のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

私ときどきレッサーパンダを観た ネタバレあり

私が好きな映画好きの人たちが軒並み大絶賛の映画なので、滅茶苦茶観たいなあと思っていたら友人がディズニー+を登録していたので一緒に観た。


以下ガッツリネタバレの話。





死ぬかと思った。

このクッッッッッッソ重たい内容を、これだけコミカルなエンタメに昇華し作り切った事が凄すぎる。これが映画館でやっていたらどんなに良かっただろう。世界が少し変わったかもしれない。ディズニーは概ね子供向けだから、親が一緒に連れていくだろうから。

親にかけられた呪いで現在進行形で苦しみ続ける子供達の魂が、礼節を重んじろ、親孝行をしろと、抑圧される人間達に、蜂起してもいいのだと、そういう事を思えるようになるかもしれない、などと思った。

女と女が助け合うとか、個性がバラバラだとか、顔面を分かりやすく美しく作っていない所とか、パリピっぽくなくてもパーティは楽しめるだとか、男が男アイドルファンをやってるとか、アジア系の絵を描くのが上手い女の子が主役だとか、人種の話とか、恋愛ではなく推しの話であるとか、そういう観点の話は今回やらない。
内容の話を書く。


親からの遺伝である日突然レッサーパンダになってしまった少女メイが、家族の協力の元レッサーパンダを封じ込めようとするというのが話の大筋なのだが、親の遺伝は先代から続くものだったっていう話なんだけど

遺伝というかこれは「呪い」なんですよね。

結局、呪いの家系(毒になる親より出典)って先代や先先代の時代から脈々と受け継がれるものだったりするんですよね。呪いを生み出した人間にも、呪いを生み出す理由があったりする。だからと言って、呪いを正当化して良いわけじゃ無いんですよね。

主人公のメイは優等生で家業の手伝いをやる。愛情たっぷりな母の言うことを聞くように言われ育てられ、その通りのいい子に育った。だけれど、自分の心の中の野生(レッサーパンダ)に出会うことで変わっていく。自分の野生を見つけたメイは、反抗を覚えていく。何故この遺伝が続くのか、どうしてこうなったのか。それを知ることで、メイは自分を見つけられはじめて、母親も変わりはじめて、物語はハッピーエンドを予感させるような形で終わり、最後に私たちへ問いかける。「探しに行きなさいよ」と、トマトを手渡されるのだ(劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト出典)。

親からの愛が欲しくて、親の期待に応えたくて、自分を殺して頑張るけれど、結局は親の100%を叶えられることなんかないんだよなという事を思った。

否が応でも自分の幼い頃を思い出す。

私とメイで違う所は、
「メイはそれでも、ある程度は楽しくやっていた」所で、
私は「全然やりたく無くて、他にたくさんやりたいことがあったのに出来なかった」所が違うんだなと思った。嫌だったのに、嫌だと言えなかった。それは、嫌だと言っても絶対に回避できなかったからだ。嫌だと言えば数時間コースのお説教が待っている。手を出される事はなくとも、解放されない説教は心を削る。

少し話は違うが、今の自民党の答弁(というか会話にならない受け答え)をみていると思うのだが「学習性無力感」というものを植え付けられてるんじゃ無いだろうか、ということを思う。
人間は、嫌だとか、言っても無駄という気持ちの元、自分の気持ちを言わなくなったり、封じ込めてしまうようになるのだ。言っても無駄、だから言わない、という最悪の事になる。

一人で鑑賞した訳では無いので、泣かないで見てたけど、これ一人で見てたら要所要所一時停止しながら泣きながら観たと思う。
私の事情をだいたい知ってる人に、終わった後「大丈夫?」と声を掛けられた。
もちろん、大丈夫では無かったのでダメだと答えた。ぐらぐらしてるのでブログを書いている。
書くことは心の癒しになる。


誰しも己の心の中に野獣がいて、世界中の人間が心の野獣を出して生きていけたらきっと世界はもっとマシになるのだろうなということを思った。

幼い時代、失われた私の感情の事を思った。
ある人達の失われた感情の事を思った。
結局、失われてしまった、出すことのできなかった感情、封殺された言葉というのは肥大化し、ドームを押し潰す程のモンスターを生み出す。本人は望んで無かったのに。

秋葉原殺傷事件の加藤死刑囚のことも思い出した。毒親育ちの「こどもブロイラー(輪るピングドラム出典)」に行きたく無かった子供達の事を思った。親に愛されたくて努力して、愛されなくて、どんなに努力しても自分の存在が叶わないとわかってしまうと、どうせ求める物になれないのだとわかると、絶望するしか無いのだ。欲しかった時に欲しかったものが貰えない子供は、死ぬまで(愛を与えてくれるはずだった当人が死んでも)永久に愛を求める。

メイと母はこれから関係を再構築していくだろう。あの物語の犠牲者は母でありメイであり祖母である。

結局の所、「人生は自分がどう生きるか」「何を選択するか」によって作られる。「あなたはどう?」というのは、そういう事なのだろうと思う。自分を押さえつける事を美徳として生きる事があなたなのか?そうじゃないだろ。
あなたにも野生があるだろう。
己を恥じるな。誰に何を言われても、自分を偽るな。己を生きるのが、己の人生だろうと、そういうメッセージを受け取った。

毒親に見せたい映画暫定NO1です。