のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

休日の話

久々の休日なのでゆっくり寝た。
起きてお土産のチャーハンときくふくとひょうたんあげを食べた。

ちなみに昼行バスは東京〜仙台往復でなんと6000円でした。かなり安かった。人にお小遣いを渡したりなどしたので少し痛い出費だったけどまあ親孝行だと思えばオッケーです。
夜行バスはWi-Fi使い放題だったのも良かった、北上するとどんどん桜が咲いていくのも良かったね。花見は何回しても良いものです。

ポケゴーコミュディをやったのと野菜を買いに出た位でほぼ何もしなかったけど、例のDMM100冊70%オフの買う本だけは決めました。後せめて100冊の枠があればなあと思うなどしました。でもこんなに安くかえて印税入るのはめっちゃ嬉しいです。

北海道お取り寄せグルメのホンビノス貝と焼きサバとインカのめざめとルタオのナイアガラとじゃがぽっくるを食べて幸せになりました。

明日は休みなのですが、夜から予定があるので頑張ります。あとDMMの本の決済をやる。

昼行バスと昔住んでいた所に行ってきた話

明大前で、麦くんと絹ちゃんの事を思い出した。一人に一つ。何かあると、一人に一つ、とつい言葉に出して言ってる気がする。

全然Twitterに顔を出せなかったのは単純に忙しかったのだ。


血縁にあたる人間が亡くなった。
昔から、人に迷惑をかけず、桜の散る頃に死にたいと言っていた人だった。夢が叶って良かったなあと思った。

お葬式で沢山泣いた。
泣いたのはその人の為ではなく、違う人の為に流した涙だったけれども。

懐かしい顔に沢山会った。
子供は変わるけど、大人は年取ってもさして変わらんのだなと思った。きっとコロナ禍でなければ、100〜は葬式に来たであろうという人だった。人脈が広くて、地元じゃ負け知らずの人だった。ピンピンコロリはやっぱり良いなと思った。実際はピンピンではなかったのだが、その辺もまた色々あった。

私が自分の葬式をやる(そもそもやるのか?)時は、みんなオシャレしてドレスとかカッケー&可愛い服で来てくれたら良いなと思った。黒だけなんてつまんないよなと思った。お骨は海に撒いてほしい。私らで末代なので、墓じまいしないといかん。

親戚関係がやばいという話は前にしただろうか。わかんないけど。なんていうか、いろんなことがあった子供時代だったんだよ。私は一人で自然と戯れていたが。

とりあえず、子供達の代にどれくらい親世代が関わってくるのだろうか、わからんな。

私は結婚しないし子供も要らないけど、働いて楽しく暮らしてるよって話を親にした。だから従兄弟の子供を可愛がるそうだ。何よりだと思う。私は子供が苦手で可愛くないんだよなと言っておいた。

今の部署の人が弔電を打ってくれた。優しさが嬉しくって、本当にありがたかった。今までの部署で一番上に恵まれているなと思う(お局派遣さんはうんこだけど)。


葬式が終わった後にいろんな話をした。女は男を通して社会の目を養う、みたいな意味不明理論をふっかけられたので「ソースは?どこの論文の誰がその話を書いているのか教えてください。どの本に書いてあったかなど、きちんと反証します」と返しておいた。生物学的に云々との事だったので気になりすぎるんだよな。面白いよね。

今時そんなこと言うなんて激ヤバ、遅れてんね、っていうような事を他の人に言ったら「でも女二人でいるとアンバランスに見えるよ」と言われたので「それは感じ方の問題だからなんとも言えんね」と返しておいた。感じ方っていうか、見慣れてないだけな気もするけどまあそこら辺はかんじかたなのでどうでもいいです。

また、「良い年したオッサンが泣くなんて」とオッサンが自虐的に言っていたので「年とかオッサンとかそういうの、関係無いから。泣きたきゃ沢山泣いたら良いんだよ。関係ないから」と返した。「らしさ」の呪いを解くのは新時代の人間がしてあげるのが良いのかもしれん。自分でなんとかして欲しいけど。


アイデンティティが性別にしか無く、義務教育だけを正とし、空気に飲まれ、政治と宗教と野球の話をしない』人間と話が合わない、という話をした。それを縮めて言うと『哲学がない』と言うことになるらしい。

その話をした血縁関係の人は真面目に仏教をやってる人で、自分の中で結論に至るのが早すぎて説明をいつも端折る。だから会話してる気がしない。哲学がある人間は好ましい存在ではあるのだが、私はああならん様にしようと思っている。

人の話に聞く耳を持たなければいつか人は見限られる。言葉の端端からその人がどんな考えを持った人間なのかが透けて見える。勉強をし、本を読めば、世界はグッと広くなる。弁の立つ人間相手に、今回はマトモに話ができた様に思う。
「国会議員にでもなったら」と言われたけれど、いつも話が大袈裟で困るんだよな。


行きも帰りも昼行バスに乗った。
というか、乗ってる。今書いてる。
数年前、京都に行った帰りに夜行バスを使ったら夜全く寝れず、ほとんど閉所恐怖症みたいになってしまった。

時間と距離を掛けて何処かにいくのが好きなんだな、というのは最近の気づきだ。

新幹線は早くてカッケーのだが、耳鳴りがゴーッとするのであまり得意でない。フェリーとか、寝台特急とか、そういうのにも憧れがある。時間の無駄?無駄な時間も楽しむのがいいんじゃないか。せっかちなタイプなのに、不思議だね。多分、安いってのも良い。

飛行機は耳がブワーーってなるのが怖い。あと重力とかトイレとか怖いものが多すぎる。ハイテクなものはかっこいいし便利だ。だけど不慣れなので未だに怖い。慣れたら平気なのかもしれないが、しょっちゅう使わないものだから全然慣れない。


昔住んでいた土地で、私の事を可愛がってくれた人たちはどんどん亡くなっていく。あの人も、この人もいなくなる。土地に全く愛着がなくて、むしろ憎しみの方が強い。好きな人は好きだったけど、大半の人間が嫌いだった。

大切な人が苦しめられたことも許せない。今になって漸く話してくれた内容も酷すぎて悲しくなってしまった。私とそう変わらぬ歳の頃に、そんな事をされていただなんて悲しくて堪らない。悔しすぎる。

その苦しめられた人は、もうあの土地からはうんと離れた所にいる。どうか残りの人生は、誰かの面倒を見ることもなく、自分の人生を生きてくれたら良いと思う。ここ数年激動の日々だったと思う。ひどい土地の人間達に、ひどい事をされた人生だった。もう少しその人のことは大切にしてあげたいと思った。とても今更だけど。


傷が癒えるのには時間がかかる。

もう二度と自主的には来る事も無い。

最期だと決めて行くのと、そうじゃないでなあなあで別れるのとでは、ずっと心持ちが違う。懐かしさよりも、生々しい傷の方がまだ癒えてない。

人生は短い。好きな人達と過ごす時間を沢山増やしたい。土日だけだったら、本当に少ない時間しか過ごせない。本当にさ、好きな人たちと近所で暮らしたい。

今日の空は青いねとか、雨降ってるねとか、あそこのスーパーのお魚が美味しいよとか、あの政党頑張ってるよとか、社会問題を論じたりとか、動物をめでたりとか、公園で体を動かしたりとか、そういう事を話しながら暮らしたい。


張り詰めた糸が切れそうになりながら生活をしている人の話を聞いて、苦しすぎた。みんなどうか幸せに生きて死んでほしい。大切にしたい人たちを大切にし、生きてほしい。

沢山褒められたけれど、それは私が給料をもらっていて心に余裕があって、沢山の創作物を摂取しているから出来ている事なんだよなあと思う。

生きる事は辛いから、好きなものを買う為に金を使う。好きなものに使いすぎて、金が無くなる。そういう悪循環の渦の中にいる人がいた。愚痴が止まらなくて、泣いていた。人の誠意を踏み躙る人間に踏み躙られていた。辛い。辛い以外にかける言葉が見当たらなかった。






大きなはめ殺しの窓から流れて行く、真っ暗な空間と、ポツポツ見えるあかりが良い。今回は当社比グレードの高いバスにしたのだが、車内にトイレがあるか無いかで、だいぶ緊張の解れ具合が違うなと思ったので、今度からトイレ付きのにしようと思った。
羽生SAがなんか綺麗になってた。すげー。埼玉に入れば、東京まではあっという間だ。



繊細さんの本とカルテットと花束みたいな恋をしたをオススメした。世の中の繊細さん達は、繊細さんの本を絶対読んで欲しい。人に先回りして物事をやってあげる事は、少し待つと楽になれるという衝撃の事実を知って欲しい。



人はいつか死ぬので、終活はちゃんとしたいという話をした。まだ早いんじゃ無いと言われたけれど、今日これを書いてる間に死ぬかもしらん。備えあれば憂いなし。ツイッターで回ってたエンディングノートでも買っておくか。


家庭環境はガチャだ。
何が出るかわからん。


これは雑談だが、昔から懐いてた従兄弟に三人娘がいるらしい。子供がめんこくてしゃーない、新築で家を建てて新車を買ったという。昔からあんまり考えなしの所がある。変わらなすぎて、ニコニコしてしまった。嘘の無い人間は有難い。話してて疲れない。


友達の自慢を沢山した。優しい人たちばかりで大好きだ。早くみんなに会いたいね。

土日の話

ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見て、ほうほうの体で北海道物産展に行った。ホラー映画の様に目が真っ赤だった。


北海道物産展、テンション爆上げで沢山買った。

佐藤水産のパテとシャケ、肉の山本?という所のジンギスカン(マトン)、どこかの店のギョウジャニンニク入りソーセージ、ルタオのナイアガラチョコレート、スープカレーの素、インカの目覚め、oh焼きトウキビ、じゃがピリカ(じゃがポックル完売してた、恐るべしだ)。

ラムめちゃうまだった。パテ美味しい。明日も食べる。
ロイズのポテチョコが大好きなのだが、今回はあまりにも荷物が多くなってしまったので、今度買いに行くことにした。


北海道行きたい。

それとは別に北海道の海産物のお取り寄せをした。ホッケ楽しみである。

土曜日定例アマングアスは人が集まらなかったので、できる人達だけだがdbdをやった。通話で3時までお話ししてた。私の話に付き合ってくれてうれしかった。


日曜は生理痛で倒れてた。
起きて油そば作って、スコーン焼いて、幽遊白書読んで、寝落ちて、野菜炒め作って、ゆるキャン見てた。室内から一歩も出れなかった。ふるさと納税の米油が届いてハッピーになった。

ゆるキャンは(キャンプに対して)全然緩くないキャンプアニメだ。
昔キャンプをしていた時はあんな風に楽しむものだとは思わなかったが、ああいう楽しみ方もいいなと思う。特に焚き火。焚き火やってみたいな。

火起こしはスギの枝派なので、松ぼっくりはしらんかった。楽そうでいいな。麻紐とかもあるよね。
焚き火とか後始末めんどくさくてほぼやった事ないぞ。BBQ台は偉い。
でも焚き火台で網置いてやるのいいなと思う。楽そう。

出てくるキャラクター達の、各々を尊重し合い、自立してなるべく全て自分たちでやろうとする姿勢がいいなと思う。私は自立してない人間なので、憧れてしまう。
ちくわ(犬)の為に免許を取ろうだなんて、いいなあって思う。
キャンプギアは可愛いよね、コールマン好きですね。
私はせっかちで予定詰め込みたいタイプなので、のんびりキャンプは向いてなさそうだが、積み読み本を崩すのは良さそうだななどと思う。


なんと、ゴールデンウィーク遊んでくれる人がいる。どこいくか悩んで話し合いをちょっとした。
そしたらなんと北海道が候補に入った。5月はまだ寒いだろうか。流石に北海道だったら私でも運転できるんじゃないだろうか(5年くらい運転してない)。もう全然出かけてない、いや出かけるやんけというツッコミは不要だ。私の中では全然出かけてないに等しい。
コロナの前は毎週土日絶対人に会って遊んでもらってた生活だ。それが月一友達に会えるか会えないかというレベルになったので、これはもう全然会ってないのとほぼ同じなのだ。何言ってんだって感じだと思われると思うが、実際そうなのだ。私のこの苦しみは私にしか分からんものなので。一年以上もこんな生活してて、いやほんとに無理なんだがって感じ。会う人たちもなるべく同じ方々にしてる。

パーティする人の気持ちも分かるし、飲み会する人の気持ちも分かる。ただ私は絶対そういうのはやれない。感染症は怖い。最小人数でマスク会食しかしたくない。早く仲良い人たちに大人数で会いたいけれど、会う事はリスクなので会えない。出かけるけど、羽目を外さない。そういう感じだ。



まず北海道行くにしても行かないにしても、ゴールデンカムイ借りるなり買うなりして読もうと思った。
そこかよって感じだが、金カムしばらく読んでない。花束みたいな恋をしたかよ。

なんにせよ、だが。
旅の予定を決める時は、行きたい場所とやりたい事をまずピックアップする。それからやれる所までいろんなものを削り取って、行ける範囲の所に行くのが良い。大昔バリ島に行った時のデカいキャリーがあるので、それを持ってくるべきか否か悩む。

取らぬ狸の皮算用大好きなので、色々調べ出した。

根室とか行ってみたい。
いや、北海道の距離感を知らんわけじゃないので、行けないのはわかってる。千歳じゃない空港にすればいけるだろうが。毎日飛行機で移動すればワンチャンある(ない)。
根室網走知床野付半島行きたいね。


スリーピーというバンドが好きなのだが、ねむろという曲がある。その曲が好きだ。ボーカルなりーぴーの出身地だ。

homecomingsも北海道の話をしてた。どのアルバムだったっけ。

とにかく、北の端っこに憧れがある。日本なのに、日本じゃないみたいな、そういう所かもしれない。
そもそもアイヌの人々の土地だった訳だし。そりゃあ何か異国の様に、感じているのかもしれない。
北海道の川は荒々しくて長いと野田知佑氏も言ってたな。ヒグマが出るので気をつけろともいってたきがする。なんだろうね、そういえばアラスカとかも行ってみたいよね。

そういえば北海道物産展で、厚岸って読めたのが嬉しかったです。

想像するだけならタダなので、すごい想像だけする。

冬服の洗濯が着実に終わっていくのが気持ちいい。東京は衣替えのシーズンである。植物はすくすく育ってる。元気すぎて多分私より元気だと思う。うける。

ちなみにまだニーサやってない、腰が重すぎる。

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンによせて

泣きすぎて瞼が重い。
この文を書きながら泣いている。

アニメも含めてネタバレと私の価値観を沢山含みます。たぶん。
京都アニメーションに対する感情の話もしますので、辛い人は見ちゃだめです。書いてても涙がとまらないので。



土曜日に「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見に行った。
新宿EJアニメシアターには人がたくさん入っていた。
映画館には啜り泣く声が響いていた。
嗚咽を漏らさない様にしながら見るのに必死だった。
オープニングにコチコチと時計の音が聞こえた。

ヴァイオレットの成長。
「あい」が何かわからなくて、「してる」が動詞である事しか理解できなかった彼女が、少佐を理解したいという思いであそこまでたどり着いた。
選択できる、人間になった。

少佐が全てであった彼女が、あんな風に最後の手紙を書くだなんて。
あまりにも美しくて、深い愛情に裏打ちされた選択だと思った。もう会えなくても、それでもいいと、生きていてくれて嬉しいと、そういう言葉を伝えるだなんて、あまりにも悲しくて、なみだがとまらなかった。少佐を目の前にして、言葉を紡げなく彼女が、愛おしかった。

少女兵として、彼女を働かせてしまった後悔は消せない。「火傷」はそう簡単に消える訳がない。

帰還兵達はPTSDで苦しみ続けている。そういうリアルさを、隠さずに書いている故に、戦争映画であると思った。

私は男女の安易な生殖エンドが嫌いだ。
この映画は、二つの人間を主軸にして、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという人間を描いている。彼女と少佐がどうなったかは、明確に描かれていない。そこに好感が持てた。指切りをする。男の子は死んだ。でも、彼が教えてくれたことは、残り続ける。
余白が美しい。そう思った。

生きている人間達、居なくなってしまった人達に向けた、傷付いても生きてく人間達に向けられた、剥き出しの優しさが流れ込んでくる様な作品だった。


エンドロール中に身体が震え、涙が止まらなかった。もう、新作の映画のエンドロールでは見られないのだろう、好きな人達の名前が流れていく。沢山の見覚えのある人達の名前だ。

あまりにも辛い、当たり前にある筈の存在は、当たり前では無く、損なわれてしまったのだと、どうしたって思ってしまう。

作品は作品として受け止めて欲しいと思って作られているのだろうけど、まぜこぜにせずに見ることが私にはできそうもないを
いない人達の事を、想わない訳にいかない。50年分の手紙を読み返しながら生きていくよ。

TRUEさんの「未来のひとへ」。
今、遺されてしまって、生きてしまってる人間達の、苦しみを歌ってる。
死んでしまった人たちがきっとこう思っているだろう事を、優しく歌っている。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの作中で何度も何度も繰り返されていた、手紙でなら書ける、そういう感情もある。
だからきっと、手紙というのは廃れず、今も残り続けている。

人は死ぬ。必ず死ぬ。
ただ、その人間が生きていた事で、周りに生まれた感情は消えない。死んだからと言って、存在の全ては消えない。消そうとしたって残り続ける。生き残ってしまった者達は、居なくなってしまった存在の空白を、その人の存在を抱きしめたり、手放せなくて、「何を見ても少佐の思い出に結びつく」様に、我々も、そうやって生きていくしかない。

エンディングが終わった後、コチコチと時計の音が聞こえた。ヴァイオレットが、歩いていた。
未来と過去を繋いで、歩いていた。


『愛した日々は消えず、過ちは色褪せぬまま残る、あなたと生きていく。』


「生きる」と「死ぬ」は連続した一つの事象だ。

これは私の価値観だが、「生まれてしまった以上は死ぬまで生きるしかない」という気持ちで生きている、「生きる」ことは「生きている」という意味しかない。
一応仏教徒なのだが、敬虔な人に言わせたら「意味の無い命なんてない」と言われそうだなと思う。
意味があると言われ続けてきたからこそ、わざわざそういう風に表明したくなるのかもしれない。

TRUEさんの「WILL」という曲。
この作品のテーマを表している。
死も世も、存在するものであると。
生きていく事を選ぶ以上、生きていくしかないのだと。

あの事件で失われた人たちの魂は、あの方々の心は、次の世代に紡がれている。悲しいけれど、いなくなってしまっても、全部消えるわけじゃない。
心の中に存在するのだと、そういうことを思った。そりゃそうだよ。だってたかが作品の1ファンだって、こんなに苦しいんだもんなって思う。

善く生きていく事で、救われるのは自分の魂である。そんなふうに思う。

素晴らしい映画だった。
号泣しても良い上映回を映画館が開催してくれないだろうかと思った。

「百合」という言葉を使わない様にしたい話

憂鬱な朝は音楽を大きめにしてイヤホンをぶっ刺す。Official髭男dismの音楽の気持ち良さなんなんだろうな。カラオケで歌うなら後半の方が良いよね。

先輩にご飯行きましょうって話をした。そしたら「社交辞令じゃ無くて嬉しいよw」と返事が来た。
多分だけど、先輩は満遍なく他人に興味が無い。好きな人/嫌いな人はいるらしいけど、誰とでもおしゃべりできる人だ。誰とでも仲良くなれる。羨ましいね。偉い人が彼女を気にいるのはわかるよ、かわいすぎるんだよな。

雑談おわり。

殺意を抑えながら下の文章を書いたけれど、滲み出るものは抑えられてない気がする。では続き。


創作百合界隈の色んな問題を最近立て続けに見ていた。

その結果、百合では無く「GL」という言葉を今後使う事にしたという話だ。

まず、百合界隈を取り巻く問題の話をする。
「百合を読んでいたはずなのに、突然出てきた男に女の片割れを取られる」
という事情が起こる作品を、見た事があるだろうか。
おそらく百合が好きであればあるほど、目にしている確率が高いと思う。

百合を書いている人間達の中ですら、そういう描写がとても多い。なぜこういった事が起こるのか、いつも心がズキズキしてる。

自分なりに考えている事がある。

「女はいつか子供を産むもの」や
「女は子供を作るという行為に対して犠牲的であるべき、それが女性」
等、
まずは「女性が諦め/犠牲になることで成り立つ家庭単位」でしか物事を考えられぬ、権力からの抑圧があると感じる。

また、それと同様に「女性が主体である恋愛に対する無理解」があるのはないかと思っている。もっとわかりやすく言うと「女は男の所有物、家庭にいてくれて子供を産んでくれる愛玩動物の様な存在」と思っている人間が一定数いるのではないか、という事である。

「百合」と言われ、読んでいた作品で突然男とくっつくみたいなのが多すぎて、心が折れている。

もう折れているので、安心して読める作家さんの話しか読みたくないので、好きな人か、コミティアで中までじっくり読んでからではないと買わない。

ちなみに余談だが百合姫コミックは作家さんに対する扱いの酷さや、前科が多すぎるので基本的に買わない。


ジャンルの棲み分けをしたいと思っている。
それだけ出来れば良いと思っている。

その為に「百合」を「GL、ガールズラブ」と呼ぶ事にした。
今後の話なので、間違えて百合と使ったらその都度是正していきます。

「○○百合」みたいな用語を使用しているのに、男が恋愛当事者として突然飛び出してきがちだ、各々多分心当たりあると思うけど、割愛する。

例えば、「ホ○(ゲイの差別用語)百合」とか「BL百合」とか、聞くとオェーってなる。いや、言わんとしてることは分かるんだが、私は女の子を褒める時に○モとか、BLとか使いたくない。

「百合の間に挟まりたがる男」というネットミームがある。多分見たことある人も多いと思う。

女性同士の恋愛関係を尊重出来ない人間の言葉だし、そもそも「女二人の間に男が挟まったら、女同士の恋愛ではなくなる」じゃないですか。

多分だけど、百合という言葉が良くない。
↑に書いた「百合の間に挟まりたい男」というのは多分、「女の子二人に挟まりたい」という位の意味なのだと思う。

ちなみにこれ書いてる間も怒りが湧いてきてぶちこ○すという気持ちになる。抑えて書いてるので言葉が読みづらかったら申し訳ない。

言葉の定義の問題として「百合」には「女性同士の巨大感情/女性同士の恋愛」が含まれると主張する人、
「自然全般に起こるエモいと言われる事象全てを百合と呼ぶ」人、
「恋愛のみを百合と指す」人、
だいたい定義付けの時点で揉めてる。

それを楽しんでる人もいれば、
真剣に悩んでる人もいる。

曖昧であるが故に付け込まれる。
定義を決める学者はいない。
「百合」は、良い言葉だと思っていたが、隙の多い言葉だと感じる。

だからこそ、
GLならば「ガールズラブ」だ。
「ボーイズ」ではない。
なので、今後はなるべくGLを使う事にした。
私は「女性同士のラブ」が見たい。

ヘテロラブが見たいなら、ヘテロラブを見るし、ボーイズラブが見たければボーイズラブを見る。それでいい。ジャンルさえ越境してこなければ、(私は嫌いな概念ではあるが)ハーレム願望だってどうでもいい。
突然百合を語るから、意味不明な事になり「しね」と言われる羽目になるのだ。

もしこの記事を読んでいる「百合の間に挟まりたい」という人間がいたら、今後は
「女の子二人からモテたい、ハーレム願望がある」と言う様な形で自分の言葉を紡いでほしいと思う。

繰り返しになるが、
今このジャンルでは、女性同士の恋愛に男性が混ざることも百合と呼ぶ人間がいる。それは事実であり、百合という言葉の曖昧さ故に起こる事だと思う。

女性の地位の低さ故に「(男の所有物としてタダでセックス出来るはずの女という存在に)挟まりたい」という言葉が出てくるのだと思う。

この世はクソだ。

好きなものに対して伸びてくる悪手に、どいてくださいと言ってもどいてくれない。怒るべき所では怒る。
失礼な態度には失礼な態度で返す。ぶっ叩かなくてはならない。自衛をしなければならない。
私が知ってる10年前からこのジャンルは一向にこの問題を解決できない、多分女性の地位の低さもあるのだと最近とみに思う。

だからこそ、好きである自分自身が雑味のある言葉を使う事を避けようと思う。

これは意思表明だ。雑になってしまうが、この辺りで締めくくろうと思う。

新卒の話

新卒ちゃんに言いたいことは、満員電車では(特段の事情がない限り)カバンを下ろすことと、駅の通行帯を守ることと、電車降りようとしてる人がいたら、一回降りるとか、そういうこと位だ。
クソみたいなホモソーシャルに染まらずにいてくれたら凄くありがたい。
今までの世の中をよくできなかったのは大人が悪い。好きじゃないならほどほどに、好きならたくさん働けばいい。


人生で一番辛かった時を挙げるとするなら、就活〜新卒三ヶ月の研修期間だ。
私はリーマンショックの頃の卒業生だ。就職率のグラフをみてもらうとわかるが、ロスジェネ並の就職率の悪さ、介護と外食産業以外の求人はほとんどなく、私の希望する事務職には人が殺到した。二週間研修に行った会社では「派遣なら良いよ」と言われた。
今はもう違うのかもしれないが、新卒ブランドというものの価値はかなり高い。床上手の処女と童貞を求めるのが世の中なのかと絶望した。
給料も安く、休日も少なかった。正社員であることは必須だった。今は派遣も当たり前の働き方(社員になりたい人は社員にしてやってくれよバカ)ではあるが、個人的にもう無理って感じになった。トイレで泣いた。

卒業が決まっても内定が無く、就職課の方に最後に紹介してもらった所でなんとかギリギリ滑り込み内定が出た。自分の望み通りの企業だった。何社受けたかは思い出したく無い。突然涙が止まらず、面接に行けなくなった日もあった。

ちなみに、年間休日120日以上、給料10万円台後半(京セラとか前半がほとんどだった)の求人でした。休みとお金の為に働いてるのは昔から変わらんのですよ。やりがいとかあったら嬉しいのかもしれないが、無くても別に良い。仕事に仕事以上のものを求めていない。

大学時代は、ダメになったら関係性を切る人間だった為、友達の輪を渡り歩いていた。仲良い子もできたけど、今はもう連絡とってない、みんな生きてるといいな。死んでてもいいけど、自分の思うように楽に死ねてるといい。
卒業旅行?んなもんほぼ全員就活しとったわい。

そんな訳で内定後、長距離早朝通勤をしていた。節電が叫ばれていたせいで、各駅停車しかなかったので、地獄だった。同期が数十人いたが、すでに内定式で仲良くなっていて輪ができていた。まさかの同じ大学同じクラスの人がいたので、その人とずっと一緒にいたけれど、そんなに仲が良くない。
ウルトラハイパー人見知りであり同世代位が一番苦手で毎日の研修が地獄だった。地獄だったことしか覚えてない。

実地研修であった先輩達とは、同じ職場で働くこともあったし、実地研修は良い経験だったと思う。楽しかった。同期に仲が良い人は同じ大学の人しかいない。ちなみにその人はなぜか強制的な新卒の異動も無くグングンと出世している。悲しい。お給料欲しい。

異動があると評価対象として下に見られるのが世の常だししゃーないところあるのだが、どう考えても気に入られてる系だ。どこもそうかもしれないが、うちの会社で出世できるのは可愛げのある人間だけだ。それでも平均より給料は良いから辞める気はない。うんち。

腹いせにFPを勉強してるが、計算式が苦手すぎてつまづきまくってる。受験、9月にしようかな、、、。

スシローに行って巨大エビフライを食べた。
今日はヴァイオレットエヴァガーデンを最終話まで観た。映画館ギリ間に合うかな。

新卒の頃のことは押し付けてくる同期愛みたいなのが本当に辛かった。好きな人はじぶんでえらぶよ。
私は団体行動ができない。したくない。

タクシーの話

疲れ果てて、1メーター位の距離だがタクシーを使った日があった。

私「タクシー使うのは良いけど、ドライバーに偉そうな口訊かれたりしないかが心配。女と見ただけでタメ口聞いてくる野郎とか一杯いるんだよ…乗るの怖いな」
同行者「いやいやそんなことないっしょ大丈夫」

タクシー乗り場について、乗ってドライバーに行き先を告げた瞬間。

ドライバー「あ?ホテルすぐそこだけど?」

予感的中。怒りで手が震えだす。
焦る同行者。無言の車内。名前を確認すべきだったなと今なら思う。タクシーなんて贅沢な乗り物ほとんど乗らないので咄嗟に出てこなかった。
1メーターというだけあって、すぐについた。
同行者は私を先にタクシーから出してくれた。その後のやりとり。

同行者「PayPayで」
ドライバー「はい?」
声を大きめにして喋る同行者「PayPay?わかる?キャッシュレス決済」
ドライバー「ああ…」

その後の声は聞こえなかった。
ドライバーも二回り以上年下の女にタメ口聞かれて面食らっていた。お前が今までやってたことだよと思う。

同行者はそういう人間を見ても「ふーん」位しか思わないらしい。

タクシーを降りた後の話。

同行人「マジでいるんだねああいうやつ」
私「フラグ回収かよって感じだったねマジクソだしねばいいのに、でも言い返してえらい」
同行者「いやー、あれはないわ」
私「私だと言い返すだけで怒りが湧いてきてあそこで多分泣いちゃうと思うので助かった」


という話をした。
これはちなみに去年の話だ。
これはフィクションではない大マジの話だ、女というだけで金を払ってもバカにされる。ちんこもげろ。

以上いつか書こうと思ってた話。
失礼な奴には失礼な態度で返せば良い(素振り)


違う話もしたいので書きます。これは反省文と良かったことです。

ピンドラが映画をやるらしい。

10年前はミソジニー剥き出し人間だったので、トリプルHが出てきた瞬間に「女同士の諍いになるんだろうな」みたいにファーストインプレッションで思ってしまった事を思い出す。自分を恥じている。あの3人はそこから程遠い場所にいた。あの頃は「学校で習ったことと、世界の空気」が、「自分の考え」だった。クソ野郎だ。

しかしながら、そう言ったテンプレートみたいないわゆる「女」と言われる生き物が弊社には余りに多くて、うんざりしてる。

自分の主義主張が無いのにも関わらず、「主義主張があります」みたいな顔をしている人間が嫌だ、私が会社で苦手なタイプの概ねがそんな感じだ。批判しとけば良い、周りと合わせれば良い、なんの哲学もない可哀想な人だと思う。

主義主張が無いから誰にでも合わせるよ、みたいな人も多い。そういう人は話を聞いてくれる人が多いので割と好きだし、伸び代しかないので好きだ。

今日はクソみたいな飲み会(このご時世で一気飲みして唾を飛ばしながら大笑いしてるとか正気か?)があり、事務所内でやったので、会議室の馬鹿騒ぎを横目に自席で黙々と食べた。スシローの寿司は美味い。

私の大嫌いな隣の席の気分屋エコ贔屓後輩の女嫌いおばさんが、大好きな先輩に話しかけに行っていた。私は気にせず会話にも混ざらずポケゴーをやった、トルネロス捕まえたぜ。

偉い人がこっちにきたタイミングで「いくらなんでもあれはやばくないですか?」と言ったところ「毎日一緒に仕事してるから」と言われた。

大好きな先輩が「いやでも部外者いますよね」と言ったので、私も「三人もきてますけど良いんですか?」と言っておいた。これで無症状者がいて、いっそ馬鹿騒ぎ組に感染すれば良いのにとまで思った。うんこ。

締めが終わって、大好きな先輩と一緒に駅まで行った。
先輩が「のらくらさんさっき会話混ざらないから、どう話振ろうか悩んじゃったよ」と言ってくださったので「気にかけて頂いてありがとうございます。でも失礼な奴には失礼な態度で返すことにしてるので、気にされなくて大丈夫ですよ」と返した。先輩笑ってた。苦手な人が大体一緒で、苦手な理由が大体一緒。
今度二人で食事行くことになった。

これがあったので、今日はだいぶ気持ちが楽になった。飲み会の後はいつも心がものすごく荒むのだが、今日は先輩のおかげで助かった。

そろそろ人に会わないと無理になってきたので、人と予定を合わせたりしてる。密を避けた遊びか、距離の取れる形でしか遊ばない予定です!