が通じなくなってくる。
それは話してるメインテーマが人によって変わってくるからである。前提の崩れた議論は不毛だ。
そして、お互いに話し合おうとする姿勢の無い言葉は、交わしても虚しいだけだ。交わせてるのかすら最早分からない。
メインテーマが違うのだから、言葉が噛み合わないのは当然なのだ。噛み合うってなんだろうね。
作品批判と広告批判と女性差別表現の自由と批判の自由と有害な男性性と加害性に向き合わぬオタクたちと冷笑と揚げ足取りと私と小鳥とすずと。みんな違ってみんな地獄の釜の中で生きている。誠実でありたいと思うけれど、相手が誠実でなければ結局こちらが消耗するばかりだ。まあそれでも誠実さは大事だと思うので誠実ではいる予定だが。

なんにせよ、いろんな事に疲れている。
人間の善意や知識による充電が必要だ、人間の言葉を聞かなければならない。自分の言葉で語ってくれる他人の言葉が必要だ。


友人たちと会った。
腸活や株や社会やフェミニズムの話をした。その中でヘタリアが好きな友達がいたのだが、つい「韓国への差別を煽るような書き方をしたりしてた作品だよね」という話をつい棘のある感じで言ってしまった。こういうところが私はダメなんだよなと反省している。

ファンタビ3を見に行った。
JKローリングの作品は、世の中の悪しきものと戦う勇気を貰えると思っている。トランス差別については、私は原文を読めないので正直言及していいのかも分からない。だけれど、その上で彼女の作品を楽しんでいるという自覚は持っておこうと思う。あれだけエンパワメントされる作品を描く人なのに、とは思っている。きっと許せない様な事が起こったらハリポタシリーズも見なくなるのだろうとは思う。

以降は3のがっつりネタバレになるので未視聴の方はこれ以降は読まないことをお勧めする。






 

最後のシーンのアルバスが切なすぎてちょっと泣いてしまった。
既婚者の友達が「何故クイニーとジェイコブはそもそも仲違いをすることになったのか?二人ともお互いを愛していたならそれでよかったはずでは?そもそもノーマジと魔法使いは結婚できないのに、何故クイニーは結婚にこだわったのだ?」とファンタビ2の話を出された。

それはJKローリングが意図して書いている「マグルと魔法使いは、現代社会における婚姻関係を許されない同性愛者をおそらくモデルにしている」という風な見方ができる。
「社会が許さない関係である」という見方をすればすぐに気がつくことのはずなのだが、
既婚者のその友人は「愛し合っていればそれでいい」という、世の中にありふれた無理解理論を振りかざすんだなあ、ということを思い悲しくなった。

自分は婚姻制度を利用しているのに(しているからこそ?)そういうもんなんだなという気持ちになった。その上で「結婚という制度が使えないのに何故クイニーはそもそも結婚したいと言ったのか?」って、マジョリティって感じの言論だなと思った。まあ彼女は嫌な事があったらすぐに別れると公言している人ではあるのでそういう立場がさせる言葉だとは思いたいけれども。
他人に期待しすぎる衒いがあるのは分かっているんだ。よくないよね。

最後のアルバスはほんと見てて辛かった。
ジュードロウの色気とマッツミケルセンの色気はやばかったです。