のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

弊社の話3/8とか

書いたか書いてないか全然思い出せないのだが、同性愛者をおおっぴらに迫害するオッサンが弊社にいる。
そのオジサンに対して私は「差別ですよ」と戦って手が震えた話をしたと思う。
そのまた続きの話である。

しばらく会社を休んでいた(前の記事に記載の通り)のだが、復帰した昼休みの話。お昼休みは昼寝をし続けているのだが、遠くの方で
「のらくらさん…」
「それは…」
「これって差別…」
「そう言ったら差別ですねそれは」

という会話をしている人たちがいた。(オジサンと、もう一人は好ましいと思っている人)

漏れ聞こえてくる会話を聞く限り、
「仕事のとある事象を対応するにあたり、職業で人を選ぶ」という選択肢になったらしい。まじくそ。詳しいことは社外秘なので描けないが。

私は「差別に対し、自分の出来る範囲で見てみぬふりをしない」事を信条に生きている。勇気のいることだけれども、その方がストレス溜まらない。

オジサンはどうやら「自分の言ってる事が差別にあたるのかが不安だし、多分差別にあたるだろうと思う。だからまたのらくらさんになんか言われるのが嫌だから、私がいないタイミングで聞いてみよう」という感じで周りの人に聞いたのだろうなと思う。
そしてその周りの人はビシッと「差別だ」と言ってくれた。

私が良く使う言葉で「義務教育以降自分の頭で物事を考えていない、自分が無い人間」という言葉がある。

例えばこのオジサンだが、言葉への責任感が著しく欠如している/社会で自分の振る舞いがどの様に捉えられるのかという視点も欠如していると思っていて、
オジサンの様な人間は「悪意なく悪意を撒き散らかす」ので無知故に許し難い所があるなと思っている。悪意が自覚出来ない程賢く無い、端的に言ってしまえば愚かという言葉をチョイスすることになるけれども。私はそういう人が好きではない。多分己にそういう所がある(過去の自分はそういう人間だったという嫌悪感もある)ので、余計に嫌なのだと思う。

そんな訳でそのオジサンは「自分では分からないから周りに聞いてみよう」と、「聞く」事をどうやら覚えた様だ。
多分私がその場にいて聞かれたら「職業差別ですか?職業ってそれ関係あるかな?逆に何がダメだと思うんですか?」と中村慎森になる所であった。
なんか最近「論破」って言葉が流行ってるのかわからんが、君らの好きな論破って奴をすれば良いんですか?と思ってしまう。言わんけど。必要に応じていう必要もあるかな、などとは思う。悩ましい。ミラーリングは効くので考えよう。

オジサンはようやく「配慮をする」という事を覚えたのかと思い、やってきたことは無駄では無かったのかなと思った。そして同時にめっちゃ面白かった。

どんな差別的な主義主張を抱えていようが、「言葉を発して差別をする」という選択はまじで最低最悪の選択肢だ。「ダメなんだよ」という事を伝えていかなければならない。ムカつくけど。やってらんねーけど。腹が立つけど。

ああいうオジサンを今まで我々人類が放置し続けた結果が今のマチズモ溢れる社会であり、弊社であると私は思う。私は社会を変えたいのだ。私が生きやすくなるために。

変わる意思のない人間にどんなに言ったって、意識が変わる事は無いと思う。だって変わる意思がないんだもの。だけど「これは公にしてはならない差別なのかもしれない」と意識をさせる事ができたのならば、戦った甲斐があると思う。

進歩というのは中々一気にするものでは無い。コロナみたいな事があればリモワが定着するけれども、そういう事でもなければリモワは定着しなかったろう。
まあそういうものなので、一気に良くなるとは無論思って無いし、多分私がいる時にまた「〇〇ってキモい」とか大声で喚き出すと思う。そしたらまた「差別ですか???」と戦おうと思う。
何度も言われるのが嫌だから言わなくなる、という風にとりあえずなってくれれば良いなと思ってる。


なんでこの話を書いたのかって。
昔の部署にいたパワハラモラハラミソジニー元妻への多産DVクソ上司が近い部署に異動してくるらしい。それで色々モヤッとしたのだ。

昔は戦えなかったけど、今ならある程度戦える気がする。もしアイツの部下になる事があったら、Apple Watchを買って毎回パワハラの現場をこれ見よがしに録音しようと思っている。書いてても思い出しムカつきしてきた。心の健康に良くないね。男はキモチイイ思いしたら子供が出来るのに、女は痛みで最悪死ぬって人類不均衡じゃね?

なのにそれに輪をかけて女の方が圧倒的にキャリアを捨てさせられるの意味わからんくね?ヘルジャパンまじでヘルジャパン。国際女性デーは「みんなのもの」だし、「女のものはみんなのもの」扱いももう辞めんか? 女は人間だよ?飾り人形じゃねえよ?ひな祭りとこどもの日の差って何?女は子供ではないのか?(女の事を人間じゃないと思ってる人は割と沢山いると思ってますけどもね)

社会への怒りのパワーでいろんな不均衡を解体できたらいいのにね。


ぶつけた足がずっと痛い。

コロナに罹患したオタクの話(10日間)

プーチン侵略戦争かましてる間に、
ウイルスに侵略されていましたという話。

犠牲になるのはいつだって庶民たる我々(仕掛けている側の政治家ではないという意味)なので、
我々はプーチン侵略戦争をやめろと言い続けなければならぬのだよな。

後は政治家を笑いのネタ扱いしない事が大事だ。
何でもかんでも笑って昇華すりゃいいってもんじゃない。
それは私が弊社のミソジニーを見ていると思うことである。
怒らなければみんなは笑って流してまたか害される/するを繰り返すのだ。悪気を認識できない悪意って残酷だし傲慢だよ。
主に昔の自分がそうだった様に。

しかし、その国の首長を選んだのは他でも無い国民なのである。日本もまじで他人事ではないなと思う。ロシアは隣の国だからという話だけではなくて。我々は政治を監視しなくてはならない。

序盤から話が猛烈にズレた。


・2/24
夕方、前の席の人が猛烈に咳き込んでいた(もちろんマスクしてる
その後から喉の痛みが猛烈にやってきた。
電車に揺られ帰り、いつも通りのご飯を食べる。
夜になって高熱が出る。39度まで出た。
同居人が帰宅した。
私がダウンしてしまったので同居人から然るべき所(ググると出てくる)に電話してもらった。
なんと24時間空いている。
保健所の皆さんに感謝だ。
発熱外来の病院教えてもらう。
教えるから、後は自分で予約とってねというスタイルだ。
足が冷たすぎて寝れない、ワクチン一回目みたいな辛さだ。寒いのに暑い。汗もかかない。とにかくしんどい。タイノレールを飲む。

・2/25
開店即電話予約してもらい、16時予約なんとか滑り込んだ。
職場に連絡し現況を伝える。
ひたすら寝る。
熱の上がり下がりがしんどくて布団にくるまってる
茶碗蒸しを食べる、おいしい、味覚症状無し。
病院に行く
唾液採取だのしてもらう(先生は防護服みたいなの着てた
薬沢山もらった(後述する)
同居人がお粥とゼリー出してくれた(ゼリー大好きなので異様に備蓄があって助かった
ネットスーパーを頼む 野菜も買える
寝る
寒気で目が覚めて着替える

・2/26
生理が来た(いつもタイミングが最悪なので早く子宮切り落としたい
熱は微熱だが、喉が異様に痛い
微熱がずっと続いてる感じ
食への欲求が戻ってきたので、同居人がご飯やおやつを作ってくれたのでモリモリ食べる
(そして生理中なのですぐにくだす

漫画くらいなら読める様になってきたのでKindleに溜めてた漫画を読んでる。

私は書籍で所有するのをある程度諦めて、最近電子で漫画を買う様にしている。たまに割引なんかも入るしありがたい(活字本は疲れるので紙の本で買ってる)
講談社がものすごい量の漫画を無料で配布してたのでどさどさとDLして読んだ。

積んでいた矢口高雄先生のおらが村を読んだ。
途中まではちゃめちゃに面白かったのだが、
最後の話が「女性にとって最も大切なことは自由では無い 心と体の安らぎでありそこは家庭であり家庭における位置の安定であろう」
という突然の家父長でございってマチズモ出てきてヒェッとなった。

矢口先生よ、女も貴方の描く釣りキチ三平を読み、魚紳さんになりたいと思うんだよ、と思い、答えは「好きに生きろよ」だと思いました。

波よ聞いてくれとか甘々と稲妻とか夜廻り猫とかハチクロとかスキマ飯とかクッキングパパとか犬と猫どっちも飼ってると毎日楽しいとか、
二人ソロキャンプとか(絵上手だな良いなあと思っていたら、突然女性の乳揺れたりとか、後女性の主体性なさすぎ男教え系の奴かこれは…って思ったけど2巻目でちょっと改善されててよかった…というかどっちも破天荒すぎてちょっとついていけなかった…単行本の最初はお色気に寄りがちな所あるからなあと思いつつ、2巻目で男も脱がされていたので少しだけ安心した。でも二人とも、無駄に脱がなくていいのよ…。今後バランスは採れていくといいな…所で火の前にケツを晒さすのはどうなんだ…まあ長く続いてるしきっと改善されてくのでしょう…とおもいました)とか読んだ。
読みたい漫画沢山ある。夢の端々も買った。

ガレット10巻無料DLやってたのでDLしたのと、ついでに他の巻も買った。ガレット好き。
漫画家さんありがとうという気持ちになった。


・2/27
三日ぶりにぐっすり寝れた。
ほぼ起きずに10時間、身体が頑張ってくれている。
数日ぶりに風呂に入った。気持ちよかった。
久々に窓際で陽の光を浴びた。
自分の意見を発信できるくらいの元気が戻ってきた。
スタァライト舞台をリアルタイム鑑賞した。あいあいさんかわいい。青嵐のみんな好き。キュート。

・2/28
陽性連絡が病院から来た
会社へ連絡し10日休む旨を詫びる
比較的元気だったので映画を見た
友達とロシアについてしゃべる
スタバのベンティサイズを同居人が買ってきてくれた。恐れ慄くサイズ感だった。ココア美味しかった。

・3/1
保健所からようやく連絡がきた。SMSだった。日曜まで待機とのことを知らされる。
長すぎて読めず、同居人に通訳してもらった。

突然具合が悪くなり眠気が襲ってきて眠る
合計で11時間も寝た
会社に連絡をした
同居人が美味しいご飯を作ってくれたのでカービィかよってくらいの勢いで食べ終えた
少し元気になったので見てる途中のAmazonのドラマを見た
読み途中だった本を読み終えた
食配を頼んだ。ただ先人曰く「届くのめっちゃ遅い」らしい
楽天銀行から証券会社の口座へお金を移した

・3/2
9時間半一回も起きずに寝た
少し元気になってきたので映画を見た
咳が止まらない
熱は無い

・3/3
階段から落ちてどでか擦過傷を作った。痛過ぎて涙が滲んだ。
同居人が薬局で色々買ってきてくれた。湿布は大事。
咳が止まらない
熱は無い

・3/4
どでか擦過傷が痛い。なんかくろくなってる。座るのがしんどい。
映画を見た
咳が止まらない

・3/5
朝友達とイカをやった。
ゲームは遠隔で気軽に友達と遊べるのでいいなと思う。
ユナイトの大会の配信を見ていた。ゴール編成ってロマンだなあと思った。めちゃ楽しかった。
会社の人数人から「お大事に」ラインが来た。会社の人と仲が良い自覚が無いので、わざわざ連絡くれる人たちは大事にしたいと思う。どういう風に噂が回ったのかだけ気になったのでそれだけ聞いてみたりした。

大会の浮沈艦フシギバナがカッコよかった。私も使ってみたいなと思い早速使ってみた。影響されやすいタイプ。機動性の高さと防御力の高さが無茶苦茶使いやすくて楽しい。勝率も悪くない。

dbdも久々にやった。ゲームって楽しい。
擦過傷痛いけど座れる様になった。

・3/6
皮から作る餃子を作った。咳は止まらず。
楽しかったし美味しかった。薄力粉1強力粉1でやったのだがちょっと皮が硬かったので、次回は柔らかめにしよう。
ユナイトをたっぷりやった。イカもやった。ゲーム楽しい。

社会復帰が不安で怯えている。

コロナウイルスって要は「風邪」なので「特効薬が無い」という話がある。が、ワクチン作れたのってすごいことなんじゃ無いかともう全くのど素人の見解で思う。
私はモデルナ二回目で死ぬほど苦しんだけど、それより楽だったかもしれない。

ちなみに周りで反ワクチンの人間がコロナに罹ってたけど39.2とかだったらしい。打ったのにそんなにかわらんやん!と思ったけどそれはあくまでも結果論の話でしか無い。今の所生きている。三週間具合が悪かったらしいが、私は10日でなんとか復帰だ。有給どうなるんだろう。辛い。土日を二回挟めたのでその分休まないで済んだ。それは良かったなと思う。

体重3キロくらい落ちたので、服が体に食い込んで痛い。折角肉がついてきたのにと思うが、贅肉はあっという間に落ちるので、やっぱ筋肉なのかなと思う。頑張って毎日クリーム玄米ブランで取ったタンパク質が消えた。しかし、まあ消えたけどその分が菌と戦う力になったのかと思うと良しとできる。

新宿南口でデモがあった。渋谷駅でもデモがあった。自宅療養期間中なのでもちろん行けなかった。次機会があったら行きたいと思う。

擦過傷は痛い。
咳は止まらない。
でもまあなんとかなった。まだ人生は続きそうだ。
戦争、侵略、全部嫌。
選べない自由を選べる様にして生きていたい。


【処方してもらったお薬】
トラネキザム(喉の痛み止め
ロキソプロフェン(頭痛がやばかった&普段も飲めるので
レパミピド(胃薬
トーワーチーム(飲んだら熱がぐーんと上がった 薬ってすごいな

【飲んでるサプリ】
亜鉛(民間療法で飲むと良いと反ワクチンの知り合いからもらったので(私はワクチン打つ派です
ビタミンc(太陽にあたってない
ビオフェルミン(胃腸が弱い
マルチビタミン(お祈り

【コロナになって気がついたこと】
どうやら9時間半位睡眠を取ると、自然に目覚められるっぽい。9時間半〜11時間位を行ったり来たりしてた。
普段7時間位しか寝てないので、もう少し睡眠時間増やした方が良いかな、などと感じた。
早く寝ようと思い布団に入ったが社会復帰への不安で全然寝れなかった。大事なのは睡眠の質を上げることだなと思った。湯船に浸かろう。春めいてきたし、お風呂も寒くなくなるはずだ。枕とかも良い枕を買えば良いのだろうか。なんか快眠アイテムの話あったら教えてほしい。


スマートウォッチの数字は楽しい、たまに全然違う数字を出すこともあるが、なんでも数値化されるの楽しい。

今は通勤中だが、久々に電車に乗ると時間とても長く感じる。この時間は読書したり映画見たりした方が良いなと改めて思った。人生の時間は有限なので、なるべく楽しいことをしたい。楽しく無いことは気がつくとやってることが多いので。
ぶつけた所がスニーカーに擦れて痛い。

無理せずやっていきたい、そんな今週です。

色々あってまだ何も出来てないですが

楽天銀行口座開設終わってマネーブリッジやりました。ロシアとウクライナの話でニーサはマイナスになっている。まあ見てない時に超上振れてることもあるだろう、一喜一憂しても仕方がないと思うのは素人だからか。そんなことより戦争はやめてくれんか。

これで年利0.1%つくの嬉しいなと思いつつ、本当に大したことないと思いつつ、結局はお金の為にあれこれ手を焼くのが楽しいのである。

国内個別株とか言う初心者が手を出すの危なくないか?みたいな所に手を出そうとしてるのだが、割とファン活動の一部みたいになりそうな気配がしてきた。欲しい株という観点で調べてたら良いじゃん。みたいなところを見つけた。嬉しい。
任天堂一株6.7万円とかギエーって感じなので、買ったらここで自慢しますね。

元手が欲しいので元手確保の為に貸してる金を返してもらうべく跋扈し始めた。はーがんばろ。相変わらず若干無視されてるけど。貸してる金に利益は生まれない。時効にならない様に督促はしていたけれど。お互いなあなあでいいやって思える人以外とは金勘定はきっちりした方がいいよ。


人生は選択の連続である。なので選択しなくて良い事は極力選択をしないで済む様にしている。具合的には会社着と朝ご飯の事。クリーム玄米ブランは89円が自分調べでは底値です。大量に買っておくとなんも考えなくて済むので楽で美味しく栄養が取れる。
会社着はルーティンできるものを決めている、スーツみたいなもんだ。スーツよりはラフだけど。

やっぱりオタク界隈のインターネットが辛い。当たり前に冷笑したり、当たり前に○○女子とかいうし、女だとすぐに友達出来るとか、女はいいよななどというホモソ、意味不明言論が飛び交う。女の要素必要か?(そういうの回ってくる時大体侮蔑の意味が含まれているので、見たく無さ過ぎてブロックしてる)
サイゼリア大喜利とかも勘弁してくれ。何でもかんでも笑うな。私は怒るよ。人を蔑ろにするな。オモチャにするなよ。目指せポケモンマスターの歌詞を擁護してるオタクは、お前のズボンの中に、あわよくばお前の性器を覗きにポケモンオタクが入ってきても「問題無い」と思うんか。
よしんばお前が良くても私はいやだよ。
キモいっすねって思う。

アンチレイシストであるためにという本を読み進めている。ちょっと難しいけどとても面白い。

オタクだが、オタクのことが無理になり始めている。生きてる人間を踏み付けにしてオモチャにするなよ。

「少女を埋める/桜庭一樹」読んでしまった感想文

SNS隆盛期の現代だからこそ生まれた作品であると読みながら感じました。自伝的小説。
いつも行く本屋さん(個人書店で配本の好感度がすごい。ヘイト本が少ない。フェミニズムの本や差別と戦うタイプの本がずらりならんでいる)の一番目立つ所に配本されていて、「おっ、新刊だ。どんな話なんだろう』というかんじで、帯を見て買うしかないなという感じで即買って即読んだ。
装丁と帯で、「女性に手に取ってもらえる様にする」工夫をされたそうだ。

作品としては、一部が自伝的小説、二部がそれを受けて書かれた書評の誤読を巡るSNSと出版社の話、一部の話を二部で俯瞰して読めるという中々面白い作りになっている。

とりあえずここまで戦い抜いた著者の桜庭一樹氏に、肩に手を添えてそっと労いの言葉を掛けたい気持ちになった。

困難を目の前にして、(批判もかなり多かったし失った物もそれなりにあっただろうが)切れるカードを使い、粉骨砕身戦い抜いたその姿勢はすごいことだと思った。影響力のある人間の発言だから、書かれてる以上に反発もすごかったろう。
実は第二部に書かれている内容については、私もSNSで言及していた。作品と自分の話が現実世界でリンクするという経験は多分初めてで中々貴重な経験をしたと思う。

私は桜庭一樹氏の作品のファンであり(全ての作品を読んでいる訳ではないが)推定少女や砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないや、私の男など、家族や閉鎖的な空間で起こる人間模様。美しくもあり愚かでもあり、ときたま猛烈に読みたくなっては本に手を伸ばしている。
今回の話は読んでて辛かった。
何が辛いって、自分の親類縁者のことを思いだすからだ。

昔住んでいた都会の土地から、親に振り回されて見知らぬ田舎の土地に住み移り、差別され、近隣からいじめられ、侮辱された過去を思い出したからだ。私の心には癒えぬ傷があるのだと気が付いたのは本当に最近の話だ。過去を掘り下げると、過去が襲ってくる。子供が居るのに子どものことを第一に考えられないのはACだなと思う。ACが愛情の見返りに子供作っちゃあだめだよ。世界が不幸になる。人類は皆今いる人を残して人類は終わりにした方が良いとつくづく思う。子を成す、子を成した人達はそんなに世界が希望的に見えるのだろう。すごいなと思う。過去を水に流すことなど出来ない。嫌だった、それを口に出せなかった、出しても許されなかった。子供時代は家に居付かない事で居場所を得ていたのかもしれない。分からんけど。
楽しかったこともあるけど、辛い事も多かった。なんにしても、子供時代は何を考えてもどうにもならなかった。厳格である事を求める呪われた自分の心と、そんなもの要らないと思う子どもの自分の心が二つある。言語化出来ないでいた苦しみが今もまだ沢山ある。

そういう事を思い出した。
相反する感情を抱えて生きている。
簡単に「憎い」と言い切れるのならば、どれだけ楽だろうか。



従わないし、出ていかない。
苦しい時は正論に縋る。
良い言葉だなと思った。
相手を慮る事も勿論大事なのだが、言わなきゃいけない事は言わなきゃならないのだ。それが自分を守るということだと思った。

正しいことを正しく伝えることだけが正しい訳でもないけれど(すごい対象がデカくて申し訳ないが)、「正しい」という事は常に「多数派」に押し潰されている人間達の防護壁になると思う。

小説ではなくてツイッターの話だが、小さい主語で話を聞いてくれる人は恵まれた人だという主張を見て「なるほどな」と思った。

本当は使いたく無いけれど、私も言葉が通じにくい人には「普通」「みんな」とかを使う。強い言葉を使えばその分反発も強い。だけどそれを覚悟の上で強い言葉を使うなら、それはそれで選択なのだろうと思う。



牧村朝子さんが昨日紹介してた記事を共有する(noteだけど…
https://note.com/takuro_/n/nf846d96de097

無自覚に「自分が一番正しい」と思って生きてはならないという事を思う。言葉には責任が伴う。難しい。難しいけれど思考を止めてはならない。
この記事で言う所の「本当のこと」というのは、少女を埋めるで言う所の「正しいこと」の亜種だと感じる。ニュアンスが違うけど。いや、なんかちょっと違う気がしてきた。忘れてください。いずれにしても良い記事なので読んで欲しい。

人に接すること、尊重しつつ正しさを伝えること、言葉を大事に使うこと、そういう事を感じた。
社会的なことは個人的なこと、という言葉が好きなのですが、そういう事を思った。
最近茶飲み話で会社の話をしていると、いつのまにか社会の話になるし、友達の話をしていたと思ったら、社会の話になっていた。


これは理由が全くわからないのだが、読了感がなんだか知らないが薄気味悪い感じなのだ。うっすらとした猜疑心みたいなものを、読み終えても感じている。自伝的、だから、どこまでが本当かわからないから、なのだろうか…。正直本当に分からないけれど。

戦いの記録と休日とポワルンデッキの話。

冬は無理しないという事で、無理をしない連休を過ごした。主に体力的な意味で。ツイッターが地獄の釜すぎて辛い。アプリ消したけどサファリでめっちゃ見てるから意味ねーって感じ。

アンチフェミニズムとオタク界隈の親和性があまりにも高すぎてしんどい。女叩きの構文に乗せて大喜利をはじめてお気に入り数を稼ぐ。お気に入り数って何?

女をカジュアルに叩いていいという存在として認知させている社会が、オタク界隈のボーイズクラブの結束に使われる女が、そういうものが全てしんどい。なんで生きてるだけでそういう扱いをされるのだろう。
フォロー内にそういう知り合いのオタクがいたのでゲェってなってしまった。たまに現実社会でエンカウントする人だったので、そんな人だったのかといつも通り辛くなった。悪意を自覚しない、出来ない悪意って、さらに悪辣に感じる。女叩きはしていいもの、中韓は叩いていいもの、そんなわけないだろうが。人間の尊厳は尊重するものなんだよ。オタクである事が最近しんどい。

という話をいつもの友達にした。
言葉を持ち、己を持つ人間の事を「人間」と私は呼ぶ話をしたら笑っていた。
一事が万事、政治に繋がるという話をした。
どんな失言をしても責められずにのうのうとしてる石原都知事が居たから、他の人間も差別発言をしてもいいと思い、そしてまた差別を再生産する。はーくそ。

同性婚の裁判の話も酷すぎたのでぐったりしながら話した。話すのって本当に大事。
そしてカルテットをその友達が見てくれた。カルテット観てくれる人類みんなありがとうという気持ち。世の中辛さに溢れてて、好きな創作物はその辛さを紛らさせてくれたり、私のしている事を肯定してくれたりする。
差別との戦いは、常に孤独だ。言葉と勇気が、背中を押してくれる。現職場には言葉の通じる人間が若干だが存在している。それがせめてもの救いである。
勿論友達にも言葉は通じる。オリンピックの話が出て「あの利権渦巻くスポーツイベントぉ??」と嫌悪感に露わに話をしたら「すげえ顔するじゃん」と笑われた。
あと、「UOグルグルするオタクは粗大ゴミみたいなもので、粗大ゴミは放置すると増える。一人やってるとその辺で局地的に起こる」と言う話をしたら「家森さんですか?」って言われた。
苦しい中にも、希望はあると思う。

木曜日、久々に客に怒鳴られて苦しくて泣いてしまったのだが、その時に、言葉の通じる先輩が励まさずに「その客が悪い。恐喝だよ」と怒ってくれた。
とてもありがたかった。
励まされると泣いちゃうので。

そしてその流れで、
前にブログにも書いた「女性に対し尊大な態度を取る富士フィルムのオッサン」についても言及し、「女だと思うと暴言吐く人居るよね」「女性差別だよね」という風に認識してくれた。
それがすごく嬉しかった。前は「男なんか転がしとけばいい」と言っていた人たちがだ。
そしてもしかして、「男なんか転がしとけばいい」というのは「男を庇ったというよりも、オッサンなんかまともにとりあっても無駄だよと言いたくて、私を庇おうとしていたのか?」と少し思った。
だとしたらなおのこと女性たちがこの社会で奪われている社会的尊厳を取り戻さないとイカンよなという事を思った。
怒る事は自分の心を殺さないことだ。自分の心を大事にするということだ。自分の心を殺して得られるものなんか、得たいものなんか私には無い。加害してくるオッサンには立ち向かう。私はいろんなものから解放されたいよ。

先日の朝礼で「旦那、奥さん、ご主人」という言葉を使わないという話をした。
これは勇気だ。弊社ではそれを発言することも大変に勇気がいる事だ。身体がめっちゃ震えた。それを言った事で何も変わらねえ。ただ、これでみんなの配偶者の事を上記の呼び名で呼ばなくて済む。配偶者と呼べる。

ホモフォビアを当たり前に表明する人間が多すぎるので、注意してくれる様に上司に話もした。今の上司はびっくりするほど人間だ、言葉に自分の感情を感じる。かっちょいい。建前が上手い、言葉の裏の感情を感じる。言葉の裏に「世間」がいない。
弊社は客にお年寄りが多いせいで、当たり前にホモフォビアに染まってる人間がすげえ多い。
どうせ言ったって変わらない。だからこそ言葉を言わねばならないと私は思う。そして今日もまた暴れてた。また相手が忘れた頃に折を見て伝えようと思う。

そんな訳で三連休は友達に会ったりコロナ陽性の人の家の前に荷物を届けたり家でポケカを五時間くらいやった。

相変わらずポワルンデッキを握ってる。
安定感が出てきて、3ターン目位は起動ができる様になった。ここからどう捲るかが大事だ。後行2ターン目で始動できたら理想である。でもめちゃがんばらないとそれは無理な気もしてる。

60枚のデッキ構成でピン刺ししてたカードの枚数を2枚に増やしたら安定感が出た。後はシラガちゃんとシャクヤを採用しようと思う。サイドにどうしても中々触れないデッキなので、シラガちゃんは落ちがちなダンデやボスの回収に使えたら良い。
サイドにキーカードが落ちた場合のケアをしないといけない、序盤はサイドを取りに行く動きが出来ないので。

こだわりベルトも出たので本当は3枠位は作りたいのだが。ハマナのバックアップもいれるべきか?雪道や墓地を回収できたら強いのかもしれない。悩むな。枠が無い。しあわせたまご削るか。いつものことである。スタジアムは削りたく無い。博士は逆に抜いてシバを入れたら安定感が出た。そういえば昔からシロナばっかり使ってたな。だいぶ博士を使うのにも慣れた。
文字通り「配られたカードで勝負をする」のも中々悪くないとは思う。
大会にも参加しないのに一体何をしているんだと自問自答したくなるが、私は私と戦っているのである。何せ相性が良いと感じるのだから、出来るだけやってみたいと思うのだ。

ちなみにサポートは全部山札ドローするだけにして、トラッシュはボール系とチラチーノとガラルフリーザーにした。マルチタスクこなせないので、自分の得手で勝負したい。はやくコロナ終息せんかなあ。みんなとやりたい。

完成したら(デッキは完成しないもの)デッキ登録してここでお披露目したいと思う。
ポケカやってる人でこの記事を読んでくれている人がいるのかは分からんが。でもオタクのオタク話聞いてるのって楽しくない?私は楽しい。

とりあえずシラガとハマナとシャクヤを入れてみよう。オラわくわくすっぞ。

【企画者が女性だから、女性である自分が発信する事で炎上するだなんて認識が無かったのでは?】

誤解を生みやすい内容な気がするので、結論を話す事は避けたい。
相変わらず弊社の話を例に出そうと思う。後はアツギのタイツの話。
後は自分が大昔に炎上しかけた恥ずかしいエピソードなんかを踏まえながら書く。
個人的な事は社会的な事であることと、私は間違える人間なのでその旨は前置きとして書かせて欲しいです。逃げとかではなく、完璧では無いという意味です(完璧な人間などいないと思うが)。

まとまるかどうかはわからない。
気長に書いてみる。
書きながら思考をまとめるタイプです。
まとまらなかったらスミマセン、多分長くなる。

前提として、性自認は女(あまり性別を意識しては無いが結果的に社会的には女であることからは逃げられないので)です。

ミソジニックでホモソでホモフォビックな弊社の話から始めよう。
具体的にどんな弊社なの?というのは、「弊社の話」という記事でも書いているのと、ここに書くのも憚られる様な酷い言葉ばかりなので割愛させてもらう。
それとは別に、この前あった出来事を挙げる。

セーラームーンで好きなキャラクターは誰?という話になった時に
女性1「×ちゃん」
女性2「×ちゃん」
私「(デッドムーンサーカスの時の)ちびうさ
という話をしていた。

同世代の男性(幼い娘が二人いて一緒にプリキュアを観ている)が「亜美ちゃん」と答えていた。

彼は男性だけど割と好ましい人だ(基本的に男性は大半の場合加害されるので苦手で嫌いです。今も電車の座席で知らん男性と、座席からはみ出した足肉と肩幅ぶつけ合いバトルをやってます本当に男でございってやりたい人多いよね。料金はいっしょだが?という気持ちです)。

彼は誰に対しても分け隔てが無く、人の嫌がる事を進んでやる。ボケもツッコミも出来る。
理論的な人であり、正論的なものを使うので他人に嫌がられたりする事もある。私は彼を好ましく思っています。

『理論的な人間が亜美ちゃん好きなのは分かるなぁ』と思って一拍置いて「わかる」って言おうとした瞬間に、
女性1が「亜美ちゃん好きな男はダメな男だわ」と、なぜか突然のダメ出し。
その後の理由も特に無し。

その「女性1」はオタクである事を公言している、ウマ娘をやり、エヴァをリアルタイムで観ていた世代で、セラムン世代でもある、オタクをバカにするエピソードが弊社ではよく出てくるのだがそういう話が出る前に「それ良いよねー!!!」と言って馬鹿にさせない振る舞いをいつもしている。Twitterもやってるらしい。キズナアイちゃんが好きらしい。明るく快活な方だ。アモアスでインポスターになったら嬉々として殺して回るそうだ。

私は職場の口当たりの良い、ふわふわとした会話が苦手だ。差別的な事には理論武装をしているタイプだが、思っても無い方向から謎の拳が飛んできた時に言葉が出てこない。素振りは大事。私は瞬発力よりもきちんと考えた結果で言葉を出したいタイプです。というか考えないと出てこないタイプ。
混乱の最中、いつのまにかその話題は終わっていた。次の話に移ろう。


アツギのタイツの炎上話。
この前ワールドとサンリオが炎上した事につけて、アツギのタイツが結局なぜ炎上したのかという話を知人と話していた。
その時に知人が言っていた言葉がまあそもそもこのブログを書こうと思ったきっかけなのですが。

【企画者が女性だから、女性である自分が発信する事で炎上するだなんて認識が無かったのでは?】という言葉である。
今回のタイトルにもしている。

この言葉を聞いたからこの記事を書こうと思ったのだが、この言葉を聞いて、腑に落ちたのだ。とてもとても。(ちなみにワールドとサンリオが炎上した件も企画は女性だったそうだ)

アツギのタイツの騒動、
リアタイでツイッターランドを覗いていた。
ラブタイツというタグを使い、いわゆる「オタク界隈のノリ」で太ももや股を強調する様な絵が生産されていた。今でも調べると出てくるので知らない方は見て見てほしい。百聞は一見にしかずだ。

大方の支持層である、タイツを履く女性らを蔑ろにする企画であり、盛り上がりばかりに目を向けて「どこをみて仕事をしていた」のかが分からない企画と化していた。
『ネットで盛り上がればいい!トレンド入りしたい!オタク文化なら私オタクだから分かるしな!』という感じだったのかもしれない。と想像している。想像です。

オタク絵に見慣れているオタク、である私は当初冷静に炎上案件を見れていなかった為、何が問題なのかが分からなかったのだが、改めて見返すとこれタイツメーカーがやっていいことなん?成年向け同人誌通販サイトのCMか??と思った。

ただでさえ女は、生きてるだけで男に消費されて疲れているのに。これをタイツメーカーが嬉々としてやるもんじゃ無いだろうと感じた。
その後も燃え続け、女達はタイツを買う時にアツギを積極的に選択しなくなり(私もそうだが、他の友人にも複数名買うのをやめた人がいた)最終的には国内からタイツ撤退というチリも残さぬ燃え滓となってしまったアツギであった。

オタクの女である私からすると「そんなに燃える様なことか?」と初っ端感じた、という事がここでは大事な事である。


次の話に移る。

卑近な例で恐縮だが自分の話、そして大変恥ずかしい話だ。

20歳ごろのミソジニックでホモソ大好きだった時代の痛々しいエピソードなので、自分でありつつ、もう他人だと思う様にしているが、自戒も込めつつの話。

その当時仲が良かった高校生の女の子が「化粧したくないよー」的な事を呟いていたのでその子を励ますつもりで「若い女性は化粧なんかする必要がない」というクソデカ主語を使った所プチ炎上みたいになった。今それやったらと思うと寒気がする。今でもたまにその事を思い出す。

例えばだが「私は若い女性が化粧する必要なんかないと思う」と言えば別に良かったろう。(ちなみに今日現在は、自分の顔面なんだから他人に選択権なんかねえよ、好きにやってくれそれを他人が侵害するなら私も一緒に声を上げるよ、という考えに変わっています)

言い訳として「私は女性なのですが」と弁解した事も覚えている。
私のツイートの端々から、女を見下す言葉を使って居た。私は女性なのにミソジニーだった。男は優れていて女は劣っていると思ってきた。言い訳だが、その様に育てられてきていた。こんな記事を書いていてもおそらくどこかにミソジニーが隠れ潜んでいると思う。それが嫌なので是正する努力はしてるつもりだけど、植え付けられた根は深い。
その騒動ではその高校生の子の「為」に声を発したけれど、結果的に彼女はそれについては何も触れてこなかったのでそれも寂しく感じたのだった。

事の顛末を振り返り、今思えば私がただの馬鹿野郎であることはお分かり頂けるだろう。
誰かの「為」に行動することはあくまでも自己満足でやるべきであると私は思う。
その子とは、今付き合いは無いが元気にしていてくれたら良いなと思う。

話がずれたが、
三点に共通した話がある。
「差別を仕掛けている側が女性である」
という事だ。

とりあえず、「オタク文化を作ってきたのは女性でもある。男性だけでは無い」という事も関係しているのだろうと思う。
セラムンとかアツギとかワールド/サンリオの話はオタク文化圏で起こった事だからだ。
オタクが長い事迫害されてきたという背景もあいまってるのはわかる。

ちなみに弊社では女が女を馬鹿にすることは、そう珍しいことでは無い。いわゆる「女」という「ぶりっ子をする」みたいな「偶像」を叩くことで「私はそういうのとは違うんだという事で、「男勝り」などと言われたりして、「他とは違う自分」をアピールして男社会に馴染む人間もいる、うんざりしてます。

話がごちゃつくが、他の例を挙げてみる。
私はアイドルマスターミリオンライブが好きであった。そこの界隈にいる女性の中には、いわゆる名誉男性的な振る舞いをする人間を見かけたりする事があった。「オジサン」を自称し(ちなみに私も昔やってました…)、男性プロデューサーの立ち位置になろうとしていた。

これは作品の被害者(2022年2月現在、ミリシタではプロデューサーの性別を選べません男のみです)でもあるのだろうな…とは思っている(私は色々あってもう引退してる)。

いわゆる「男性向け」と言われるものを愛する「女オタク」は「女である」という自認が多分薄いのだと私は思っている(そもそも世間の女達も、性別のことを意識している人も少ないとは思うがどうなんだろう。私の周りの非オタクの友達は性別自認なんて考えた事もなかったらしいが。)

とにかく、「己が女である」ことと「差別がいけないことだと社会に浸透してきた」ことと「女性はセクハラに苦しんできた」ということと「オタクは迫害されてきた」ことと、自分が属してる属性、世の中が変わっている渦の中、過渡期の間で、何もかもが整理されておらず、自分の立ち位置すら見失っている、そういう人間、おらんかねと思ったんですよね。ここサビです。

主に昔の自分と、弊社の女性陣を見ていて思ったことではあるんですけど。

女である事と、差別の再生産をする側に属する事は同時に出来てしまう事をあんまりよくわかってないというか。属性に限らず、勿論「男でも女でもそれ以外でも」差別はしてはいけない。のである。人間には尊厳がある。それを削り取る振る舞いは私からすれば最悪なのである(一番は沢山あります)。されてきたことをそのまま返す事は、得策では無い。復讐のつもりなら止めない(良くは無いだろうが、、された事の辛さは人それぞれなので私が何か言える事はない。仮に攻撃されたら防御はするけどもさ)。

1つ目の話も「差別の再生産」だろうと思う。女が好きなはずのセーラームーンの話に男が入ってくるのを除外する振る舞いは「ホモソに女を入れない男の振る舞い」と同じ様に感じた。違うかもしれない。しかし、亜美ちゃん好きと伝えた彼が傷付いているのは事実である。

2つ目の話も「オタクでもあり女でもある人間が企画したから平気だろう」という差別の再生産(まじで誰の目もすり抜けたのか?と思うと分別のある人間がチームにいないってやべえなって思う。弊社も似た様なもんですけどもね)誰であっても差別はいけないのだと私は思う。

3つ目の自分の話も「私は女性なのですが」という見苦しい言い訳。女であるから女に言及しても良いだろうという甘えでしか無い。これはまじの甘えですわ。恥ずかしいわね。


とまれ、自分自身がどんな属性であれ。
「無自覚」「これくらい良いだろう」という風に呪いを再生産する様な振る舞いはすべきでないと私は思う。自覚のある悪意の話はこの記事で取り上げたら収拾つかないのでやめておく。

プチ炎上騒動の時に私は無意識下で甘えていたのだろうなと思う。
「女性という所属である人間が女性に対して発言することなのだから何を言ってもいいだろう」と。本当に恥ずべき事である。

また少し話がずれてしまうのだが一応触れておこう。
オタクイコール男オタクではない。
だが、その様には扱われて来なかったと私は思っている。

女は少数派で、例えば製作陣から無視されていたり(劇場版PSYCHO-PASSの「こんなはずじゃなかったんです。男が観る物語としてどれだけ骨太の物語のSFを作れるかというのでやってたつもりだったんです。ほとんど女性じゃないですか。『萌え禁止!』とか言いながら作っていたんですけど、残念です(笑)」とかね)、
女である事をオタク界隈で表明すると望んで無いのに変にチヤホヤされたり、
何故か叩かれたり、
少年マンガを読む事を馬鹿にされたりした。
クソムカつくな今思い出しても。

だから性別を隠す事を覚えたオタクは少なくないだろう。「腐女子」とばかにされたりもあったんじゃないかなと。
あと女だと話を聞いて貰えないということもあったんじゃないだろうか。私はあった。女だと分かった瞬間に「男である俺が教えてあげよう」という振る舞い。わたしは「男様でござい」と呼んでいる。

なので付き合うオタク友達は選んでいる。頼んで無いのに「女の子扱い」なるものを受けるのが本当に心底むかつく。うぜえ。人間として尊厳を持って接してくれ。あと「女なのにバキ読んでるんだ」「釣り好きなんだ」とかマジでうるせえのでやめろ。女かどうか必要か???

話めっちゃズレた。
他人の事を慮らずに甘えるなという話をしたかったのだ。

でかい主語で大変申し訳ないが、とにかく人類、変革の時なんじゃねえの、と感じたのだ。
わざわざ呪いの再生産をする生き方よりましなんじゃねえのと感じるという話だ。
男が亜美ちゃん好きでも良いんだし、ゾーニングを学ぶ事は必要だし、化粧は好きにすりゃ良い。女が漫画を読むことにいちいちケチをつけるなよ、どんなソシャゲやっても良いだろ、ギャルゲーやっても良いだろ、という話。

私はミソジニーで自己卑下ばかりしていた頃プチ炎上やらかしてる時の自分よりも、今みたいに悩みながら「どうしたらいいんだ」と文字に起こし、どうしたら誤解なく伝わるかを模索し、差別に疑問を発している自分のが幾分かマシに思えている。

他人の選択に口を突っ込むな?
いやいやまずは他人の足を踏みつけてるその足を退けてからだよって気持ちで生きているので。

踏みつけられた(いる)側から声を上げるのは結構大変な事なのだ。
なので、「踏みつけてますよ」と伝える事は必要なのである。
できないこともあるけれど、そういう時はハートキャッチプリキュア花咲つぼみさんの言葉を思い出すのだ。誰かが断ち切らねばならない。
それは他人に強要することではなく、自分のあり方として「断ち切る」という事が必要なのである。

男性同性愛者恋愛行為が好きな自分を「腐っている」と自称する行為、自己卑下をしなければならない環境(したくてしてる人もいるだろうが)から、脱却することはできないもんかなと思っている。

今は別の呼び名があるけど、それでも固執する人も一定数いる。それは多分宮崎勤事件のオタク叩きなども関係しているから女性性の話だけには収まらない。
ただ、女オタクを見下す男オタクの存在がこの話には絡んでくる事が問題の原因の一つでもある事を書きながら気がついた。なんかすごい、すごい人間扱いしてくれねえよなあの人達。私は自分の出来る範囲で他人のことは尊重しているつもりだが。でも人の事罵りたくなることもある。後述する。

話が広がってしまうが、「人を蔑む、馬鹿にする」などの行為を受けた人間は、無意識に同じ蔑みを再生産してしまうのではないかと思った。
これくらい「普通」だろうみたいな感覚がある(先述のアツギタイツの炎上騒動を私は「そんなに燃えることか?」という位に認知が歪んでいた)のではないかと、卑近な例を挙げて思う。

無意識な悪意を自覚できないのは、やはり不誠実である(これはまた余談ですが、私は上記に書いた様な不誠実な人のことをすぐに現実社会で馬鹿と呼んでしまう悪癖があります😐)

理解して覚悟して行う不誠実と、無意識の不誠実は、認識出来てない方が悪辣だと私は思ってしまうのだ。
なぜなら、誠実な人間の誠実さを受け取る事も出来ない、まずその土台すら無いというのは、話し合いすらままならないという、絶望に他ならないからだ。

話がやっぱり滅茶苦茶ごちゃついてしまったし、抽象的になってしまった。

まとまる様な話でも無いし、まとめようという気持ちも今の所起きないので、このままにしておこうと思う。

何か思う所があったら賛否どちらでも良いのですが聞かせてくれたら嬉しいですが、そもそもわたしが返事できるかどうかは分からない(ただし礼節を弁えないタイプの、必要以上に汚い言葉での批判はご勘弁下さい心臓が痛むので)。

誤解を生まない様に、押し告げがましくしない様に、他を尊重すること、他を踏まないこと、言わなくちゃならないこと、言わなくていいこと、何もかもぐちゃっとしてる。言わなくていいことめっちゃ書いてる気がする。

なんとびっくり、6700字もあるのに話がまとまらなくてすみません。
なのに最後まで読んでくださったあなたの忍耐力と誠実さにとにかく感謝します。ありがとうございました。

冬だもの

色々あってどうしようもなく塞ぎ込んでいた。今も本調子では無い。
寄りかかってもいいと思っていた人間に辛辣な態度を取られて(塞ぎ込んでたので辛いと言うのが精一杯だったので相手側が認識できなかったという言い訳だけしておく)泣き面に蜂となっていた。
私はただ生きるのを頑張っているだけなので強い人間では無い。大雑把だけど繊細な人間だと自認してる。むしろ弱くて繊細なのですぐに傷付いている。

特に家族の話はしんどい。とにかく話す相手を選んでるつもりだ。PMSは辛い。何もかもが沈む材料になる。
他人に期待をするな。希望を持つな。信じるな。所詮人は一人なのだと言い聞かせないといけない。人生が無理になってきてる。生きてるだけで辛いという気持ちだ。

なんとか辛かった事を「辛かった」「辛い」と泣かずに言えるまで回復した。
メンタルは大事にしよう。
まだ回復しきってないので、余計な家事をしないで済む様にしてなんとか凌いでいる。


そんな中ゲームと本の話。
ひさびさに好きなメンツでスプラをやった。
めっっっっっっっっっっっっっっっちゃ楽しかった。
ボイチャに入らなかったけどカモンで全てを理解できる関係が素敵だ。

最近プラベに混ぜていただく人達の中(友達の友達つまり他人)に「聞いてないのに教えたがりで教えてくるけどぶっちゃけそんなうまくない」男性と「めっちゃ声が高くてデカいら昔ながらのオタク的籠った喋り方をする」男性がおり、
一緒にプレイするだけで変に疲れてしまい離れていた。ゲームを一緒にやるメンバーは選んだほうが良い。選べないなら一人でやる方がいい。
疲れる他人と馴れ合う為にゲームやってるわけじゃねえしな。
そんな訳で昨日はそういうストレス無くプレイできたのがめちゃ良かった。10勝2敗は気持ち良すぎる。エリア管理してるだけで前衛が前出てくれてそれにキャリーされてればいいだけって最高である。
ゲームしてると自分の事がよーわかるなと思うが、結局私は花形の表舞台では無く、日の当たらない所でみんながやりやすい様に物事を管理してるのが好きなのである。
ラスヒやキル数が欲しいのでは無く、味方全員が殺りやすい環境を作りたいのである。
それを理解してくれる人が沢山いるとやりやすい。裏取されて苦しんでると味方が助けてくれる環境って最高である。
人生もゲームも助け合いであって欲しいもんだなと思う。

ユナイトの話。
ハピナスとニンフの二足の草鞋でやってる。
ニンフィアの良い所は耐久が強く逃げ足の速い所である。
これまたどちらもラスヒを取るのが目的では無く、味方が動きやすい環境を作る為の子たちである。ニンフで前線ゴリ押しする人もいるし、隙あればそういうのも狙うけど、そういうことをやりたいというわけでは無い。ハイパーボイス派が多いが、私はマジカルフレイムのが好き。確定で技が当たるのってやっぱ強いですよ。オバフロと同じく引き打ちしてるのが強いと思う。
引き打ちしてれば相手の攻撃は当たらない。エスバとかジュナとかの長射程には負けるけど。ゲンガーとうまアブソルも無理だけど。

本の話。
人生が無理な時には本を読むと良い。

桜庭一樹「少女を埋める」
牧村朝子「言葉の向こうに旅をして」
牧村朝子「ふつうにふつうのふりしたあとで」

を、読み終えた。最近本屋にも行ってなかったのでふらりと出向いたらまきむぅと桜庭一樹氏の新刊が出てたのでウキウキしながら買った。
牧村朝子さんの言葉には誠実と希望が乗っている様に感じるし、桜庭一樹氏はつっかえながら人生の歩を進めていく人間の弱みと、それでも生きていこうとする強さと意思を感じた。
少女を埋める、まじで面白かった。面白かったということばは適切では無いのかもしれない。でも興味深く読んだ。田舎と都心の価値観の違い、誤読とSNSを巡る物語。自分もその議題に乗って喋ってたな…という事を思い、この世界が繋がっている事を感じた。

ふつうにふつうのふりをしたあとで、読むのが辛かったりした。これもまたアタシ再生産なんだよなという事を思った。

言葉の向こうに旅をして、まきむぅの誠実さにあふれた文章に触れると少し元気になれる。そういう本だった。

本は良い、最近良く読んでいる気がする。
そういえば寄稿したなつかな本が届いたので読んでいるけど楽しい。なつかなっていいな。

スタァライトのオケコンに行ってきた。
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