のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

会社の先輩の話1

胆力がすごい人と思ってる先輩の話。

誰に話をするのにも臆さない。アサーション極めるとああなるんかなという感じの人だ。クソ客に怒鳴られても絶対言い分を曲げない。意地とかではなくそれを当たり前のものとしてやっている。終わった後身体が震えたりしながらも曲げない。

年末に打ち上げなるものがあった。
その先輩とテーブルが一緒だったので沢山話をした。

私が社会的弱者に寄り添う人間で、どっちもどっち論が嫌いで、男女同権の人間である事を先輩は分かってくれている。それだけで心底ありがてえなと思っているのだが、
「のらくらさんはそういう人だもんね」と当然至極という顔で受け入れ尊重してくれる。毒親の話をしても、社会制度の話をしても、男女差別の話をしても、生活保護の話をしても、給付金の話をしても、絶対自分の意見を伝えてくれる。当たり前だが私と違う思想の持ち主だ。そして、私の伝えた意見を反芻してくれて、自分なりに考えをブレンドしてくれる人なのだ。ああいう人が、人の親だと思うとホッとする。私は思想が合う人が好きなのではなく、己の考えのありつつ、こちらの意見も尊重してくれる人のことが好きなのだ。必ずしも思想が似た方向性でも無くていいのだなと、喋り方に圧さえ無ければいいんだなと思っている。言葉が己の信念に基づいていてほしい、それが世間の皮をかぶっていなければ。誰かの言葉を真似するのではなく、自分の言葉で喋ってくれれば良い、誰かの受け売りでしか喋らない人間の言葉は、それは響かない、感じない、そんな言葉じゃ誰にも届かないんですよ(これは受け売りです
)。
自分の言葉で喋らない人の言葉って責任感もないし芯も無いし、聞きたく無いなと思ってしまう。聞いて欲しいなら時間に対して給与を払って欲しい。先輩との話はずっと楽しかった。「いやでももうこの考えも古いのかなー」みたいな感じで、自分の意見について考えていた。善い人。

前に「会社の方針だから」と説き伏せられたある話があったが、今日改めてその話をしたら「それにしても酷い」という風に言っていた。自分で意識を持ち、柔軟に考え方を変えたり時々に合わせて行ける人はかっちょいい。
私はそのある話を聞きながら、辛過ぎてちょっと電話越しで泣いてしまった。ある話の主題となった人は今会社に来ていない。もう来なくてもいいと思う。そんなクソ部署辞めてしまえと思う。

話がズレた。

その飲み会で
「昔は全員ビールで乾杯という文化があったんですよ、酒を飲めない奴も頼むんです。好きな飲み物を頼めないんですよ」
「昔はお酌する為に上司の前にズラリと列を作る時代があったんですよ」
という怖い話を、新卒の子に話した。先輩は私とちょうど年が10違う。10も違うのに柔軟(ミソジニーな所はあるけども)で、年取ったから堅物になるとかいうのウソだなって思う。そしてそういう悪しき文化を「過去」にしていかないといけないと思う。先輩は人の良いところに気が付ける素敵な人なのだ。という話を本人にも前話した。

同じ仕事してる人の中で一番年長なので、先輩の言葉はみんな無視出来ない。私の言葉は説き伏せようとしてくるけども。
リーダーは別でいるのだが、年功序列社会なので、先輩みたいな人が上にいてくれると心底ありがたいなって思う。

今までで一番働きやすい部署だ。なんかまた異動の話がでているのでまた異動するかもしれん、上司のことも後輩氏の事も好きだし、まだ動きたくないな。