のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

男が全員悪い訳じゃない。でも、フェミサイドを無くすためには男性の意識が変わらない限り、一方的に女性は殺され続けますよね

小田急の痛ましい事件の話だ。幸いにも20歳の女性は一名を取り留めた。

でも、死なないことがよかったことでは無い。彼女は一生「通り魔に刺された」ということを抱えて生きていかなればならない。デバフだよ。

惨すぎる。生きたまま死んでいるような、そんな人生にならなければ良いと、『幸せそう』な彼女に戻れるものなら戻って欲しいと切に願う。

 

表題の話。

 

結論からいえば「家父長制」や「ホモソーシャル」「有害な男らしさ」「それを後押しする価値観」から、自主的に降りなければならない。

降りて「自分の人生」を生きなければならない。

笑って「男らしさってなに?自分らしく生きるのが一番大事じゃないの?」と言えるようになる必要があると思う。

そうしなければ、女性たちは殺され続ける。DVでも、無差別殺人でも。

 

生物学上でいうところの私は女だが(シス女性ではないです)、精一杯自分の人生を生きるべく足掻いている。

自分が一番楽しくて、周りも楽しく生きられるのが一番だと思っている。「自分らしさ」以外の「らしさ」には囚われないようにしているつもりだ。

自分で言うと薄っぺらいかもしれないが、自分なりに努力をしている。折れないペンを携えて、人生を生きようと決めている。

ブログを描くのも、主に自分のためにやっている。

 

女性に暴力を振るう男は「俺を認めてくれない社会に不満があるが、家父長制のトップには立ち向かえない弱虫な呪われた人間」だと私は思う。

 

戦うべき相手は自分の中にいる劣等感に塗れた自分だとか、家父長制の本丸だとか、そういう人間たちなのに。

結局反論もできないから手近で弱そうな人間を殴る。

家父長制は女を家庭に閉じ込めて男に隷属させ、感情・性・家事などのケア労動などをさせたい、要は男が女を都合よく支配するためのものだ。

 

じゃあ、家父長制に振りまわれてされているのはだれか?なぜ男たちは女を殴るのか?

 

それは「男らしくあれ(お前は家父長になる存在だ)」と育てられてきた「男性たち」に他ならない。

 

男たちは呪いを受けている。男が上で女が下。男気。稼いでなんぼ。泣いてはならない。下品なことを言えないと男と認められない。セックスをしたことのない男はダメ。強くあれ。妻がいない男はだめ。だの、「周りの男らしい人間たち」から「レッテルを貼られて」生きている。

 

家父長制では「女が隷属するのが当たり前」だから「俺の言うことを女は聞かない」という発想に至るのだろう。だから「俺のいうことを聞けない女は殴ってもいい」と言うことになる。

 

「彼女が欲しい」ということから降りて、ゲームやアニメを愛するオタクですら女叩きをする。

それは(何で読んだかは忘れたが)「女を叩いている間だけはホモソーシャルの一員になれるから」らしい。それはまあ、そういう振る舞いをしている男は割と沢山見たことある。

 

話はずれるが「俺は彼女いるからみんなと違うw」とひけらかしている男も見たことある。

女はトロフィーじゃないよ?と思っている。

どうかその人の彼女が「男はトロフィー」と言うある意味合致した価値観の人間であれば不幸が少なくて済むかなと考えている。

 

話がずれた。

そんなわけで、家父長制のために、俺になびかない上に、幸せそうに見える女は殺しても良いという価値観のもとに、女は殺される。

女を殺す大半の人間は、男だ。

呪われた男たちだ。

 

セックスしたくない男もいるし、彼女が欲しくない男だっている、友達と生きていたいもいる。一人で生きたい人もいるだろう。例えば専業で家事をやる人になりたい男だっている。怖がりの男だっているし、M男だっているし、子供や家庭なんかいらないという男もいる。

でも、「男らしくあれ」と育てられてきた男たちは、自分たちの欲望を殺し、克服することこそが素晴らしいと植え付けられて生きている。

だから、自分の欲求に蓋をする、そして蓋をした感情はなくならず、ずっと自分の中にあり続ける、いつしかそれは腐り、歪みを生み出す。

 

多かれ少なかれ、育った環境において人は呪われる。良い子に見られたくて、親に愛されたくて望んでないことをすすんでやる。

 

私自身、2011年まではめちゃくちゃ呪いの思想のもとに育ってきた。

震災を機に、「私の考えは100%正しい訳じゃない。今、ここにいる自分は自分ではないのでは?」と言うことに気がついた。

己の考えが過ちであったことに早い段階で気が付けて、良かったと思う。

 

数年かけて、自分の考えを見つけるべく本を読み、映画を見て、事件を知って、考えられることを考えた。

そして、ここ1.2年(いつもブログを読んでくれている人たちはわかるかもしれないが)呪いの正体の片鱗を見つけた。

今それと戦っている真っ最中だ。呪いの権化に言葉をぶつけることを、必死にやっている。全く解けていないけれど、自分の中の差別意識や呪いと戦うことをやめたりしない。

 

掛けられた呪いは、誰も解いてくれない。自分で考え、自分で解くしかない、だってその正体は自分しか知りようのない事柄だから。

 

 

私は自分が「幸せそうに見えるから殺され」たくない。

でも、殺してくるのは「男性」だから、自己努力でどうにもできないんですよ、わかります?

ナタとか持って歩けば良いですか?

 

じゃあ殺されないために、どうするのかって。

それは、「男たちが自主的に変わる」「男性性を取り巻く環境」を変えないといけないんですよ。男が全員悪い訳じゃない。でも、この社会を作ってきたのは誰なのか。

 

自分で自分のおしめを変えることもできないの?感情を管理できないの?って言うのは簡単だし、

私自身、基本的に男には性犯罪だのマンスプだの暴言だのなんだの加害されて生きてきたタイプの人なので、男は大抵嫌いです。だから、そういう言葉がスルッと出てくる位には思うところが沢山ある。

 

でも、だからこそ「男性たちが変わらないといけない」と思うのだ。

ただ一緒に遊んでるだけで「無邪気に居場所を奪われる」ことは良くある。

 

言えるときには「その男気という言葉をやめてくれんか?特攻することは勇気でいいだろ?」「男って馬鹿だからさって言うのをやめて、自分は馬鹿だからと言い換えてくれんか?私かてそのバカをやってる一員なんだか?」と言うようにしている。

 

「男らしさ」を植え付けているのはだれか?

それは他ならぬ「男たち」である。

男たちが「自分の心に蓋をしてまで、男らしくあろう」とすることが問題なのだ。

 

結局男は仕事、女は家庭で徳をするのは、家父長制のトップにいる人間たちだ。

「社会が求める男らしさに縛られて自分のやりたいことができない。男のいうことを聞かない、女が悪い」と言うのが歪みを生み出す。

 

「だれかのせい」にしていれば人生は楽だ(私も未熟な人間なのですぐに人のせいにする)。

だけど、自分の人生を生きるのは「自分だけ」なのだ。

他の誰も、「自分の人生を生きてはくれない」のだ。

 

 

先述した通り、呪いとは自分で戦うしかないと私は思っている。

だけど、知識や知恵は本が教えてくれる(私がこの文章を書けているのは、すべからく本を読んで知識を入れた為です)。

 

男性学の本を読んで、まずは家父長制やホモソーシャルミソジニーとは何か、自分の周りにある檻の正体はなんなのかを知ってほしい。

生まれた時から周りにあるものは、知ろうとしなければ、あることさえ認識できない。そういうものだ。

自分たちに掛けられた呪いの正体を知ってほしい。

そして、自分たちが自分たちとして生きるためのヒントを得てほしい。

 

私は、男らしさに囚われた人を見ると、「別にそんなことしなくていいんですよ」とか「可愛いものが好きでなにが悪いんですか」とか、言うようにしている。呪いは自分で解くしかないが、言葉をかける位ならできる。

ブログやネットでは、童貞か非童貞かで人間の価値は変わらないと常々言うようにしている。だって変わらないし、私はその人が童貞か非童貞かは知らない。それで何も変わらない。トロフィーとして女性を利用しない態度の方がわたしにとってはよっぽど好ましい。

 

人間らしく、人間として生きて良いんです。周りがなんと言おうと、私は男性性に「自分らしく生きて欲しい」です。

つまるところ別に「有害」でなければ「男らしく」生きてもいいんです。

それが誰を加害したり、自分の心を加害する結果にならなければ、ですけど。

 

まずは自分を生きるために、家父長制の呪いを解き、そして自分が振り撒いてきた呪いを「振り撒いてはならない」と自覚して欲しい。

そしてもし「何もできることがない」と思うなら、まず「女性差別をするな」と、言葉に出して言って欲しいと願います。

(これは本当に腹立たしい話ですが、社会では「男の話はマトモに取り合ってもらえる」のに、女の言葉は「人間の言葉」として受け取れられないからマトモに取り合ってもらえない、という側面があります)

 

自分を本質的にケアできるのは自分だと、そう思えるようになって欲しい。

己の人生を生きて、他人を加害しない、そういう男が増えれば、男社会家父長制に対する疑問や抗議の声が、今よりも一層増えて、男たちも生きやすくなる、女は殺されないで済む、そう私は考えます。

 

弱音は吐くものだ。強くなくていい。あなたはあなたでいい。少なくとも私は自分らしさを生きている人間のことを好ましく思います。

 

なにがあっても、人を殺すな。

人を殺させないために、一緒に声を上げてほしい。この「男」社会を崩されなければならないと思う。

 

私のおすすめは「さよなら、男社会」と言う本です。

1行1行に対して思うところが多すぎて、全然読み進められない良書です。ずいぶんこの本から言葉を受けとりました。

 

世の中にきっと同じことを書いている文章が数あれど、私は私の言葉で書きたかったので書きました。

 

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。