のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

人間の使える力は限られている話

三半規管がどうやら奇跡的に弱くないのではという気がしている。
気圧頭痛もちなのに目眩で倒れないのはもしかしてそういう事なのか?と思っている。

先日友人を連れて釣船に乗ったのだが、波も穏やかで大きめの船だったのにその時に友達がマーライオンになっていて可哀想だった。
しかし、別口の友達を連れて行った時に、波高くて振り落とされるんじゃね?って位で、私でも三本指に入るくらいの揺れだった。だのに友人は楽しそうに釣りをしていた。なんだろうこの差はと考えてみた。
酔わなかった友人は良く出張で新幹線やら飛行機やらに乗っている。
かたやマーライオンになった友人はほぼ乗り物乗らない、職場に走って通ってる肉体改造人間だ。

こういう差って多分あるんだろうなと思う。
私は釣りしてる時ずっとアドレナリン出てるから酔いにくいってのはあるだろうが、船に回数乗ってれば身体が慣れるというのもあるだろう。遺伝的なものもあるかもしれんが。

職場のストレスが限界でメニエールの検査をしてもらった時も数値は異常値を出さなかった。だからそういうことなんじゃねえかなと思い、そういうことにしておこう。


「付き合う人間は選んだ方が良い」、この言葉についてよくよく考えた数ヶ月間を送った。
多分「無限の時間があるなら色んな人と付き合った方が絶対楽しい」んだけど、
我々は大抵8時間+α労働をしており、
それとは別に日常を送る必要があり、
家事をやり、人生の為にあらゆる事をしなければならない。

そしてなにより私の人生は、恐らく他人と比較した時にデバフが掛かっている状態で稼働している。生まれたことから間違いだった。こんなゴミに溢れ、クソまみれの世界の中で、たまに逢える美しいものに生きる為の力を貰い、その残滓を掬い、生きる為の努力をする。苦しいのは嫌だから最善を尽くし生きるしかない。自分のケアのために割く時間を大幅に取る必要があるのだと、いう事に気がついたのはここ半年くらいの話です。私は逃避をすることで生きている。音楽が手放せないのも多分そういうことなんじゃあねのかなと思う。

そんな訳で、自分の為に生きる必要がある。
なので、時間を増やさないといけないのだ。

さて。
私は友達が好きである。
友達の為なら、出来る限りのことはしたいっていつも思ってる。好きな人たちの為なら頑張れる。
だけれど、それによって己が疎かになるのは違うよな、という出来事に出逢ってしまった。

数年振り2回目、「ああこんなんだったなあ、懐かしいな、私の存在なんかどうでも良いんだなこの人にとっては己さえ守れれば、こういうふうに言われた方がなんて思うのかを考えることすら放棄して、でもでもだってを繰り返すのが人間なんだな」という気持ちになった。

数年振り2回目、どちらもブラック企業お勤めの人。ブラック企業は人の心を削るんですかね。
みんな仕事好きっていうけど、自分の人間らしさを差し出してまで、自分の友達を傷付けてまでやる必要あるのかな?って思っちゃうけど、まあ「仕事好き!」なら全て自分の中で許されるんでしょ。資本主義だからね。周りも肯定してくれるよね。周りの100000人が肯定しようが、私は肯定しないけどね。知らん。自分の心に嘘ついてないのかなあ。

食ってかなきゃいけないからって理由で労働してる!ブラック企業大好き!やりがい搾取されて嬉しい!って言ってくれる方が誠実。言い訳されるとさ心の芯から冷えていくんだ。あと嘘をつくっていうのは、自分の心に負債を抱える事でもあるので、好きじゃない限りはやめた方が良いんだわ。こちとら物心ついた時から今までずっと嘘つきやってるので慣れてるけど、やんなくていいならやんないのが一番だと思ってるわ。

仕事が好きという感情会得できる気がしないぜ。ごめんよ世の中の仕事好きな人、それでもなんで好きなのかを知りたいと思うから聞いてしまう気がするけど。

まあそんな訳で色々相談に乗ったんだけど最悪の結果に近い所で落着したって話。すげー時間を使い、無茶苦茶言葉を選び、闘志を削らない様に、頑張ったつもりだが、何も伝わなかった。怒りも悲しみも通じてない。真剣を踏み躙られたなあという気持ちで心底疲れてしまった。考えるだけでぐったりしてる。私はただの軽口に乗っかってしまったんだな、それが「そんな気持ちは本当はなかった人間の言葉を、本当の言葉だと思ってしまった」のが悪かったんだなという気持ちになった。そう思うことでしか自分の心を慰められない。あな悲しや。私の誠意は通じない。
「変わりたい」なんて、嘘なんだな。
私の気力と時間を返してほしい。期待と軽口に乗っかった。それは私が人を見る目がなかったんだなという結論になる。すごく素敵な人だと、私は思ってるからこそ言ったんだけどね。

逆説的に、自分のために時間使わないと、他人の人生のために心を砕いても、報われないことが多いのならば、心を砕いた時間ごとまるごと無駄になる。自分のために時間を使わなきゃダメだな、もう少し自分のために使おうと決めた。決意した。決めることが大事って露崎まひるさんが競演のレヴューで言ってたよ。強く優しく美しくはなれなくても、戦い抜くことを誓うことはできる。

昨年全ての時間を勉強に打ち込んでわかったのだが、時間というのは有限なのだ。そしてやりたいことをやると時間というのはあっという間に消え失せる。去年の時間の流れは一瞬だった。今年は長ーーーい。沢山遊んでいても長ーーーく感じる。しかし、それでも、労働している以上時間は有限なのだ。長いけれど、短い。
労働しなくていいならもう少し他人のために使える時間も増えるだろうが。自分のために使わないと人生が間に合わない気がしてる。私の人生は、私が作らないと誰も作ってくれないのだ。だからやらねばなるまいて。

生きてて良かったと心底思える様な(希死念慮があったとしても)人生にしていきたい。
私は言い訳をする時は嘘をつかない様にしながら言い訳したいと思っているし、嘘をつく時はちゃんと嘘をついている事を自覚してやろうと思う。それが誠意だ。私の人生は言えない事だらけなのでアレですけど。


めんどくさいよー
楽しい事と必要なことだけして生きてたいよー
デバフ早く解除したいよー