のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

ポケットモンスターレジェンドアルセウスの話 知らない事を知ることについての自分の主観も含めての話

ゲーム本編のネタバレをふんだんに含むいつも通りのオチのない話をします。

アルセウスをはじめた。
自由度が高い。
こういうポケモンやりたかったんだよ!!!!って感じ。

崖の上に登ったり、行けそうもない所に行けたりするのが楽しい。ここもしかしていけるんじゃね!?と思いながら行った場所にポッチャマがいた。ここ抜けられるんじゃね?!という峰の先にレアなアイテムがあった。あと絶対ここ伝説ポケモン出るじゃんっていう場所があった。
イーブイの出現場所はたくさんのお花が咲いているところだった。かわいいね。
まだシナリオをやっている最中だが、既に色違いポケモンに出会えた。すごく嬉しかった。確率下げてたりするのかな。

ポケモンセンターに行かなくても回復できる、ボールを作れる、いつでも技を忘れて覚えられる、進化モーションをきせきもたせなくてもキャンセルできる、進化のタイミングじゃないと覚えない技とかいう縛りがない、ポケモンと触れ合える、ポケモンから殴られる、楽しい。めちゃ楽しい。シナリオは恐らくあと一匹でクリアできる。ディアルガパルキアはストーリーに絡んでくるんかな。
今までのポケモンシリーズの知恵を集約した結果のゲームだ。おそらく一人でプレイしても全種類コンプリート出来る様に作られているのではないかと予想している。ゲームとしてはひたすら楽しい。こういうポケモン世界を望んでいた。

PMSで落ち込んでしんどくて苦しんでいたのだけどお陰でだいぶマシだった。
ただひとつだけ嫌なのは鞄拡張屋が暴利を貪ってる事である。
彼一人のために、お金が足りなくて困ってる。金策をもっと楽にするか、安くするかして欲しいなどと思った。

閑話休題

ゲーム内脚本の話をしよう。

あらすじだが、
アルセウスの主人公は異世界転生してきた人だ。ヒスイ地方はポケモンと共存するというよりも、野生のままのポケモンが野原にいて、ポケモンと共存するべく四苦八苦する人間達側からの物語だ。
なんと言っても野生のポケモンはかいこうせんを打ってくる恐ろしい国だ(音が特徴的なのですぐにわかる)。

『空から降ってきた余所者は存在感を示す事で、怪しい人間でないことを示さなければお前の居場所は無い、お前がここに認められる為には、戦い続けるしかないのだ。』
そんな様な意味合いのセリフを、繰り返し繰り返し主人公である自分は言われる。

得体の知れないものは怖いものだと、ポケモンは恐ろしい存在だと何度も何度も言われる。
それはヒスイ地方の人たちが恐らく「そういう」目に何度もあってきたのだろう。

だか、異世界転生をしてきた我々は知っている。ポケモンは恐ろしい存在でない事を。
ポケモンは相棒として、我々のそばにいてくれる存在であることを。怖い存在ではないことを。
だからこそ、ポケモン達の為に、自分の為に、戦うのである!!

……というメッセージなのだろうなと、そう思っている。
「知らないという事は恐れるということ」
という人間の真髄をつく話だとは思っている。

ただ正直、少数派たる人間達は、なにもしていないのにも関わらず、多数派たる人間から危害を加えられるという、存在しているだけなのに、日常的にマイクロアグレッションをされて、虐げられる、認めたいなら「それなりの態度を取ったら?」と言われる事、そういうことを思い出さずにはいられないシナリオだ。

日常的に他人から無意識に虐げられる立場、とみにホモソでミソジニーな弊社に於いて常に反論を持つ立ち位置で生きている人間なので、正直シナリオがしんどい。

ヒスイのポケモン達がこちらに向かって牙を剥くのは、推察するにそれだけヒスイの人間達から敵意を向けられているからなのだろうし、人間達はポケモンに傷付けられたのだろう。
お互いに自分の生命を守ろうとしているだけなのだろう(ヒスイの人間と、ヒスイのポケモンの間を取りなすのが、異邦人たる「主人公」の存在である。なんせ、主人公はポケモンが恐ろしい存在でない事を知っているから、その為に働くのだろう)。

つまり、この冒険をする我々に向けてゲームフリークスからのメッセージを推察するに、
「知ることが肝要」という事なのだと思う。

知らぬ事を知らぬままにせず、知らぬ事を知る努力を怠らなければ、知る事で知らないことが減り、知っていれば対応方法もわかる。
知れば恐れも減る。
世界を結びたいのならば、
知らなくてはいけない。
多分アルセウスはそういうことを言いたいのだなと私は理解した。


変化の激しい現代である。
良い時代になっていると思いたい昨今だが、それは私が学ぶタイプだからその様に思うだけかもしれないという事を、学ぼうとせず受け身で居続ける弊社の人間を見ていると感じてしまう。
誰かに教えて貰わなければ分からないという立場にあぐらをかいているように見える。
まあ困る事がないから勉強しないのだろう。そういう人たちに絶望しているし、常に苦しめられているが為に、やけっぱちな言い方になってしまってる自覚はあります(弊社がいかにホモソでヘイトスピーチ蔓延る会社なのかは過去の記事で参照頂けると幸いです&書いてないけど最近メンタルをゴリゴリ削る重大事件が起こりましたのでな…)。

「やりにくくなった」と言い、「自分達が居場所を奪っていた」という認識はゼロ。
都合の悪いこと、理解出来ないことは全部「キモい」で片付ける人たち。

そうなってはいけない。知らないからといって、学ぶこともせずに表面や都合の良い情報だけを掬い取る人間になってはならない。私はそう思う。
コトブキムラの人間達は、「知ろう」という姿勢の元、ポケモン達と共存しようとしている。

現代社会を生きる我々は、コトブキムラの人間達と同じ様に、「恐れている事を学べば畏怖を減らす可能性が生まれる」のである。


個人的ないつもの話になるが、
今年は学ぶ事や勇気を持つという物語によほど縁がある。そういう作品が表舞台に出てきているという風に捉える事もできるし、自分のアンテナにそういう作品が触れる様になったと捉える事もできる。

しかし、やっぱりシナリオしんどいっすね。
居場所を得るために戦え!と他人に言われるのって(背景的に仕方無いとはいえ)ゲームの中に楽しみを求めて行ってたのに現実の辛さをビターン!って置かれる感じ。
真実を知る者に全てを強いるその感じ。
現場に投げる感じ。
剣盾のシナリオは「子供は守るものである」というメッセージがあったけれど、アルセウスは「戦わなければ死ぬ」という、例えるならばこれは進撃の巨人の世界である。まあ実際ヒスイ地方はそういう地方なんだけどもさ。

多分、ポケモンというネームバリューや、今まで積み重ねてきたものとはちょっとイメージが違うので戸惑っている部分もあるっちゃああるのかもしれん。



うまくまとまらんかった。日にちを跨いで書いたのが悪かったけど推敲する気力が無くて非公開になりそうなのでとりあえず公開します。
今日も帰ったらアルセウスやるセウス。

イカゲームとオッドタクシーを見たという話 ネタバレしかない グリーンブックの話も少し

イカゲームとオッドタクシーを観ました。
どちらもネタバレ満載で書きます。


まずはイカゲーム。
ネトフリ契約してる人がいたのでその人に相乗りさせてもらった。
日本のよくあるデスゲームと何が違うんだろうと考える。

全員等しく死ぬ。
若い女性が愛玩のお人形として出てこない所、
女も殺す側であること、
女も主役であること、
女だからと笑わないこと、
辺りだろうか。

見ていてモヤモヤする描写はそんなに無かったと思う。クソ男とクソ女には大層腹が立ったけれど、同様に等しく「性別を振りかざすタイプのクソ人間」として書かれていた、どっちもクソ人間という事が大事なのだ。
ただ、性別に乗っかるクソ女のクソっぷりがパワハラ女の事を思い出させてたまに動悸がした。

結局、気にならないという事は、それだけ気を遣って作られている作品だという話だ。韓国のエンタメはすごいんだよな…。

日本の作品って予告の時点で辟易してしまって見ない事が多いのだけど、良い作品もあるのだろうとは思うが。

日本のデスゲームだとバトルロワイヤルとか悪の教典とかになるのかな。
(真っ先に名前が出てきたのはカイジだけど。カイジは実写のオリキャラの女is誰?って感じだった気がする)

どっちも本は読んだけど、映画は悪の経典しかみてないな。映画の悪の教典は血飛沫!!!!って感じで余り好みでは無かった。貴志祐介作品のどんどん追い詰められてページを捲る手が止まらないあの感覚。

人生に疲れたので読もうかしらね。人権のこと考えるとこの世からドロップアウトした方がマシだと思える。尊厳のある死とはなんだろう。



オッドタクシーもみた。
一話のオープニングの時点で「猫と鳥は存在してるんだな」という話をしながら見ていたし、自分らのことを「人類」と称していたので、これはそう言う表現なのかな。という話をみながら鑑賞していたので、ズバリ真相であった。
まあ、元々伏線がすごい作品と言われていると色々深読みはしてしまうよな。概ね面白かったけど、別に映画は観なくていいかなと思った。
一番面白かったのは小戸川さんは「自分が本当に猫に見えているものが動物なのか人間なのかが分からない」

後、作品の端々からオジサンの匂いがした。

男なら稼ぎたいと思うとか、
婚活サイトに登録している18歳と結婚しようとする41歳の年収を虚偽をするオジサン(しかも女慣れしてないという描写で、オジサンを周りで笑うの女性ばっかだったし女は陰険と言う描かれ方だなーと思った)
41歳のオジサンが28歳の美人のアルパカに好かれるだとか、
「まだ女はダメか!!」とか突然アルパカの事を属性で呼び出す剛力先生とか(あれはアルパカの事が気になってるからで良いはずなのに突然女全てに言及するのは製作者を感じる)、
女は美人局やらで主要な所に噛んでこない所とか、
パワハラまがいの漫才の猪のおっさんが言葉も尽くさず突然お前やないとダメなんやと泣き落とし始める所とか。

人間のダメさみたいなのを書きたかったのだろうが、(承認欲求の塊で己のしたいことも分からないくせに苦しみだけは一丁前に語るカバとかね。そういえば癇癪を起こして女に当たり散らかしてたけど女は人気のYouTuberと寝るだけでその後は出てきては無いね)作品を作る人間たちにとっての「人間」は「男」なんだろうなと思った。

いやいやミステリーキッスいたじゃんって話ですけど、重要なピースではあったとは思うがしかし、あくまでもピースの域を出ない。お風呂のシーンも唐揚げのシーンも省略されてたのに突然出てくるし。(書かれない美しさもあるからそういう了解なのかもしれない。でも端折ったんかなと私には思わせられた)

アルパカは途中までよかったのに突然小戸川氏が「アルパカの事を許してやってくれ」という立ち回りになったことで庇護される対象としての存在が膨らんでいった事残念に思う。

「男」として生きてれば良さがわかるんかな。私には意味不明だった。ホモソボーイズクラブによくあるデカい主語とか雑な扱いとかで仲良くなろうとする奴なのでは?と思ってしまった(私はそういうコミュニケーションで人と仲良くなる事はしないし出来ないししたくないので想像の域を出ない)

女は小戸川母以外は概ね美人に描かれていて、作画コスト割かれないんだねー(しろばこで手に入れた新たな観点)と思った。

カバの所めちゃ良かった。
あの「一切人の話が入ってこないタイプの人間」の書き方が秀逸だった。態度だけの人いるよね。「セミナーじゃねえんだよ」的な言葉はなるほどなあと思った。自分という人間を認識する努力を怠っているから他人も同じように認識しない。とにかく何をしたいのかが分からない人間と喋る時が一番疲れる。自分と違う意見であろうが、意見を「持っている」人間のが好きである。何のポリシーもなく「なんとなく」差別する人間達に絶望している。樺沢は分かりやすい「悪」を見つけてそれを利用したけれど、彼は自分の心を手に入れられていないと思った。 


まあ全部個人の感想なんで誰かの好きを否定してる訳ではないのでこういう視点もあるなーと思って貰えれば。
クソでかい主語でいうなら「本邦のエンタメはあんまり肌に合わねえな」という気持ちです。
なんていうか「男だけが人間として生きている、女の人生は添え物、男がいないと全てがどうしようもない」みたいなの多くない?
前に観劇した話で「人間のダメさを書こうとして男女差別の構文で女を人間扱いしてなかった」というのがあってその時は劇団に「ひでえ脚本だったすね」と感想を送ったことがあったのを思い出した。

現実問題、女の人生は創作物の世界ですらそのように扱われる。
現実を生きている女達を蔑ろにしながら。


好きじゃないものにこそ自分の考えが表れるなと感想を書きながら思った。多分期待がデカかったから余計にモヤッとしたんだと思う。



グリーンブックをみてから一週間くらい経った。
辛さがだいぶ消化された。
結果、
心の中に「勇気」という言葉が残った。
勇気を持ちたいと思った。

2022年の目標とグリーンブックの感想。

結局この話途中で終わってたので、続きの話を書きます。

去年の目標は「つみたてニーサを始める」だったので、無事に達成できたので良かったと思う。

DCも満額やれてるし、今度弊社iDeCoも出来る様になるとかいう噂もあるので節税頑張りたいですね。老後資金ーーーー。老後資金なーーー。
ちなみにDCも黒字ではありますが下がり幅が激しい。一喜一憂してもしゃーないね。

本格的に節税するなら家を買えという話もあるが色々あって家は選択肢として今の所買えない。
そこに関してはどーしようもない。
社会がマシになるまで健康寿命を伸ばしたいと思うけど、日本は終わりに向かってる気しかしないよね。政治が終わってるよ。給料を上げるか、消費税無くさないとこの国はどんどんおしまいになる気がするね。出来る事をやろう(他人にしいてるわけではない)


そんな訳でゆるふわ今年の目標の話。
私はお金が好きです。

株主優待を貰える位の投資にチャレンジする」※無理に100株〜買う事を目標にするとちょっと怖いけど最終的に辿り着けたらいいなとは思う(しかしJTの株はおそらく買わないきがする)

「目標の資格を取る(国家資格の方はやる気が出たらやる)&更新終わらせる」
※勉強は大事。本を読み知識を深める事も本当に大事だなって思う。でもゲームもしたい。時間が足りないわね。ちょいちょい問題解いたりしてるけどもだんだんわかる様になってきた気がする。反復って大事だね。

「お金の勉強をする」
※子供の頃「日経平均株価ってなに」「トピックスって何怖い」って思ってたんですけど勉強するとそんなに怖いもんでもないことが分かって良かったなと思う。ニーサ枠以外でも頑張ってやっていきますわね。そういう関係の本も読みましょうね。

「無理だなと思った人間と無理に付き合わない」
※好きな人や好きなゲームで遊ぶ時間を増やしたいという気持ちです。人生の時間は有限なので、気を使いすぎる関係にある人と喋って疲れたりとか、差別を平気でするかつ(言葉に出さなくても)態度に出てしまう様な友人とはもう付き合わないことにしました、付き合わないと決めることも辛いけれど、心を守るために必要なこともある。差別されたくない。
無関係の他人に傷付けられるのと、仲が良いと思っている人間に傷つけられるのは、傷の深さが全然違うんですよね。不思議だけど。

「自分の気持ちを言語化し、他人へ伝達をする」
※「私はこう思う」という主語を用いて、差別侮蔑偏見と戦っていきたいという気持ちがある。

今度、「女の敵は女」「女は陰険」と仮に他人から言われたら(職場想定)「私この部署の皆様敵だと思った事ないしむしろ味方ですけどあんたは何様ですか?」だとか「女が陰険かは知らんけど、部活のしごきで男の顧問から学生殺されてる事件ありますけど男は陰険じゃないんですか?」と返す様にしようと思う。はーくそ。世の中はうんち。
言われっぱなしは性に合わん。性に合わんので差別や人権を損なう事柄にnoと言いたいのだ。
他人がどう思うかは怖くない訳ないけどさ、それよりも自分の思う良いと思われる事柄についての意識を大事にしてやりたい気持ちがあるんですわな。後は損なわれている渦中にいる人間は自ら声をあげることは難しいからこそ、別の人間らが言わにゃいかんことが世の中にはごまんとあるのでよ…。
他人はどうあれ、自分はこう思うという気持ちを大事にしたい。


とりあえずそんな感じ。
早く任天堂の株主になりたいがしかし、現在株価めっちゃ下がってるので怖すぎる。
ニーサの含み益もめっちゃ消えてて怖いがまあまだ赤字ではないし。ただし下がりっぱなしというのはそこまで確率として高いわけでは無いのでニーサもイデコも相変わらず放置です。



冬は命を削るなと思ったので冬の活動は無理しないことにした。具体的には無理な早起きとか(釣りは別)、寒い中薄着するとか。
会社行く時もこれでもかと厚着してる。とにかく心臓に負担がかかる事はあんまり積極的にやらないことにする。階段駆け上るとかね。




グリーンブックを見た。
余りにも辛く、そして辛かった。
ヒューマンドラマ系の作品はとにかく体力を使う。映画館では中々観れないと思うので配信はありがたい(逃げられないので)。

マイノリティに属する人間ほど丁寧さが求められる。非暴力で無ければならない。丁寧さを欠いてはならない。何か言われてもカッとなってもいけない。眩暈がする様な事柄のオンパレードだった。

差別をしている側の人間が「俺の方がずっと差別されている」と、突然開き直るの凄い見覚えがある。「自分の方が辛い」と提示する意味って無いよな。
人には人の乳酸菌だもの。

各々の辛さを張り合うことに意味は無く、ただ受け入れ合う事が必要である。ただ、彼が受け入れられなかったのは「自分が黒人のことをニガーと呼んで嘲笑していたから」なので、やましいことがあるから反発したくなったのだろう。

あの作品の救いは、ドクとトニーが友達になったこと。そして、ドロレスが分かっていたこと。
トニーは「ニガーはよせ」と言える様になったことであろう。

トニーは「半分ニガー」と「馬鹿にされた」事に憤り、殴った。
それはドクの為と虚勢を張っていたがそんな事はない。彼は自分の為にしか動かない人間だった。トニーがイギリス系アメリカ人という立ち位置だから、トニーにも思う所はとてもあるのだろう。
だけど、それに立ち向かうドクを彼は「そういう社会なのだから仕方が無い」と「まあまあw」と捻じ伏せる。差別される側の人間がマジョリティに組し、いわゆる「弁えている側」着く。白人男性であればそれだけでマジョリティになりうる素質があるから。権力を振りかざす。見た事ある呪いの再生産ですよ。自分さえ良ければ、あるいは自分が諦めている事に声を上げる人間を押さえつけてしまう人、いるよね。

クリスマス。静かなドクの部屋と、トニーの騒がしい部屋の対比があの二人を物語る。
絶対に嫌な思いをすると知っていて、あの部屋に出向く(トニーだけは歓迎してくれるだろうが)のは、ドクの勇気が眩しかった。私は傷付くのが怖いから、きっと同じ立場であの場所へ出向くことは出来ない。

勇気か、全てにおいて勇気が必要だ。
後味良く作らない事が社会への問題の投げ掛けである。自分ごととして捉え、勇気を持ちたいと、そう思える作品ではあった。
ただ、しんどかったし昨日見た作品なのにまだしんどい。

ポケットモンスターブリリアントダイアモンドクリアしました

正直グラが好みでは無かったし途中で「これもしや炎ポケモンほぼいないな?」となり、多分炎タイプ無しでシナリオクリアした。初めての経験だった、炎タイプというだけでパーティに入れがちなので。
とかいうネガティブな話かと思いきや、楽しかったって話です。とりあえず殿堂入りはしました!

未だに赤緑とBWの楽しさを引きずってる人間なのでどのポケモンやっても「新規少ないな?」と思ってしまいがちな所はある。
ましては途中で積んだ作品のリメイクなので楽しめるのかイマイチ不安だった。

しかし今作、とにかくジムリーダーと四天王戦がめちゃくちゃ面白かった。
何が面白いって「ここはランクマッチか?」というくらいのガチパを使ってくる所である。

だって雷のジムって言ってるのにオクタン出すとか今までなかったよ、わくわくしかない。
おおきなねっこをもってひたすらドレパを撃ってくるルカリオにしてしてやられてびっくりした。

今回はパチリスを手持ちに入れたのだが、パチリスは天使のキッスとほっぺすりすりを覚えるので超絶優秀だった。
後はドタイトスを選んだのだが、やどりぎのたねを採用した。あと持ち物はせんせいのつめ。やはり、入れ替えられなければ定数ダメージが出せるってすごい事だなと思った。最後のカブ戦でもやどりぎで削ってムクホークブレイブバードでぶっ飛ばした。ムクホークはアタッカー枠としてするどい爪を持ってもらった。マジで助かった。

シロナさんにぼろ負けしたのでユキノオー入れたのだが、ユキノオーのおかげで多分襷は潰せてるはず。ゆきふらしはふぶき必中だし、ソラビは1ターンで起動できる(って教えてもらった)。もちものはたべのこし。

ピンプクの進化条件を間違えててレベル61のピンプクを連れ歩いていた。漸く進化させて、マジカルシャインひかりのかべ、天使のキッス、だいもんじを覚えさせた。初の炎技。ひかりのねんどを持たせた。

フローゼルにはぼうえんレンズを持たせてドロポンとアクアテールの命中をあげた。旅の間とてもお世話になった。

前評判の通り、シロナさんがめちゃくちゃ強くてしんどかった。使ってるガブリアスがメスだったのでニコニコしてた。定数ダメージって偉大だなと思いながらやどりぎのたねに感謝した。なるべくネタバレというか使ってるポケモンを調べない様にしたけれどもオタクの知識として無論ある程度は知ってしまっているもので(シロヒカ好き)。
好き!!!!!!!ってなった。めちゃスクショした。

これでアルセウスにとりあえず挑めるのでよかったです!

誰が好き好んでこんな話をしたいと思うんだよ。私はしたくないよ。

問題が多岐に渡りすぎててうんざりしているのだができる範囲で紐解いてみよう。

おねがいマイメロディとイッツデモがコラボすることになった。コラボ商品にはマイメロのお母さんの毒舌な言葉が踊り、現代社会においては差別を助長する様な言葉であった。2005年放映のアニメであるから、今の時代になったらその価値観がそぐわないのはまあそうであろう。16年前って、0歳が高校生になるんやぞ。あのアニメはとんがっていたことだけは知っている。友達にも勧められた記憶がある。

男も女も「らしさ」の押し付けの様な言葉がずらりと並んでいた。それは単におねがいマイメロディのコラボなので作品を知らない&買わない癖に文句をつけるとか勘弁してくれ、という言論と、時代にそぐわないからやめてくれよ…、という言論が持ち上がっていた。

私はイッツデモの商品が好きで特にポケモンコラボがはじまると初日に出向きウキウキしながら大量に商品を買うタイプのオタクである。可愛いし実用的だしコラボを企画してくれたワールドと株ポケには大変感謝をしている。御三家もイーブイも季節ごとのやつも全部好きだ。化粧品もたまに買う。ちょっとしたプレゼントを買うのにも重宝している。素敵な店です。

私は男女差別を煽る言論が嫌いだ。例えイッツデモが好きだからといって擁護するのは信義にもとる(ちなみにサンリオは人並みに好きくらいです。ポチャッコとポムポムプリンとクロミちゃんが好きです。サンリオはそこまで刺さるタイプの子が沢山いるわけではないが好きな子は好きという感じなのでギフトゲートにはたまに行く)。

という訳で、「御社の商品好きなのだが、差別を煽る様な商品をこのまま何の声明もなく販売されるならば、主導がどちらだったのかが分かりませんが今後は買い控えをするのでどちら主導だったかを教えてほしい」的な意見を送った。返信も先ほど来て、販売の方が中止になったとのこと。

正直安心しました。私は白黒つけたがり人間(極端に潔癖すぎるのもいかがなものかと思い少しは変えようと努力している最中)なので、白黒つかない対応をする企業の商品は買わないことにしてる。顧客には選ぶ権利がある。ユニクロとか無印とか幻冬社の商品は今後は買わないと決めている人間だ(詳しくはググってください)。既に買ってあるものは使うけども。できることなら普段から買っている店には清廉潔白であって欲しいと常日頃から言っている。だから、答えによっては今後一切使わないつもりであった。

逆にお願いマイメロディが好きな人からすると嬉しい商品だったのだろうなとは思う。だって2005年のアニメの商品が今出るって人気がなきゃ出来ないことだと思う。
ただ、現代社会にあまりにもそぐわない言葉であったと私は思う。それが店頭に並ぶのは、「コラボだから」許されると思ってしまったのかもしれない。問題がなければそもそもこんな風に言論に上がることすら無く終わるだろう。(私は好きなコンテンツだからといって差別を助長する様な言論があったらそれに関しては擁護しないタイプかつ意見を送った後に変わる気配すら無ければコンテンツに見切りをつけてしまうタイプなのであくまでも憶測にしかならないが)コラボでも慎重にやったらよかったよね。今は2005年では無いし、おねがいマイメロディマイメロディの区別なんかついてない人間ばかりなのだし、見た目の可愛さだけで買う人間だっているのだしね。

という、そういう話でこの話は終わりで良かったはずなのだが。



相変わらずツイッターは地獄の釜である。
ここでまた新たな話が出てきた。

「コラボが中止になったのはフェミ(ニスト)のせいだw女の敵はやっぱ女w」

だのと、ここに書きたくもない様な侮蔑や差別や分断を煽る言葉に塗れていた。みてるだけで動悸がする(スマートウォッチに記録されてた)

女の敵は女って何ですか?
私は女(女とも思ってないが)であるが、女性全体を敵だと思ったことはないですが。

性別にしかアイデンティティのないクソ女にパワハラモラハラされたことならあるけどもな。私の様ないわゆる「女の子らしい」振る舞いをしない女のことが憎いタイプの女だったなあのくそ人間は。

そういえば昔から、女だけの場所は怖いぞ、などと会社でも呪いを植え付けられていたなという事を思い出した。ちなみに私はでかい主語で言うならば男の方が嫌いです。人のことすぐに品定めしてくるし。でもでかい主語が嫌いなのであんまりこういう言い方は好きじゃない。

女の敵は女という言論を広めてトクをするのは誰だ?女同士の連帯を挫き、女を掠め取ろうとするのは誰だ?と思う。
女はドロドロしてるとか、女は腹の下で何を考えてるかわからんとか、そういう言論を持ち出し分断を煽る人間が分断させて女を挫こうとしてるんじゃないのか?と思う。お前こそ女にどんな幻想を抱いてんだ?と思う。(さっきツイッターで見かけてなるほどなあと思ったのは「男が部活のシゴキで殺されても男の集団は陰険とは言われないし、女がDVで殺されても男は女の敵とは言われない」という言葉なのだが、確かにその通りだなと思った。言われるまで気が付かなかった。)

私は私の好きな女達のことが好きである。それは一方的な感情かもしれない。
いずれにせよだが、私の好きな人たちを勝手に部外者の人間が敵にすんなよと思う。

その言葉を発する人間は、なにをしたいと思ってそれをしているのだろう。
冷笑したいんですか。そうやって女たちをいがみ合わせて、不幸にするのが楽しくてしょうがないのか、分断を煽ることで何をしたいんだ?何を得たいんだ。
地位なのか、結束なのか。はたまた男らしく女らしくと言う差別が罷り通る事を是とする社会?いいねの数?承認欲求?
発言の目的は何?その意図は?

販売会社側が「売らない方が良い」と判断するに至ったならば、それで「残念だけど仕方が無い」になるのではと思う(私が上記に書いた様な思考の人間だから、だが)。

ただ、「敵」だのと、高みの見物を決め込んでいる人たちは何がしたいんだと思う(販売されなかった事を残念がっている人の話では無いです)。

私は性差による差別の無い社会が欲しいと思っているからそのための発言をしています。
ぐったりするよ。

敵ってなんだよ…。二分すんなよ…。正義中毒って何?自分の思った事があるなら自分の言葉できちんと書けばいいじゃん、なんで「人に言及する」ことばかりに腐心して「自分の言葉」で「自分の意見」をしゃべらんのよ。
正義を振りかざしたいのはそういう言葉を使う人間の方なんじゃないのかと疑ってしまう。私は正義だの大義だので人を殴りたいんじゃなくて、「女の敵は女」とかいう言葉で殴られそうになってるから防御してるだけですよ。
めんどくさいしやってらんないし無視してもいい様な事を一々言って回る事を、やりたくて書くわけねーーーーーーーーーーだろうがうんち💩💩💩という気持ちで一杯ですね。

色んな問題をごちゃ混ぜにしないで、せめてブログとかに書こうよ…140字じゃなんも伝わらんよ…冬なんかただでさえ鬱っぽくなるのにこれ以上削りあってどうすんだよ…という気持ち。
みんなあったかくして寝るんだよ。朝は白湯を飲んで暖かくして、ゆっくり活動するのがオススメです。


私は疲れたのでポケカをやります…。

ユナイト楽しい2

ポケモンユナイトではハピナス使いである。
ポケカでも使ってるけど。

マスター帯に到達したのでなあなあでユナイトやっていたのだが(バトルパス買ってしまったので)どうしても己一人でどうしようもない状況が嫌だったので、気が向いた時にゼラオラの練習をしていた。
しかしゼラオラでも勝てない。
どーすっかなあと考えてた所で、「スプラでは長射程だし、長射程の子使ってみるか」という気軽な理由でピカチュウを使ってみた。何故かライチュウに進化しないタイプのピカチュウです。ゼラオラは短射程なのでとにかく火力が求められる。後はアイテムの使い所が難しい。攻撃当てると回復するタイプのやつとかしんどい。

ピカチュウは常に画面を先送りしないといけないが慣れれば平気、スプラより楽。

結果、めちゃ楽しかった。
ハピナスのユナイト技、ハピハピアシストは味方がいないと使えない。その代わり味方がいればめちゃ強の吹き飛ばし性能を持っている。
ピカチュウはオノレ一人でも発動可能。火力も高い。おたバリもっとけば輝ける気がする。
ただ、アマージョに捕らえられるともうどうしょうもないので、捕捉された瞬間に逃げ出さないといかん。スピーダーか、脱出ボタンか、スピーダーに慣れてみたい気持ちはある。

使い始めて二日目なので、ピカチュウの実態を知れば知るだけ段々と難しくなるのだろうと思う。それは分かる。分かったつもりの日々が一番楽しく、知れば知るほど何も分からなくなっていくのが知識というものだ。

ハピナスも最強だと思っていたが性能が味方依存な所があり、勝ってるのにも関わらず、味方がサンダー触り出すと最早どうしようもない。「サンダー触るな」ボタンが欲しいね。

もし長射程が合っているのだとしたら、ジュナもありなのでは?と思う。
耐久力が無いのはハピナスで少し慣れてるし、なにせジュナイパーのデッキも組んでるし(好きなポケモンへの偏りが凄い2022)ね。

ダンベル持ちルカリオに序盤ポケモンを譲ったりなどは気をつけている。

しばらくピカチュウを使ってみようと思う。幸いにもサポート型の動きなら分かるので、協力しながらやっていこう。

本能という言葉の認識がスタァライトで変わった話

本能という言葉が嫌いという話を前に書いたと思う。
嫌いな理由は使われ方の問題なのかな、という気がしてきた。知識は人を豊かにするという話です。オチはない。

本能という言葉は人間の振る舞いを都合良くそれっぽく定義付けする事や、恥に対する免罪符に使われていると私は感じている。

例えば、「母性本能」だとか「男には女をどうこうしたい本能がある(書きたくないからお察し下さい)」だとか「子供を愛するのは親の本能」だとか、そういう言葉である。
私はそういうのが嫌いだ。

知能があれば理性があり、理性があるから社会というものが成り立っているのだと私は思う。(知能があまりない方もいて、その方も社会生活を営んでいる思うが、そもそもその人の話をしている訳ではないのでここでは言及しません)
子供を愛さない親もいる。母性本能が無い人もいる。アロマンテイックアセクシャルもいる。

先述した様な、そんな「本能」が仮にあるとしたら、極端な話、そしたらそこらじゅうで乱交が起こり、女は産む機械、男はセックスのことしか考えてないことになる。子育てをすることが本能?
本当に勘弁してくれ。出生率を上げることが素晴らしくて美しい価値観で生きてねえっすわ。
こんな酷い世界に、烏滸がましくも新たな命を生み出すなどとそんな恐ろしいギャンブルできないっす。


話がズレた。
本能。
好きではない言葉なのであまり考えないようにしていた。
しかし、スタァライトの中で良く「本能」という言葉が出てくるので改めて考えてみた。

star divineの歌詞には

それは運命 それは本能 今もう一度私になっていくから

劇場版のスタァライトでは

生まれ変わった光を胸に、命が求める新たな血肉。歌い、踊り、奪い合う。それが野生の本能ならば。99期生 神楽ひかり。運命は変わる。舞台もまた

と、ひかりちゃんが口上を述べている。

そして最後に、「私たちはもう舞台の上」では

果てなき空 星を目指せ 恐れずに
リズムに合わせて手を叩こう
踊る様に歩こう 軽やかに
本能のままにホップステップジャンプ
ステージは続く ラララララ

と、エンドロールが始まるのだ。

どう考えても、「本能」という言葉が先述うんざりしながら書いた言葉の意味では無いだろう事は分かる。
分かるので、調べてみた。


「本能」という簡単な言葉には、複合的な意味があり、例えば一言で言い表せる様な言葉で無い事を知った。

https://kotobank.jp/word/本能-135224

私が印象に残った部分を幾つか引用してみようと思う。

最近では生得的,1次的動機づけ,またはそれらに基づいて解発される行動のパターンなどを意味する記述概念となってきている

本能とは,結果についての見通しをもたず,事前訓練もなしに,特定の目的を達するように行動する能力である

ワトソンWatson,J.B.は,その代表的著作『行動主義Behaviorism』(1930)の二つの章を「人間に本能があるか」と題した論考に充てている。彼は,人間の行動を,学習によらない行動unlearned behaviorと学習された行動learned behaviorに区分し,心理学者や生物学者が本能とよんでいるものは,前者のリストには含まれていないと主張した。したがって,「本能などなく,心理学用語として必要ではない」と断じ,いわゆる本能行動は学習された行動,つまり訓練の結果だと明言した。

複合的な意味を含む言葉だからこそ、何度も繰り返し使われる言葉なのだなという事を思った。
複合的であるからこそ、作品に出てくる「本能」が、毎回使われている意味が同じとは限らない。

「本能」という言葉には「己を開放的に出す」であるという意味合いがあるのかなと思う。

文字だけで見れば「本来の能力」でもある。
己を探し、己を燃やし、己を再生産する為の物語だ。だからこそ、「本能のままに」という言葉が使われているのかな。とも思う。

「己のまま」という意味にとれると言ったら良いのだろうか。
誰にも相応しい舞台(めざす舞台や立つべき舞台と作中では述べられている)がある。

その為に「己が知る、あるいは己が持つ、本来の能力」を発揮する為の「本能」という言葉のチョイスなのかなと思ったという話です。



ワルキューレの騎行を聞いている。
これも劇スである。