のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

ロマンティックラブやハッピーエンドに対する個人的見解の話

表題に対しての反発心がある。
反発心に至るまでの備忘録である。


ロマンティックラブが最上位で、
それ以外は下位互換の様な扱いされてるのが好きじゃない。

昨日ツイッターでみた「熱愛」という報道のされ方にも疑問があるという話。
熱愛かどうかなんて、本人たちしか分からないことだ。
人は無自覚に恋愛=熱のあるもの、と捉えているのではないかと感じる。

友人の友人、つまり他人の話を思い出したので書いておこうと思う。
その他人は、付き合っている人と結婚しようか悩んでいたらしい。悩んでいた理由が、相手のことが好きだから結婚するのではなく、結婚がしたいから結婚するという気持ちの方が強かったかららしい。
その選択を聞いた友人は「嘘だろ!?」思ったらしい。
その話を聞いた私は
「とりあえず一回結婚したらいいし、ダメなら別れれば良いじゃん」
と、感想を述べた。
その考えは斬新だったようで「そういう発想はなかった」と言って貰った経験がある。


これはまた別の人の話だが、前に「セックスレスなのに結婚してる意味があるのか」と言ってるカップルの片割れがいて、仰天した。セックスがあろうがなかろうが、双方納得の上でのそういう関係性を結んでいるのなら、それで良いんじゃないのと思ったのだ。


私は多分「世の中に当たり前の価値観」を全て疑っているのでは、と最近思うようになってきた。


例えば、恋愛というのは個人的なものたま。基本的に誰と誰がくっつこうが「ふーん」という感情位しか無い。(仲の良い人が好きな人と付き合い出した、とかならニコニコしてしまうが)

故に、人の惚気話を社会性フィルターを通し、「恋愛の話はキラキラした目で聞かなければならない」という価値観に縛られているのは苦痛でしかない。どんな風に振る舞えばいいのかも、いまいち分からない。

芸能人が誰と結婚したとかも興味が無い。不幸なく、幸せであれば良いとは思ってるけども。基本はフーンって感じだ。他人のことなどどうでも良い。

これは感情の不思議な所なのだが、同性カップルの話は好きだ。なのに、異性愛カップルだとほぼ興味が湧かない。

義務的に聞かなければならない/例えばこちらの何某かを話さなければならない時間は苦痛でしか無い。

これは不満だが、人間の全てを異性愛で恋愛感情を持つ生き物であることを前提に話してくる世の中が嫌いだ。本当に嫌だ。
恋愛最高みたいなのやめて欲しい。
恋愛最高という話を会社で一生懸命話してくれる先輩がいるのだが、結婚も子供も興味無いからする気がないという話を何度しても「えー?なんでー?」という。全くもって面白いほど言葉が通じない。

最近はそういう話を振って来なくなったのでありがたい。何故自分は結婚もしておらず子供もいないのに「結婚しなよー」と言ってくるのかは最早理解できん。

カップルとはこうあらねばならない」みたいなものが嫌だ。どうだっていいだろそんな個人的なことになんで他人が首をつっこみたがるということは、今後その人の人生のケツモチでもする気持ちがあるのか?と思ってしまう。

関連して苦手なものがある。
「家族は助け合うもの」という価値観も苦手だ。「好きだから助け合うもの」で良いだろ、と思う。なんでいちいち「家族」を出してくるのかが分からん。他には助け合いたいコミュニティが無いのかと思ってしまう。

創作物にもそういうことが言える。
正しい手順を踏んだ、ロマンチックラブだけが是の風潮が好きじゃない。

破れ鍋に綴じ蓋的な関係性や、身を滅ぼしてしまう様な感情や、死を覚悟するような悲しみと共に生きること、二度と忘れ得ぬ感情に囚われた人間、一瞬の心の揺れ動きに任せてしまう人間の弱さや、一人で生きていく人間の生活など。
「世間」から「少し外れた」人間関係のあり方や、人と関係を結ばず生きていくことを肯定するような物語。
そういう話、とても好きなのだ。

兎にも角にもロマンティックラブが最上で、それ以外は煙たがるものや、「またまたそんなこと言って」みたいに茶化す。そういう風潮がダメすぎて社会生活に馴染めない。

ロマンティックであることを決めるのは誰かと言えば、他でもない。我々である。

元来人の感情や関係性とは複雑なものだ。ロマンティックラブだけの創作物なら、己が創作物を書く必要など無い。世の中が悲惨だから創作位ハッピーなものを見たいという人達もいるから、それはそれで良いと思う。
ただ、平和で優しくて柔らかいものだけが創作では無い。
ハッピーエンドとは、あなたの価値観に基づくハッピーである。という事を忘れないで欲しいと常々思う。


描き散らかしてしまったが、多分まとめると

「既存の価値観にはめ込まれたものには、少なからず暴力性が含まれている。自覚も無しに、ハッピーエンド/ロマンティックラブ、を書いた作品に含まれる無邪気な正しさが嫌だ。それらを見るとぐったりする。暴力性に自覚をして欲しい」

という感じの事を私は言いたかったのだと思う。これも乱暴な結論である。

ちなみに自覚をした上で作られた作品とそうでない作品には大きな隔たりがある。差別や価値観を疑ってかかっているかどうか、細かい所に差が出る。言葉遣い一つで違うので、無邪気な作品とそうでない作品は読み比べてみると面白いです。

また気が向いたら同じようなエントリーを書くと思います。まだ全然言語化できてないので。