のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

小さいあの子について

小さいあの子について

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のら
2019/11/11 20:01

実家で飼っていたウサギさんがお月様に帰りました。小さな身体で11年も生きてくれました。先日、実家に帰った時の話です。どうしても感情のやり場がないのでnoteに書くことにしました。

彼がうちに来た日のことをよく覚えています。先代のうさぎと寸分違わぬ姿の、小さなふわふわの生き物がいて大変驚き、君はどこから来たのってずっと話しかけてました。物怖じもせずに、私の方に寄ってきてくれたのが嬉しくて、しばらく動物は飼わないと言ってた親の気持ちが動くのも分かるような気がしました。名前は大体の習わしで、カタカナ一文字に伸ばし棒の名前になりました。

彼が大きくなるまでは一緒にいて、それからはずっと離れて暮らしていました。親からは定期的に彼の写真や動画が送られてきて、元気にしてるなあってニコニコみていました。親が仕事で留守にすることも多く、彼は誰かのお家に預けられることもたくさんあったけれど、持ち前の物怖じしない好奇心旺盛さで、どこのお家に行ってもうまくやっていたように思います。うさぎは不機嫌な時に鼻を鳴らすだけの生き物なので、基本的に鳴くということをしません。目でじーっと訴えてきます。小さい上に、病気もするので中々難しい生き物です。美味しい果物、身体にいいと言われるものはなんでも食べて、元気に生活していました。白くてふわふわの彼は本当に可愛かった、何をしていても可愛かった。

うさぎの愛情表現について知っている人はわかると思いますが、あの子達は人間の足の周りをくるくると回ることで愛情を表現するそうです。実家に出向いた時などに、足の周りをくるくる回り、名前を呼ぶとこっちまで猛スピードで戻ってくる姿が愛おしく、実家を去る時にいつも「帰るよ。またね」と声を掛けていました。

前回実家に帰った際に、色々あり険悪なムードのまま帰りました。それでも変わらず彼には「また来るからね」と声を掛け、去りました。彼と最後に会った時の顔は、ちゃんと覚えています。

親から突然「うさぎの調子が悪い」と連絡が来たので、10月の中旬に帰省する予定でしたが台風でかないませんでした。

そして彼は、10月の末日に月に帰って行きました。

奇しくも、親の誕生日でした。こういう命日に意味をつけてしまうのが人間という生き物の悪い所だと思うのですが、きっと親の誕生日まで頑張って生きてくれたのだと思います。一度何も食べれなくなってから、ご飯を食べてくれるようになって、どうにか生きてくれたのだと思います。

彼は棺に納められて、お花と一緒に動物専用の火葬場で焼かれたそうです。彼が横たわっている写真はあまりにもいつも通りで、頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めている顔だったので、死んだなんて思えない穏やかな顔でした。彼が焼かれた焼却炉の写真を見せてもらいながら出先でその話をされて、感情が高ぶり涙がボロボロとこぼれてしまい親から彼の話をそれ以上聞くことが出来ませんでした。

実家にはまだ彼のいたゲージが残されており、実家に足を踏み入れた瞬間に彼の名前を呼びそうになって、空のゲージを見た時に「そうか、彼はもういないんだな」ということを悟りました。

それでも、ご飯を食べている時、野菜の切れ端が出てきた時、少し時間を持て余した時、彼のゲージの所へ目をやっては、彼がいないということを忘れて名前を呼びそうになり、彼のいた11年の月日が、彼のいたことで流れていた穏やかな時間が、私にとって大切だったことを思い、どうして人間の寿命はこんなに長く、動物の寿命はこんなに短いのだろうと、あらためて思いました。彼は老衰だったし、寿命を全うしたと理解しているのに、こんなに悲しくなるのは自分勝手な感情だと思いながらも、それでも悲しい気持ちは変わりません。彼が私の服を引っ張って遊ぼうと目で話しかけてくれたこと、初めてあった日のこと、写真写りが悪くて、いつも可愛く映らなかったこと、今はもう無くなった家の中で、廊下の端から端まですごいスピードで掛けていたこと、コードをかじってダメにしたこと、先天性の目の病気を患っていたから毎日目を拭いてあげたこと、私は彼について覚えているのに、もう彼には会えないんだと思うとそれだけで涙が止まりません。

彼がいなくなっても続く人生はやりきれなくて、それでもやっていかなくちゃいけなくて、失ったものへの悲しみはいつかなくなるなんて、今は全然思えなくて。彼が元気だった頃の動画を見て、会えないことの悲しみの感情に支配されています。

彼はとても良い子で、ちょっぴり悪い子で、とても可愛い私の弟分でした。彼の死は私には早すぎたようです。後悔ばかりが残り、彼にはもう会えない事を思うと、涙が勝手に溢れてきます。優しい彼は、きっとお餅つきを楽しんでいる事だと思います。どうか、願わくば彼の生きた日々全てが、幸せな日々であったことを祈ることしかできません。

彼と会えた優しい日々のことを忘れられません。誰も彼の代わりにはなれません。だけれど、日常は続きます。彼のことをわすれられぬまま、明日もきっと仕事に行きます。彼と会えた11年間、私は幸せでした。うちに来てくれて、ほんとうにありがとう。あなたのおかげで、私達はたくさん救われたんだよ。あなたなしで生きてくのって、今はつらくて毎日泣いてしまうよ。この文章を書きながらも泣いてしまう様な弱い人間だけれど、またいつか、会えたらその時はまた一緒に遊びたいし、大好きなえん麦をあげて手を舐めてもらったりしたいなって思いながら、この文章を締めくくろうと思います。