のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

Presense Repiseと引っ越し

流れる時に立ち止まったとしても
自分の来た道は振り替えらない
隠した気持ちは新しい朝に立てた
コーヒーの苦さ
心の中に残る後悔が
浅い眠りの中で蘇る
あの日のあなたはとても輝いて見えた
夢はもう覚めた


Presense。
好きな歌詞だなと思う。
この夢は、浅い夢なのか、将来の夢なのか、それともダブルミーニングなのか。

「振り返らない」のは言葉通りの意味ではなくて、決意なんじゃないかと思うし、「選択」ではないのかと、そういうことを考える。

引っ越し作業をしている。
捨てられないものが沢山あって、
都度開いてみてしまうものがある。
捨てられないものは捨てられないだけの理由がある。感情的になる。毎日それなりに感傷的だけど。

大抵はいつも今が一番幸せで生きているけれど、たまに立ち止まって振り返ってしまう。懐かしいと思うけれど、そこからは動かない。指ひとつでどうにでもなることを、選ばないという選択をしている。

Presenseは『存在すること』という意味らしい。今調べて知った。
やはり『存在の可視化』という作品だったのかと思う。

退場してしまっても、連絡を取らなくなっても、ずっといる。
かごめちゃんも、元夫達も、元夫達にとってのとわ子も、あの人たちの中にはずっと存在している。
悲しいとか嬉しいとか、そういう話とはまた違う。
心の中に「あり続けている」のだ。
それは誰にも侵せない心の範疇の話だ。

後悔を抱えながらも、死ぬ選択をしなければ生きるしかないから、生きていく。
(私は死んでいた時の記憶がないのでわからないけれど)生きている間には幸せな思い出は必要なものなんだと、大豆田とわ子と三人の元夫で知った。

共に生きるというのは、「生きる」だけではなくて、「思い出と生きる」ということも「一緒に生きる」ということなんじゃないかとも思う。
隣に居ない人も、一緒に生きているのだ。
言葉にできない感情があって、言葉にすると余白から溢れて落ちてしまうものがある。その溢れてしまったものは、自分の心に落ちていくから、心の中にはあり続ける。
言語化することは素晴らしいことだけど、言語化できないことは無いのと一緒と決めつけてはならない。だけれど、言語化しなければ伝わることは無いと考えた方が楽だ。伝えなくていいのなら、こぼれ落ちて心の中に留めておけばいい。

つまりは、
外からみたら「無い」ものも、
自分の中には「ある」のだ。

人生において素敵なパーティーの経験はあるだろうか。
私は数年前になんと「サプライズパーティー」を受けた事がある。だいたいサプライズ気付きがちの人生なので、本当に気が付かなかった。だからとてもびっくりした。
「好きな人達とのパーティー」は楽しいことを知ったのはそれが初めてだ。楽しいお祭りだった。
その名残が、引っ越しの片付けの時に出てきた。幸せだったなと思った。今でも時々思い出す。


呪いの清算をやってる。
呪いは自分以外の誰も解けない。助けてはくれるけれど、結局自分でやらなければならないを
私は、私の人生を生きなければならないと思う。

引っ越しのあれこれは、金曜日からがんばります。