のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

弊社の話

「そんな苗字あり得ないですよね」
「あり得ないって事はないんじゃないですかね。実際にいないかどうかは調べてないですし」
という会話を後輩氏とした。

後輩氏まじで自我が無さすぎて必要以上に否定的すぎて扱いが難しい。「ありえない」とか「そんなんじゃやっていけない」とか、そういう言葉をよく使う。んな事は無いし「あり得ないなんて事はあり得ない」ってハガレンにも書いてた。
余白の無い言葉はなんというか後輩氏の網目からすり抜ける人間達もいるんだよな…。やめたら?というのが私の嘘偽らざる気持ちだが、でも多分言った所で「そうですね!」と言ってそのまま言い切りを続けるのが目に見えている。見えてる世界が狭すぎるんだろうな、クソ弊社で生きてるだけでも流石に狭いと思ってしまうぞ。性根が腐り切ってるわけでも無いので、うーんって感じ。悪い人じゃないという枕詞を使われる人は大体悪い人である(私調べ
想像力を働かせて、いるかいないか分からないけれどそこからこぼれだすマイノリティの事を常に考えるといいのかもしれない。みたいな事を思う。

会社でまた嫌なことが起こった。
詳しい内容は聞けなかったのだが、「女だけの会議だから全然進まないw」みたいな冷笑を当の女性がしていて、それに女たち二人が賛同する様に笑っていた。「あーw察しました」「それはーうーん。そうかもね」等。私はいつも通り押し黙っていた。辛かった。素振りしてなかった内容だった。どーしたらよかったのだろうか。

そもそも女達は社会では虐げられる存在である。お互いがお互いを支える様に愚痴を言い合うことで、コミュニケーションを取る事で理不尽を解消しようとする事で社会との軋轢から身を守っている。男達は克己心とかいうものをホモソ家父長制社会から植え付けられて「愚痴らないことが素晴らしい」「男らしい」という風に思わされている。
そして男優位の社会だからこそ、「愚痴る女達はダメだ」という風に、ミソジニーによりそういう意識を植え付けられる。そして「女の会議は長いからダメ」という風に思うのだろう。

認識の共有をすることがダメなことでは無いし、結論を出すことだけが正しいというわけでは無いだろう。男だけの会議だと決まるんか。そもそも決定権が女に無いという話では無いのか?男の会議で決まるのは、男にしか決定権がないからなのでは?という気がしてきた。だから女達はさらに愚痴を言うのでは?というそれな気がしてきた。これかも。書いたらまとまったわ。
書くって大事だな。
今度そういう話になったら「その会議には女の人で決定権者がいるんですか?居ないなら、女だけだと愚痴になるのも仕方なくないですか?」という風に言おうと思う。そして女の決定権者がいるのなら「女は社会的にお互いに相互扶助し合ってフォローし合ってるのだから、そりゃ相手の話を聞くのはあたりまえなんじゃないですか。だから進まないというのは人を大事にしてるってことなんじゃないですか?」って言おう。
ちょっとすっきりした。
素振りの結果なんかどっかにまとめておいて、このミソジニーにはこう返す、みたいなの準備しておきたいな。準備運動が大事。



しばらく腸の調子が悪かったので食べ物を控え目にしてたらみるみる元気がなくなったので夕飯は豚の骨周りの肉を焼いて焼き肉にした。美味しくって元気が出た。肉は最高。しかし培養肉が美味しくできる時代が早く来てほしいという気持ちもある。なんにせよ肉は美味しい。千葉県の豚の命に感謝だ。そういえばふるさと納税の豚もそろそろ届く予定である。なるべく食費を削る奴を意識的にやってるのだが、ちょっと息切れしてきたのでぼちぼちやっていくことにしようと思っている。相変わらず節約系のYouTubeをよく見ている。これは趣味。節約というのは努力もそうだが、大事なのは節約に挑む概念なのだという話をしている人に巡り合って流石に面白いなと思って見ている。


これはgwにであった子ウサギの命ちゃんです(勝手に名前を付けた)