のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

パラサイト 半地下の家族を観た

パラサイトをようやく観た。パラサイトを見てから外に出ると、世界が全てパラサイトに見えた。
ポンジュノはやはり天才だ。

高台の屋敷に住むブルジョアと、半地下にすむ貧乏人の話だ。
この物語の中には幾重にも伏線が張り巡らされており、男女差別があり、貧困への差別が描かれている。「私はダニエル・ブレイク」の様な辛さは無いものの、コミカルであるからこそ楽しく見れてしまう。作品としての完成度が高い上に社会問題も書いている。面白くて辛い。辛いのに面白い。後味は最悪だ。

階層という表現がこれでもかという位に頻出していた。階段と地下室、広い家と狭い家。

一番最後のシーンの演出に打ち震えた。
父がどこにいるか察した息子は、父からのメッセージを読む。
そして、父へ手紙を書く息子は「家を買います、そしてお父さんを迎えに行きます」と語り、モノローグとして地下で暮らす父を、日のあたる場所に誘い出し抱きしめ合う。ここで、希望的観測に基づき終わるのかと思いきや、画面が暗転し、画面が「下がり」、半地下で手紙を書く息子の姿が映し出されて終わる。

父は永久に死ぬまで(あるいは、死んでもなお)地下にいる。あれだけ深ければ匂いすら上がらぬだろう。骨になってすら、気がつかれる事はないだろう。息子は父を迎えになど行けるはずがないのだ。そのまま、暗闇で人生を終えるだろう。彼自身も元犯罪者だ。犯罪者が出所後に一財を成すという話を聞いたことは無い。だから、あの家族は、一生地下室で暮らす事になるのだ。

「たられば」の話をしてみよう。仮に地下室に自分と同じ境遇の人間が居らず、パラサイトを続けるとしよう。その場合に、障壁となってくるのが金持ちの「息子」である。「息子」はモールス信号を解する人だ。遅かれ早かれ、好奇心において地下室の人間の存在は判明するだろう。そしてふた家族とも崩壊する。いずれにしてもこの家族達は終わる。どんなにか上手くいってる様に見えて、たらればすら許さない伏線の貼られ方をしている。

また、この作品では男女差別も描かれている。それは金持ち家族の方の話だ。
父は息子の事をいたく可愛がり、息子のためならと息子へ過度な愛情を注ぐ。また、母親も息子のことしか恐らく見ていない。それは「使用人が結核」という話をしている時に「自分の娘」の話が出てこなかった所からも明白だろう。
そして、愛情に飢えた娘は、家庭教師の男達にべったりになる。起こるべくして起こっている事だ。また、夫は妻を愛しているわけではない。恐らく家柄と子供を産めるからという理由で、或いは性欲を満たせるから、あるいは社会的ステータスのためか、真偽の程は読み込めなかったけれど、まあ概ねそういう事だろうなと思う。姉が弟を好きになれないのも当然だろう。愛情の全てがバカな弟に行くのだから。

しかし、男兄弟がいると明らかに差別されて育つという描写をフィクションで見てからというもの、そういう扱いを受けたという話がどんどん耳に入ってくるようになった。怖すぎる、そんなに精巣が偉いんか、キモすぎるんだよ現実社会。

ソンガンホがタクシー運転手の食堂でご飯を食べてるのはちょっと笑ってしまった。絶対タクシー運転手意識してるじゃん!!!(別の映画)と思った。


仕事上、半地下の人たちと関わることも多いし、坂の上の人たちと関わることも多い。
これは大きな主語だが、貧乏な人は余裕が無い。すぐにキレる。口喧嘩をするという感じだ。罵声を浴びせてくることが多い。なので対応に消耗する。
金持ちは喧嘩の仕方が、まずは冷静に落とし所を見極めたり、どういう出方をするかを伺う人のが多い。意に沿わないと怒鳴られるが基本あまり強い言葉を使ってこない。
同じ対応をするのでも、正直罵声を浴びせてくる方じゃないと関わりたいと思ってしまう。

しかしこれは多分、お金の有無による心の余裕みたいなものだろうなと思う。私がこんな風に冷静に言えるのは多分今お金に困っていないからなのだということもわかる。見る人の立場によって違う。

貧乏って本当に辛いことだ。映画終わった瞬間に「どうしろっていうんだ」という気持ちが湧いてくると思う。私ができることってなんだろう。