のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

「少女を埋める/桜庭一樹」読んでしまった感想文

SNS隆盛期の現代だからこそ生まれた作品であると読みながら感じました。自伝的小説。
いつも行く本屋さん(個人書店で配本の好感度がすごい。ヘイト本が少ない。フェミニズムの本や差別と戦うタイプの本がずらりならんでいる)の一番目立つ所に配本されていて、「おっ、新刊だ。どんな話なんだろう』というかんじで、帯を見て買うしかないなという感じで即買って即読んだ。
装丁と帯で、「女性に手に取ってもらえる様にする」工夫をされたそうだ。

作品としては、一部が自伝的小説、二部がそれを受けて書かれた書評の誤読を巡るSNSと出版社の話、一部の話を二部で俯瞰して読めるという中々面白い作りになっている。

とりあえずここまで戦い抜いた著者の桜庭一樹氏に、肩に手を添えてそっと労いの言葉を掛けたい気持ちになった。

困難を目の前にして、(批判もかなり多かったし失った物もそれなりにあっただろうが)切れるカードを使い、粉骨砕身戦い抜いたその姿勢はすごいことだと思った。影響力のある人間の発言だから、書かれてる以上に反発もすごかったろう。
実は第二部に書かれている内容については、私もSNSで言及していた。作品と自分の話が現実世界でリンクするという経験は多分初めてで中々貴重な経験をしたと思う。

私は桜庭一樹氏の作品のファンであり(全ての作品を読んでいる訳ではないが)推定少女や砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないや、私の男など、家族や閉鎖的な空間で起こる人間模様。美しくもあり愚かでもあり、ときたま猛烈に読みたくなっては本に手を伸ばしている。
今回の話は読んでて辛かった。
何が辛いって、自分の親類縁者のことを思いだすからだ。

昔住んでいた都会の土地から、親に振り回されて見知らぬ田舎の土地に住み移り、差別され、近隣からいじめられ、侮辱された過去を思い出したからだ。私の心には癒えぬ傷があるのだと気が付いたのは本当に最近の話だ。過去を掘り下げると、過去が襲ってくる。子供が居るのに子どものことを第一に考えられないのはACだなと思う。ACが愛情の見返りに子供作っちゃあだめだよ。世界が不幸になる。人類は皆今いる人を残して人類は終わりにした方が良いとつくづく思う。子を成す、子を成した人達はそんなに世界が希望的に見えるのだろう。すごいなと思う。過去を水に流すことなど出来ない。嫌だった、それを口に出せなかった、出しても許されなかった。子供時代は家に居付かない事で居場所を得ていたのかもしれない。分からんけど。
楽しかったこともあるけど、辛い事も多かった。なんにしても、子供時代は何を考えてもどうにもならなかった。厳格である事を求める呪われた自分の心と、そんなもの要らないと思う子どもの自分の心が二つある。言語化出来ないでいた苦しみが今もまだ沢山ある。

そういう事を思い出した。
相反する感情を抱えて生きている。
簡単に「憎い」と言い切れるのならば、どれだけ楽だろうか。



従わないし、出ていかない。
苦しい時は正論に縋る。
良い言葉だなと思った。
相手を慮る事も勿論大事なのだが、言わなきゃいけない事は言わなきゃならないのだ。それが自分を守るということだと思った。

正しいことを正しく伝えることだけが正しい訳でもないけれど(すごい対象がデカくて申し訳ないが)、「正しい」という事は常に「多数派」に押し潰されている人間達の防護壁になると思う。

小説ではなくてツイッターの話だが、小さい主語で話を聞いてくれる人は恵まれた人だという主張を見て「なるほどな」と思った。

本当は使いたく無いけれど、私も言葉が通じにくい人には「普通」「みんな」とかを使う。強い言葉を使えばその分反発も強い。だけどそれを覚悟の上で強い言葉を使うなら、それはそれで選択なのだろうと思う。



牧村朝子さんが昨日紹介してた記事を共有する(noteだけど…
https://note.com/takuro_/n/nf846d96de097

無自覚に「自分が一番正しい」と思って生きてはならないという事を思う。言葉には責任が伴う。難しい。難しいけれど思考を止めてはならない。
この記事で言う所の「本当のこと」というのは、少女を埋めるで言う所の「正しいこと」の亜種だと感じる。ニュアンスが違うけど。いや、なんかちょっと違う気がしてきた。忘れてください。いずれにしても良い記事なので読んで欲しい。

人に接すること、尊重しつつ正しさを伝えること、言葉を大事に使うこと、そういう事を感じた。
社会的なことは個人的なこと、という言葉が好きなのですが、そういう事を思った。
最近茶飲み話で会社の話をしていると、いつのまにか社会の話になるし、友達の話をしていたと思ったら、社会の話になっていた。


これは理由が全くわからないのだが、読了感がなんだか知らないが薄気味悪い感じなのだ。うっすらとした猜疑心みたいなものを、読み終えても感じている。自伝的、だから、どこまでが本当かわからないから、なのだろうか…。正直本当に分からないけれど。