のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

ポケモンユナイト復帰しました話

我の推しポケモンの一人、ウーラオスがユナイトに実装されたのでユナイトに出戻りしました。
スプラ3発売してから全然やってなかったらしくて、数ヶ月ぶりですね!みたいな通知が付いてぎくりとした。
同居人氏と喋ってたんですけど「ガシャ復帰勢って本当にいるんだね」という話。私もまたその一人。音ゲーは楽しいけれどそんなに向いてないのかもしれない。一時期ゲーセンに通ってたけれど、スコア伸びなかったし、あんまり向いてなかった気がする。ゲーセン通うのって夢の一つだよね、大人になってからやりました。楽しかったね。


ユナイトはレックウザが実装されてからやらなくなったという言い方でも過言では無い。でも、復帰してみて気が付いたのは結局サンダーと基本は同じなんだなあという事を思った。なので逆に安心してやっていられるなという気持ち。
あと「今年一番遊んだソフト」みたいな診断でユナイトが一番だった。夏の間ずっとやってたもんな、そりゃそうかという感じ。ユナイトは味方依存ゲーだけど面白いよ。スプラより一人の打開力無いけど、レベリングで割となんとかなるしチームワークがものを言う所が良いゲーム。

ウーラオスは攻撃力のあるアマージョ様って感じ、とにかく奇襲と団体戦に強い。ダクマの間は相手チームに経験値を提供するだけの子なので前に出てはならない

あとやっぱり2進化よりも1進化のが自分の性格にあってる気がする。バナもカメも好きなんだけどいかんせん新化までが長すぎるし負け試合の時きつい。ハピニンフいちウーの3本構成でやっていきたい。
あと、アタッカーって試合を引っ張れるのが滅茶苦茶良いなと思う。

今の所エキスパートまで上がったけれど、今までAボタン連打してるだけで勝てたのですが上のレートになるとそうも言ってられない。ランクマやってる友人はビギナーランクは良かったとため息をついていた。
今の所ウーラオスに対して世間が対策をとってないが故に強いという所もあるだろうし、どうせ後で下方修正されるだろうと思う。まあその時はその時で。

あんこくきょうだの溜めで相手に圧を掛けることも出来るし、中心に当てれば確定急所だし、強いんだよな。ただマッシブーンの掴み投げみたいな奴と、なみのりなどにクソ弱い。そして孤立すると弱い。1対1には強いけど数で来られるとどーしようもない。
あとユナイト技のコンボが難しいので練習しないと行けないなと思う。

新しい持ち物が使いやすい。戦っても戦っても回復する系のウーラオスでしばらくやっていきたい。でもハピナスも使いたいので使おうと思う。

何も考えずに見れると言う褒め言葉の話

「何も考えずに見れる」という言葉を褒め言葉として使ってる人を見ると毎度毎度なんか引っかかるなと思ってしまう。いつもの如く会社の話。


会社でネトフリのアニメをおすすめされたのだが「何も考えなくても見れるから良いですよ」と言われた。それって褒めてんのか?という事が毎度引っかかる。

別の人だが、前にマッドマックス怒りのデスロードの事を「何も考えずに見れる」と言われた時に「んん?」と思ったその感覚をずっと覚えている。
理想郷とは与えられるものでは無く探し求めて、今いる場所で、今の自分で、勝ち取るものなんだよな。私にはすごくあの作品のメッセージが刺さった。

私的には「何も考えずに見れる作品」というのには種類があると思っている。

全部を上げる事は出来ないが、例えば。
「作者による不断の努力にてノイズを除去し、楽しさを提供してくれる作品」
「エンタメとして滅茶苦茶成熟している作品」
「実は滅茶苦茶考える事がそこかしこに散りばめられているのに、受け取り手がなんも考えてないだけの作品」

などまあ、多種多様である。

頭を使う労働の場だから、リラックスできるものとして「何も考えなくて良い」という「優しさ」なのかもしれないけれど、「何も考えずに見れました、癒されました」っていう会話を人とやる価値が見出せない。それだけ会社の人に期待してるって事なのだろうか…わからん。

考える事が多いけれど考える事をやめたらただの馬鹿になってしまう。なので「何も考えずに見れる」って言われたら「考察しながら見れる作品の方が好きなのでなんかそっち方面でおすすめないですかね」って言おうと思う。我ながらクソめんどくさいな。

今日はクレーマーの電話をうっかり取りかけて危なかった。もう年末なので気張らずゆるゆるやっていきたい気持ちだけある。

フリマアプリの話とか

先日からフリマアプリをよく使ってモノを売っている。売ってる理由が部屋の掃除のためだ。だから採算度外視というか、赤字にならなきゃ良いなという感じ。人というのは買う時は値段をよく見るくせに売る時は気にしないというが、まさにだなと思いながら売ってる。
どっちかっていうと要らんものに家賃を払いたくないという方が近いかもしれん。
送料のこと色々調べて、ゆうパケットポストを使用している。宅急便よりも郵便の方が安い。あと住所割れないのも良いね。ちなみに使わないポケカはもっと安い手段で売ってる。
必要かもしれないものも手放してみるとそれでも結構生活できる。まあ戦争になるかもしれないからある程度買いだめしても良いのかなとは思ってるけども。ミサイル落とされそうなエリアには住んでるから何しても無理かも知んないけどね。ウケるわ、自民党は亡国政党ですね。心底そう思いますよ。何が悲しくて戦争するの?私は飢え死にしたくないよ。ミサイルで死にたくないよ。まあ戦争に駆り出される可能性もありますけどもね。
私の財産はポケカなので死にそうな時はポケカ持って逃げる。ベランダプランター生活すべきかしらね。やだーーーーー本当に嫌だーーーーー。考えると鬱々としてしまう。


後は漫画を電子で買い直してる。これでだいぶ処分出来た気がする。これから億万長者になる予定があれば壁一面本棚にしても良いのだが、今より若い時分に壁一面本棚はやったことがある。楽しかったけれど地震が怖かったのでまあもうやらなくても良いかなと思ってる。本はもう横にして詰んでる。入りきらない。

来年の目標についてちまちまブログ書いてるのでそのうちアップします。

駅で酔っ払いのおっさんと戦った話

タイトル見るだけでげんなりするね、そうだね。


友達と冨樫展に行った、んでめちゃくちゃ喋った。そしてめっちゃ食った。その中でも先日あった「自分も大切にする、すぐ無理するから、周りの人たちは割とそう思ってくれているから」
という話もした。

その帰りの話。

友達と別れて電車を降りた。終電付近。

目の前にしこたま酔ってるおっさんがいた。二列で歩いてるから邪魔なことこの上ない。避けて(電車が来てたので常識程度のぶつかりはしてるからぺこりとお辞儀はしてる)通った後、エスカレーター付近にいて、さあどこから前に回ろうかなと考えていた時。

後ろから物凄い衝撃と共に身体が吹っ飛んだ。
周りにいた人たちもぶっとんだ。
は??と思ったらさっきの酔っ払いが全力のタックルをかましてきたらしいことが分かった。

ヘラヘラしてやがるので近寄って
「なんでタックルしてきたんですか??」と聞けば口の中をモゴモゴモゴモゴモゴモゴさせながらようやく答えて「わざとぶつかってきただろ」とのこと。

「わざとぶつかってないですけど?なんでタックルしたんですか?すみません、駅員さん呼んで頂いても良いですか?」と周りに呼びかけた。歩き去ろうとするのでトントンと呼び止める。

お前逃げるんじゃねえよと思いつつ、殴られても嫌なので物理的に逃げられる距離は取る。巻き添えくらって吹き飛んだ、近くにいたお兄さんの胸ぐらを掴み上げてた。
ホームからどんどん人が減っていく。
部が悪い。しかし私は引く気がない。「なんでぶつかってきたんですか?」と再度問い詰める。

その時、40、50歳の女の人が我々の間に入ってきて「相手にしちゃダメ」と我々の物理的距離を離しにかかった。

私はこの時、先日友達に言われた『自分を大事にする』ということを思い出していた。

「やめた方がいい?」と聞いたら「やめな、あんな酔っ払い」と私を慮る様なセリフ。

オッサンは先にいなくなり、私はその女の人と共にエスカレーターを降りた。
残念ながら駅員さんを誰も呼んでくれてなかった。女の人は「顔覚えてる?」「理不尽だけどね、あなたは正しいことをした」「家の方面大丈夫?」と言ってくれた。

『まあまあ』などとは言わなかった。
腕力になったら私が勝てないことを見越して、なんとかしたいと思ってくれたのだろう。


帰宅してからめちゃくちゃ泣いた。
人の優しさと理不尽さにメンタルがぐちゃぐちゃになった。しばらく寝れなかった。
この時私は『私のことを心配してくれる知人達』の事を思った。
きっとみんな、『怪我がなくて良かった』と思ってくれるだろうことが想像できた。
何もかもが泣けてしまった。
人の善意に気が付いてからの最近の人生が強くて脆いを繰り返してる。善意でなければ人は私の為に何かすることをしない。悪意でやる人もいるっちゃいるだろうが、ごく微々たるもんだろうと思う。


今度から適切な距離を保ち、出来そうなら録画を回し、駅員さんを呼んでもらうのをやろうと思った。ケースバイケースだけど、当人の前で「駅員さん呼んでもらっていいですか?」って他の人に声かけて牽制できたのは素振りが効いてるなと思った。頑張りすぎない程度に頑張る。必要なことだと思う。

MEN同じ顔の男 を観た話 ネタバレあり

ネタバレを多分に含みます。
好きな映画評論家さんが勧めていたので観たくて観に行った。







世の中を生きる男達には全員見て欲しいし、女達には閲覧注意の作品だ。グロいし怖いけど、作品の本題はそこじゃない。

夫に自殺されたハーパーという女性が、田舎町の歴史ある豪勢な屋敷を借り、10日ほどの静養を取るという話なのだが観てて疲弊した。こういう話書くのももう何回目?って感じなので書くのもうんざりしてるので観てくれって感じ。



女の言葉は何故か信用しない男、女は夫の持ち物でなければ許さない男、女の安全は軽く考えられている事を理解しているけど何もしないしなんなら追加で加害する男、男の元から離れた女を力尽くで男の下に戻そうとする男達、結婚していたというだけで勝手に淫乱扱いしセックスを迫る男、女は感情的だと決めつけて聞いてもない説明マンスプをする男、女は母性のある生き物と決めつけ意に従わなければ「クソ女」ということを当たり前に行う男、女の心配は杞憂に過ぎないと言わせる男、「愛が欲しい」と宣いながら女を殴り「お前のせいで死ぬんだ!!!!」と自殺する女のせい男。


全員どっかで見たことあるね、出会ったことあるねという男達ばかりだ。


現世を生きる女達の元には、同じ顔を持つ男達が何度も何度も繰り返し登場する。何度説明しても何度でも飽きもせず現れる。傷ついた!と大っぴらに傷口を振り回しながら、傷口の理由には気が付きもしないで、自分で包帯を巻いたりしないしなんなら治す気もなくて、何度も何度も何度も何度も同じ説明を求める。
お前それ何回言わせんの?聞く気なんかないんだろ?と思う。

「せっかくフェミニズムに興味が出てきたのに、そんな言い方じゃ誰も聞かないよ?」
「わかるように説明してくれる?」
「そんな突き放すような態度、気にくわない」

そういうトンポリをする甘えた男達をインターネットで何百回見かけただろう。そういう男をケアするのが「何故女」なのだろうか。
トンポリする男達の間でケアしあえば良いだろうよという話。「そういう言い方が良くない」と思うなら「女達はもうこの話何百回も男達にしてるんだよ」位のことを言えと思う。

何もかも与えてもらう前提で本の一つも読まず、「田舎」という「ホモソーシャル」の中でぬくぬくと肥大化した「男」達が殴りかかってくる。ハーパーは一人でずたぼろになりながらそれに立ち向かう。それでも男が男を再生産する、有害な男が有害な男を産んでいく、ホモソーシャルの輪っかは永久に続いていく。女達はそれを諦念の瞳で見つめる。襲いかかってきたら殴らざるを得ない。正当防衛って言うんだけどね。

悪夢なのか現実なのか、わからないような描写が続き、これは「現実」という描写が起こり映画は終わる。
妊娠した友人から生まれてくるのは、きっと男児だろうね。終わらない悪夢、同じ顔の男が生産され続けるこの世界の事だ。

良い映画なので怖いのグロいのが苦手じゃなければ是非見て欲しい。特に男性。我々社会で生きてる女達が味わう恐怖や不快感を追体験できる良作です。女が常にどんなどん底の理不尽を男達から与えられているかを知れるよ。


フェミニズムは男が学ぶべき学問であると私は思ってるんですけど(だって男社会や家父長制が諸悪の根源なのになんで被害者の最たるもんの女が勉強しなきゃいけないんだ?と思うからですね)、その認識を強固にしたよ。

colabo叩いてる人たちにも言えることだけど、家父長制をくたばらせるためにはやるべきことは女を攻撃することじゃないんだよ。昨今のインターネット見てると思うけど、男を苦しめてるのは「らしさ」を奪い家庭に縛りつけようとする、家父長制なんだよ。


あんたらが女叩きしても何も救われないし、そんなことしててもあんたの人生にトロフィーワイフは現れないよ。本当に「不正を正したい」って気持ちだけなら良いと思うけど、女を叩きたい・女は恵まれているのような、ミソジニーの感情は混ざってないか?よく自問した方がいいよ。

女が好きなら女叩きする男達に「やめろ」っていえよと思う。男が止めなよ、どうせ有害な男らしさの人たちって女の話なんか聞かねえんだからよ。
私は女が好きだから女への加害をやめろって言ってるよ。

いい加減、女を叩いても何も解決しないことに気が付けないのかなと思い、うんざり疲れた。

悪いのは家父長制なのだが、そこに乗っかり続けて「愛が欲しい」と宣う男のことはよくわからん。俺たちはみんな家父長制に苦しめられている。そこと戦わなくちゃならないのに、女を叩いても何にもならない。馬鹿馬鹿しくて説明するのももう疲れた。これは歌のサビなので何度でも言おうと思う。男が苦しいなら男も権力と戦えば良いのである。戦え、戦わなければもっと状況は悪くなる。戦わねえならば加害すんな。
なあ、同じ顔の男達よ。


良い映画だった。グロやホラーが苦手じゃなければだけど、是非男性達観てみてね。



我々の責任についての話

私たちだって知っていたはずなのに、それについて何もせず、なんなら冷笑に加担していたかもしれない、我々こそが声優を追い込んだ当事者の一人なのである。

という話を二人の人間とした。

「ファンじゃないから」と、
我々は平野綾さんに対する罵詈雑言に対して「なにもしないという加害」をしていたのだなと思う。「ああいう声オタもいるよね」という態度だったなと思う。

私は女性声優さんのことが概ね好きでもう少し若い時分は追いかけていた、楽しかった。
今は昔ほどの情熱は無いけれども好きだしみんな幸せになって欲しい。

良い演技をしようと努力し、思った事を発言し、好きな服装や髪色をすればビッチと罵られるとか最悪じゃんね、インターネット。
そしてただ声優をやってる、仕事をしてるだけなのに「オタクに媚を売る」とか言われ続け役者に転向し、その発信をしても当のオタクには全く伝わってないの見かけてゾッとしたよ、ホラーかよ。
むしろ真逆に受け止めてて、オタクコンテンツって、「害オタ」や「表現の自由戦士」に目をつけられたら一生ついて回られるんだなと思って暗くなった。こんなこと書くと私も一生ついて回られるのかもしれないけれどもね。

朝から己の過去と向き合うことになりぐったりしてしまった。
過去は変えられない、だからこそ今やるしかないのだなと思う。

最近声優さんを追っかけてた時の事を色々思い出すんだけど、ネットに蔓延る冷笑や嘲笑に巻き込まれて傷付いてる人達がたくさんいたんだなという事を思う。そして私はその人達に対する嘲笑に傷付いてはいたけれど、具体的に何か出来ていただろうかと言う事を思う。
恥だ。過去は変えられないから今頑張るしかないんだよな。



ツイッター2ちゃんねると化してきてるので、ツイッターから軸足を離し、マストドンに行こうかとおもってる。
このままだと本当にインセルの女殺しが起きかねないよ、恐ろしいよ。



駅前で高校生達が募金活動をやっていた。
その心をいつまでも持っていて欲しいと思いながら寄付をした。

新しい後輩氏の話

新しい後輩氏は自分の意見がありかつ人の話が聞ける人だ。なんと私から声を掛けて一緒にご飯に行った。後輩氏が仕事でのフラストレーションが溜まっていた模様だったのでという言い訳重ねてた。私も相当やばい所まで来てたけど昨日なんとか勝手に立ち直ったので。もうしばらくはがんばるよ。インターネットフレンズもありがとう。ブログ読んでる人もありがとう。


後輩氏は良識あるサイレントマジョリティだ。
いつもブログで話をするような内容をひたすら喋った。選挙行ってくれるそうだ、マジ感謝。
自分が無関係の事でそんなに真面目になれるのは凄いですって言ってくれた。否定から入らないでとりあえず肯定する所から入る所も相談しやすいって言ってくれた………後輩氏………😭

本を読む人でもあるので、好きな本を貸している。流れでつくたべを貸すことになった。やっぱりカルチャーって大事なんだなあと思う。世の中にその創作が存在している事が、世の中に当事者がいる事を広めていく為に必要なのだ。
感想を聞くのが楽しみだ。

ひっきりなしに喋ってしまって高揚感だ。
私はこういう特性の人間なので、もうこういうものだと受けて入れていくのが楽なのではないかなと思う。

今仕事がやばくてメンタル状態もやばいのだが、なんとかやっていこうと思う。
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