のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

自己表現についてのまとまらない話

先日書いた文章で「クソ」という表現を何度かしていたが適切ではなかったと反省しているので少し直しました。
クソと書くならば、そのクソがいったいなんなのか、ちゃんともっと詳しく説明すべきであると思いました。自分の言葉で書こうねという話。

まとまらなくて長い話です。
序盤のまとめ以降はいつも通り自分に向けて書いた文章です。



パワハラ研修なるものを受けた(自主的に)。まずはパワハラしてくるお馬鹿さんに説明できる様にするためにもこちらが理解しなければならない。知ることは武器になる。

コミュニケーションの取り方にはおおよそ以下の種類があるらしい。

・攻撃的
・非主張的
・アサーティブ

・攻撃的
まあこれは読んで時の如く。
自己主張を貫き通す様に伝える攻撃的なコミュニケーション。相手の事情や気持ちを汲み取らず、自己主張を積極的に行う事。バカにされた等の誤解を生みがちで(誤解ではない気がするが)結果的に歩み寄れないので問題解決には至らない。

・非主張的
自身や自信の無い人が取るスタイル。自分が我慢すれば良いだとか、結局我慢を抱えてしまいがちになり、誰かを恨むことをしてしまいがち。結果的に己の気持ちを話さないが故に、自己を分かってもらうチャンスを失う。

・アサーティブ
お互いの思いを出し合って納得行く結論を話そうというコミュニケーションスタイル。よく言う「あなたもOK、私もOK」とは、このコミュニケーションのことだ。世界平和に一番近いスタイルだろうと思う。

研修としては、アサーティブなコミュニケーションを目指そうねという話であった。まぁごもっともである。


身近には分かりやすくアサーティブな人がいる。その人らのコミュニケーションスタイルを真似ているつもりだが、私は攻撃的になりがちだ。これは呪いなので、今克服している真っ最中なので諦めずに取り組んでいきたい。呪いは自分しか解けないんだよ。

脱線するが、昔は非主張的な人間だった。言ってもどうせ何も起こらなかったから、諦念の中で生きていた。同調圧力の中で生きない人間の足を引っ張っていた。本当に恥ずかしい話ではあるが、あの過去があり、今がある。



口を塞ぐな。塞げば理解すらままならない。己の考えを自分の言葉で伝えてくれよ。そう思いながら(言いながら)生きている。

強い言葉をいつも使ってしまうてらいはあるが、考え方としてはアサーティブな部分もあるとは思う。そんなに大成した人間ではないので、あくまでも要素という感じだ。

伝え方って大事だから、萎縮させてしまっては意味が無い。
しかし、攻撃的な人間に言葉を伝える為には強い言葉を使う必要がある。
後は怒ってる時に丁寧に伝える余裕があるか?と思う。そう考えると冷静に伝えるって難しくね?と思う。
だからこそ、「私に対して怒っているのではない」という捉え方をできるようになり、人の話を聞けるようになったらいいなあと思う。

ちょっと話は違うが、自分の気持ちを言語化しない/できない人が世の中には多すぎる。
訓練しないと多分一朝一夕でできるものでは無い。これは多分ほぼだいたい日本の教育が悪い。己を殺すことが美徳とかいうやつ本当だめだと思う。
でも教育が悪いからと呪いを解かなければ一生呪われ続けることになる。

私も7.8年かけて、ようやく少しだけできる様になってきた(それは周りに恵まれているから&本を読んでいるからという事だけなのだが、それでも全然まだ未熟なコミュニケーションであると自覚はしている)。

自己主張とは簡単にできるものでは無い。なんなら自己主張を折られる事もある。

分かり合いたいと思うならばまずはその人間と近いコミュニケーションスタイルを取るのがいいのかもしれん。

自己主張の無い人とわかりあうの無理じゃね?という気もしているけれども、多分こういうところが自分は良く無いんだろうなと思う。

話してくれたら良いのにと思うのは易しで、話をするのって慣れてないと無理なんだよな。受け入れてもらった経験値があるか無いかで、言える言えないが割と違う気がする。

昔はその立場にいたはずなのによく喋る様になったなとは思う。
でも言ってくれなきゃ分からないのは本当なので、逃げ出したく無いと思った時は言葉にして欲しいなとは思う。
別に逃げ出してもいいとは思う。でも逃げ出したことを忘れられなかったりするじゃないですか。私は逃げた事で後悔してることがあるタイプなので。

言葉にしてくれたら意見を交わせる。交わした意見の結果がどうあれ、意見を交わした経験は残る。

私は体験を持って、あとはフィクションの力を借りて、昔よりはマシな人間になった。これでもなっているのだ。昔を知ってる人にはだいぶ変わったと言ってもらえている。

私を変えてくれたフィクションの大きな要因にカルテットがある。
周りの人間関係に恵まれない人もいるだろうから、フィクションの話だけに留めておく。なんだかいつも仲間自慢になっていて申し訳ない気もする。

怒りと悲しみと絶望は心を削ぐ。
削がれた心は中々元に戻らない。

「あなたはどう思いますか?」という言葉を常に冷静に投げかけられる位の器が欲しい。
怒りを過小評価するとか、抑えるという話ではなくて、「むしろ己の怒りを蔑ろにせず、目の前の人間はどう思うか」を聞ける様になりたいという話だ(怒りの口を塞ぐ事は、少なくとも私にとっては許されないことなので)

パワハラを受け続けている時には、考える力も削がれる。

私にはまだまだ、及ばぬ所ではある。

とりあえず学んだ事はアサーティブって良いよねって話だ。

お願いする立場だとどうしても下手に出なきゃ人の心が基本動かないのどうにかならんのかと思う。これはお願いされる立場の私にも言えることだが、人間の思考というシステム難しすぎる。

感情を疎かにしない。自分の弱さを忘れない。言語化を怠らない。それが誠実であるという事だと今の所思っている。


今日も今日とてわがままハイウェイ聞いてる。ツイッター開かないで過ごすと本が読めたりブログが長くなったりする。
ニーサ口座に入金したり、家を掃除したりしてる。
これからユナイトやります。さあとれるかスタァライトたちかわたっとび!