のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

国内旅行記①広島1日目

5

のら
2020/11/04 08:29

GOTOトラベルを利用して広島〜岡山に行ってきた。広島に行こうと決めた理由は大久野島のウサギさんに会いに行きたかったから、平和記念公園にずっと行ってみたかったのに行ったことがなかったから、同行者の友人が宮島行きたいから、の理由が揃った為だ。今回の日記は原爆についての話があるため、残酷な話が苦手な方は見られないことをお勧めする。

GOTOトラベルは旅行代理店の予約を取るのがいっちゃん大変で、そこさえクリアできるなら何度でも使いたいと思えた。所で大手以外のところでも使えるのだろうか、あまりにもわかりにくい。

噂のシンカンセンスゴイカタイアイスを遂に初めて食すことができて嬉しかった。スプーンが特注の形だったのに笑ってしまった。

駅ビルのお好み焼きを食べた。キャベツたっぷりで美味しかった。「○○ちゃん」と名前のつく店がたくさんあって「なんでだろう?」と思って調べたら「戦後、戦争から戻ってこなかった。男手の無い所で女性達がお好み焼き屋をやっていたから」という理由だった。そもそも広島のお好み焼きが発達した理由は「戦後の焼け野原、米のない中でみんなにお腹いっぱい食べれるもの」というのが発祥だった筈だ。

広島に行ったことで認識を新たにしたことが一つあって、戦争というのは遠い昔のことではなく、ほんの最近の出来事だという話だ。

原爆資料館の資料を見て、涙が堪えきれなかった。まだ小さな子供が、自分はどうなってもいいから母ちゃんを助けてと叫び、彼は亡くなり、母は生き残った。火傷で死に掛けた姉が、弟が心配だと言いながら亡くなった。熱かったろう苦しかったろう痛かったろう。戦争は絶対にしてはならないし、核兵器なんか最悪の最低だ。年端も行かない、何も知らない子供達が死んでしまうなんて。

反出生主義気味の人間だけれど、生まれてしまった命はどうかみんな幸せであってほしいと願っている。子供は好きじゃないし、子供を持つ気もないけれど、自分よりも年の低い子が亡くなったと聞くだけで辛い気持ちになる。

戦争ほど残酷なものはないと思った。お骨が帰ってこないこと、どんなふうに亡くなったかも分からないなんて、どうやって心の折り合いをつけたのだろう。生きていた人たちも、無念にも死んでいった人たちも、地獄の日々だったろうと思う。二世の方々への影響が本格的に分かるのはこれからだという風に展示に書いてあった。どうか、どうか健康であって欲しい。

展示の最後は核についての展示だった。二度とこんなことを起こしてはならない、戦争を起こさない国にしなければならないと思った。はだしのゲンで父親が言っていたことを思い出していた。

夕飯は美味しいタコ料理を食べた、お土産たくさん買い、美味しいご飯を食べたのであっという間にクーポンが切れてしまったのでゲラゲラ笑っていた。

広島のレンタサイクル、ぴーすくるは電動アシスト機能付きだった。初めて乗ったけど、早くて笑ってしまった。

16445歩あるいたらしい。湯船に効き湯を入れてゆったり浸かってから眠った。