のらくら備忘録

忘れたくない事と忘れたい事を書く。節約とポケモンが趣味の浪費家。

電車釣行を始めてから買ったものと持ち物

レンタルロッドある所しか行ってないエンジョイ勢だが、ちまちまと道具を買っている。


・クーラーボックス(ダイワ)
何は無くともこれだけは必要。発泡を毎回買うのはだるすぎる。私は単にダイワが好きなのでダイワをよく買ってる。

・指抜き手袋
魚の鰭が刺さるのであると便利、手の腫れがだいぶ軽減される。毒魚じゃなくても刺されれば腫れる。グレゴリーの偽物みたいな柄。糸がほつれず使えればなんでもOK。

神経締めの道具
大閃光でお馴染みルミカライトさんで出してるやつ。いやあ便利ですね。慣れれば船の上でもできる。何より鮮度の良い状態で持ち運べるのほんとうにありがたい。

・サングラス
目が焼けるので、あるのと無いのとだと疲労が違う。コールマンの眼鏡の上からかけられるやつです。川釣りでも使ってる。

・魚捌き用の包丁
中古の包丁を買ってみたがあるとだいぶ違う

・銀色の生臭さとる石鹸
100均に売ってる

・匂いが出ないゴミ袋
夏は無いと家が終わる

・ライフジャケット(腰に巻く奴)
着る奴借りれるけども、すっぽ抜けるだろうから自前のを遂に買った。17000円くらいしたが、溺れ死ぬより良いだろう。溺死は嫌。死ぬなら一発で死にたい。着るタイプは持ってるけどデカ過ぎてちょっと恥ずかしいので。

・アネロンニスキャップ
無いと酔って死ぬので大量に買い溜めた

・釣りに行く時用のズボン
勢いで買いました。高かったけどこういうギアが楽しいんだよな。身長が縮むまで一生使う。

・飲み物・軽食
釣りはお腹が空く。カロリーメイト最高。


買おうと思ってるもの
・手元用のたも網
とはいえ防波堤とかいくなら4mくらいの奴買った方がいいんだよなあみたいなことは思う。しかしアホみたいにデカいのなら一応ある…しかしなあ…。とりあえず欲しい理由は「バケツからアジを取り出す為」なので、台所の生ごみキャッチ袋でも良いかもしれん。


とりあえず電車アングラーなので荷物は軽めに行きたい。釣行で雑に使えるリュックサック準備しようか悩んでる。表面ツルツルしてるやつ。一応スプラのリュックが透明ツルツルなのでそれを使ってる。便利です。



釣りは楽しいです。イシモチって今の時期釣れるのかな。とりあえず東京湾の金アジをつりたいのだ。旨いんだよ。アジ。

持っていくものとしては
目薬
飲み物
帽子
ホッカイロ
針外し
ハンドクリーム

老後は女性専用の釣り場を作り、本や映画を読みながら暮らしたいね。そんなコネはどこにも無いが。

ラジオメディア面白い

最近良くポッドキャストを聴いている。

オーディオブックの導入も検討しているという話を前に書いた気がするが、しばらく導入を見送ろうと思います。何故ならばラジオが面白いからです。

オーディブル試そうかなあとボタンを押す手前で、「ラジオってどうなんだろう」という所に思い至った。ラジオを聴き始めたら、これがまあ勉強になりまくってます。
昔は良く声優さんのラジオ聴いてたけど、いつからか聞かなくなった。実は私は女性の高くてキンとした声が得意では無いらしい。10代の頃はよく聴いてたのに不思議だ。

Spotify年会費支払い済なのでポッドキャストで聞けるのはありがたい。Spotifyもオーディオブック参入するニュースもあったが、どうなることやら。

今の政治についてのニュースだとか、そういう情報が音声で聞ける(動画と違って見ていなくて良い)のは、時間が無い時間が無いと常々嘆いている民としてはとてもありがたい。

ニュースを読むのは好きだけど、「ここはどこどこの新聞社」「これはどこの雑誌」というのを気にして読まないといけないのも大変なものだ。

テレビは見ない。申し訳ないが見る価値のある番組は私に取ってはほとんどない。初恋の悪魔だけ見ているけれど、有益な事が私はキャッチ出来ない。

リアルタイムで情報が入ってくるって面白いね。中々毎日の番組を毎日聞くのは難しいけれど、聞ける時につまみ食いで聞くことにしてる。

Spotifyで面白いポッドキャストあったら教えて欲しいです🙇


個人サイトに回帰しようと思って計画を練っている。
pixivもプライベッターもソナーズもダメ(倫理観や主義主張が許せないゾーンの所にいるので)となると、いよいよ個人サイトの出番である。ワードプレスってなんですか。
今はもう個人サイトまで辿って読みにくる人も少ないだろうけど、自己満足のためにやってみたい。pixivの過去作も移転したいと思ってる。


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物事が前に進む

ものすごいストレスを与えてくる物事の一つが進展しそうな気配を見せている。昨日の夜の話。
気配なのでどうなるかは分からん。私の人生を滅茶苦茶にしている人たちが、前に進み出している。行動しなければ変わらない。行動したって変わらない事の方が多いのかもしれない。だけれど、森から出ようともがき続けることが我々の人生には必要なのである。そういうことを思う。老後と健康の話をする前に、しなければならない話がある。
頑張って生きていかなければ、生きていけない場所に生まれた。置かれた場所では咲きません。選んだ場所で言葉を紡ぎます。

休日は休日をエンジョイしてる。
顔の良い女とお酒を飲んだ(私はあったかい烏龍茶だが)が、顔の良い女は顔もいい女だった。素敵な人だった。言葉を真摯に受け止めてくれる人間、いわゆる聞き上手って素敵だなと思う。お酒で全てを誤魔化すタイプの酒飲みでは無く、お酒を入れることで円滑にコミュニケーションを取るタイプの人間は良いな。酒飲みには色んな種類がいる。私の偏屈な偏りも「そういう考えもあるよね」と言ってくれる。好きになってしまう。多分もう好きなんだけども。

次の日はポケセンで友達となんか色々やったけど何やったかあんま覚えてない。色イエッサンと色シラガちゃんのカードを買った。揃ってない色ポケもだいぶ少なくなってきた、後は高額カードばっかなきがする。

夜は別の友達と会った。が、友人があまりにも自己卑下のオンパレードで自分の横っ面を血みどろに殴り付けて話をする(比喩的表現)ので、もっと自分を大事にして下さい、訓練しなければそれは出来ないですけど、自分を殴りつけると周りも傷付けるんですよと若干怒ってしまった。

自分に最後まで付き合うのは自分しかいないのだ。他人では無い、友達でもなければパートナーでもない。他人とはいつか別れる。他人も自分もいつか死ぬ。幸せを与えてくれるのは友達やパートナーだとは思うが、最後まで付き合うのは私しかいない。だからこそ、自分が自分を大切にする必要があるのだ。他人に自分の評価軸をおいてはならない。それは絶対的にそうなのだと思う。

私は自分のことが好きでは無いが、嫌いにならない様に粉骨砕身努力を毎日している。自分を殴りつける事は私に取っては甘えにしかならない。私に取っては、自分を責める事は楽だからだ。全て自分のせいだと諦めれば自分一人が苦しむだけでいいから。それを他人が優しく宥めてくれることに期待する人生。私はそういうのをやめたいのだ。
喘いで戦って人間や社会に絶望しながら、それでも噛み付いて立ち向かって、自分の為に、自分を幸せにしてやりたいと思う。だからこそ、他人に期待し依存する、自分の悪い所を具現化した、みたいな人を見ると感情が大きく振れてしまう。
他にも言い方があったかなと反省したけれど、受け答えや導き出し方の答えを見る限り言いたい事の一割も伝わってない気がしたので、まあ良いやという気持ちになった。伝わってたらいいけれど、期待をしないという姿勢が私には欠けている。期待しすぎてガックリしてしまう。そういうのは単なる思い込みというのだ。他人にも失礼というものである(ここでいう他人とは、自分以外の人間という意味である)。



次の日は同居人氏と遊んだ。
遂に家計簿みたいなものを買った。
9月からやってく。

服も二着処分した。今週末はスプラ3の発売日なのだがどっちも大好きな友達と会う予定にしてる。人生は自分が作るものだけど、私には友人が必要だ。

映画ゆるキャン△を見た感想の話

ガッツリネタバレを含みます。

映画の日に映画を見に行く様にしている生活3ヶ月目。黙ってても映画は観に行くのだが、わざわざ出向くという体験は楽しい。


胸の詰まる映画だった。
これは社会で働きながら生きていく、我々の為の物語なのだろう。
なんだか胸が詰まって、熱くなってしまった。

日本のアニメーションは「子供時代の学生時代」を描いて終わってしまうことが多い。学生だけが最高とでもいわんばかりで、登場人物達の人生はそこで終わる。登場人物達は永久に歳を取らず高校生のままで、幼いままで私たちの中に生き続ける。

映画ゆるキャン△は、彼女らが大人になり、社会に揉まれながら、3年が経過したところで物語は始まる。働き出した頃って忙しいし、とにかく覚えることがたくさんで、大変だったと記憶している。
就活〜新卒一年目が人生で一番辛かった。
リンちゃんがどこにでもいるサラリーマンだったということがこの映画のメッセージ性を高めていると思う。
毎日毎日通勤して、一生懸命働いて、上手くいかなくて、たくさん残業する。それってまるで我々じゃないかと思ったのだ。共感とは大事なのだなという事を思った。
彼女らの立場は、映画を見に行っている層にも刺さるだろう。

3年合わなくても、年数を飛び越えて昔の関係に戻れる。リアルだねって帰り道同行者と喋っていた。楽しくてタクシーに乗ってしまう。わかるよ。人と一緒だとなんだか気が大きくなってしまったり、ワクワクしたりする。あれはもう最初から山梨に連行する気だったのだろうけれども。

ゆるキャン△の登場人物達は、各々がとても自立した人間達だ。
久々に会っても抱きついたりしない。抱擁ではなく、接触とて、握手なのだ。
アニメーション表現として良く「女性が女性に抱きつく」というものがあるが、ぶっちゃけそんなに言うほど他人に抱きつかない。日本にはハグ文化があまりないと思う。
駅でハグしてる人たちもみるけど、全員がハグしてるわけではない。その辺がすごくリアルだなって思う(私は求められない限りハグをする事はない人間だからそう感じるだけかもしれませんが)。

当初企画していた事が軌道に乗り始めた所で別のプロジェクトが立ち上がって潰れ、そこからの立ち直り方が五者五様で、誰も人に当たらず、自分の中で解決しようとしたり、誰かと分かち合って解決しようとしたり、誰も他人を責めない。ちくわも責められない。なんて人間の出来た人たちなんだろうと思った。ゆるキャン△みてると、お互いがお互いを尊重することが上手なんだよなと思う。
(全員が互いの価値観がガッツリぶつかる様な所の話をしないから、ぶつかりようもなくだからこそ均衡が保たれているという事は思った。政治的な主義主張がこの子らには無い。ただ、政治的な主義主張があったとてこの子達は仲良くできんじゃないかなという事を思う。ブックスマートという映画の、あの二人の様に)

そして、「軌道修正と折り合い」を覚えて、あの子達は目的を果たす。我々の仕事なんて大体そんなものだし、ほとんどが果たされないで終わることの方が多い。
(昔住んでた街では土器の破片なんかその辺から死ぬほど出てきてたので、土器一つで開発が止まるなんて、過去を大事にしているんだなと思った)


仲が良かった学生時代の友人に会い、自分を取り戻し、過去の自分に出会う。カブの演出に胸がグッとなった。好きを力にしている人達は強いなと思った。

人間の優しい所だけを切り抜いた映画なのだなという風に思った(恋愛が絡んでこないのも良い)。
時間は止まらないし、変わらないものもない。だけれど、キャンプが彼女らを再開させてくれる。「大晦日に逢おう」というのは、中々理に適った選択だなと思った(ブラック企業でも大晦日は休める確率が高い)。


そして私個人、現実と映画を見比べた感想としては、
こんなにみんな「家族」に恵まれてんの??っていうことはどうしても思ってしまう。
まず学生のうちから女の子のソロキャンしても良いっていう過程がファンタジーなんだよな。
ソロキャンやる女性はそれなりに武装をしなければならない。そういう点がリアルでは無い作品なので逆に見ていてノイズに感じることはある(そういう所以外のノイズはあんまり無いと思う)。

家庭が恵まれてるから大丈夫、という話なのか、リンちゃんが全部自分で出来る子だからなのかはわからんけど。
手綱を手放す父母、見守る祖父、尊重される優しい世界。
未成年の大晦日の過ごし方を選択させてくれる親達。いやいないだろ。いるのか?ラブライブ無印でもそういう描写あったけど全員人間出来すぎでは?私時々レッサーパンダでは親の手伝いのために放課後カラオケに行けない描写があって、すごくリアルに感じたから余計にそう思うのかもしれないけれど。

女性ソロキャンパーに声をかけるクソ出会い男みたいなのはこの世に存在している。「声の掛け方」というブログを書いている人もいた(炎上して記事を消していたけれど)。爆ぜてくれ。
キャンプ場の管理人がどうしようもない人間だったりすることもある。ゆるキャンにはモデルがいるからそんなことはないのだろうが。こんなに優しい世界ばっかりだったり良いのに。強盗や強姦やマンスプに怯えるのはいつも女である。出会おうとするな。出会うならペアーズの中でキャンプ趣味の人を見つけてくれ。あるいはキャンプ婚活でも企画してやってくれ。
(優しさで声かけてくれる人がいるのも知ってるしそれに助けられることもある。ただ、怖い思いをする事も少ないという認識をお願いしたい所である。してあげる行為というのは、その人の為にしてるのではなくて、自分がしたいからしているという認知が必要だと私は思う)
(「女に穴さえついていればいい」という認識でレイプする人間がいる世の中である。物騒だね。趣味をしたいだけなのにんな事気にしなきゃいけないなんて最低なんだけど、もしものために備えは必要なんだよな…本当に心底ぐったりする。この国は性犯罪を「痴漢」だのと言い換えて、物事を矮小化するから、自衛しなければならないなという事を常々思う)


上に書いたのは嫌な側面の話。
ゆるキャンの影響で、女性達もキャンプを楽しめる様になっていたらいいなあという事を本当に思ってるし願ってる。でもそういう人がYouTubeに沢山いるから、きっと増えたのだろう。
創作は現実に影響を与えるものだ。この映画の様にのびのびとキャンプを楽しめる人が増えると良い。生存者バイアスで、酷い目にあった人は出てこないからこそ、尚の事である。

今を生きる我々に向けた温かな映画だったと思う。



さりげなく雪山装備整えていたのすごいなと思った。

私ときどきレッサーパンダを観た ネタバレあり

私が好きな映画好きの人たちが軒並み大絶賛の映画なので、滅茶苦茶観たいなあと思っていたら友人がディズニー+を登録していたので一緒に観た。


以下ガッツリネタバレの話。





死ぬかと思った。

このクッッッッッッソ重たい内容を、これだけコミカルなエンタメに昇華し作り切った事が凄すぎる。これが映画館でやっていたらどんなに良かっただろう。世界が少し変わったかもしれない。ディズニーは概ね子供向けだから、親が一緒に連れていくだろうから。

親にかけられた呪いで現在進行形で苦しみ続ける子供達の魂が、礼節を重んじろ、親孝行をしろと、抑圧される人間達に、蜂起してもいいのだと、そういう事を思えるようになるかもしれない、などと思った。

女と女が助け合うとか、個性がバラバラだとか、顔面を分かりやすく美しく作っていない所とか、パリピっぽくなくてもパーティは楽しめるだとか、男が男アイドルファンをやってるとか、アジア系の絵を描くのが上手い女の子が主役だとか、人種の話とか、恋愛ではなく推しの話であるとか、そういう観点の話は今回やらない。
内容の話を書く。


親からの遺伝である日突然レッサーパンダになってしまった少女メイが、家族の協力の元レッサーパンダを封じ込めようとするというのが話の大筋なのだが、親の遺伝は先代から続くものだったっていう話なんだけど

遺伝というかこれは「呪い」なんですよね。

結局、呪いの家系(毒になる親より出典)って先代や先先代の時代から脈々と受け継がれるものだったりするんですよね。呪いを生み出した人間にも、呪いを生み出す理由があったりする。だからと言って、呪いを正当化して良いわけじゃ無いんですよね。

主人公のメイは優等生で家業の手伝いをやる。愛情たっぷりな母の言うことを聞くように言われ育てられ、その通りのいい子に育った。だけれど、自分の心の中の野生(レッサーパンダ)に出会うことで変わっていく。自分の野生を見つけたメイは、反抗を覚えていく。何故この遺伝が続くのか、どうしてこうなったのか。それを知ることで、メイは自分を見つけられはじめて、母親も変わりはじめて、物語はハッピーエンドを予感させるような形で終わり、最後に私たちへ問いかける。「探しに行きなさいよ」と、トマトを手渡されるのだ(劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト出典)。

親からの愛が欲しくて、親の期待に応えたくて、自分を殺して頑張るけれど、結局は親の100%を叶えられることなんかないんだよなという事を思った。

否が応でも自分の幼い頃を思い出す。

私とメイで違う所は、
「メイはそれでも、ある程度は楽しくやっていた」所で、
私は「全然やりたく無くて、他にたくさんやりたいことがあったのに出来なかった」所が違うんだなと思った。嫌だったのに、嫌だと言えなかった。それは、嫌だと言っても絶対に回避できなかったからだ。嫌だと言えば数時間コースのお説教が待っている。手を出される事はなくとも、解放されない説教は心を削る。

少し話は違うが、今の自民党の答弁(というか会話にならない受け答え)をみていると思うのだが「学習性無力感」というものを植え付けられてるんじゃ無いだろうか、ということを思う。
人間は、嫌だとか、言っても無駄という気持ちの元、自分の気持ちを言わなくなったり、封じ込めてしまうようになるのだ。言っても無駄、だから言わない、という最悪の事になる。

一人で鑑賞した訳では無いので、泣かないで見てたけど、これ一人で見てたら要所要所一時停止しながら泣きながら観たと思う。
私の事情をだいたい知ってる人に、終わった後「大丈夫?」と声を掛けられた。
もちろん、大丈夫では無かったのでダメだと答えた。ぐらぐらしてるのでブログを書いている。
書くことは心の癒しになる。


誰しも己の心の中に野獣がいて、世界中の人間が心の野獣を出して生きていけたらきっと世界はもっとマシになるのだろうなということを思った。

幼い時代、失われた私の感情の事を思った。
ある人達の失われた感情の事を思った。
結局、失われてしまった、出すことのできなかった感情、封殺された言葉というのは肥大化し、ドームを押し潰す程のモンスターを生み出す。本人は望んで無かったのに。

秋葉原殺傷事件の加藤死刑囚のことも思い出した。毒親育ちの「こどもブロイラー(輪るピングドラム出典)」に行きたく無かった子供達の事を思った。親に愛されたくて努力して、愛されなくて、どんなに努力しても自分の存在が叶わないとわかってしまうと、どうせ求める物になれないのだとわかると、絶望するしか無いのだ。欲しかった時に欲しかったものが貰えない子供は、死ぬまで(愛を与えてくれるはずだった当人が死んでも)永久に愛を求める。

メイと母はこれから関係を再構築していくだろう。あの物語の犠牲者は母でありメイであり祖母である。

結局の所、「人生は自分がどう生きるか」「何を選択するか」によって作られる。「あなたはどう?」というのは、そういう事なのだろうと思う。自分を押さえつける事を美徳として生きる事があなたなのか?そうじゃないだろ。
あなたにも野生があるだろう。
己を恥じるな。誰に何を言われても、自分を偽るな。己を生きるのが、己の人生だろうと、そういうメッセージを受け取った。

毒親に見せたい映画暫定NO1です。


静岡県浜松市に観光に行った話

時間が空いたが連休遊びに行った記事から引き続き。すごい間が空いてしまった。

豊橋ポケモン化石博物館の次の日は浜松にいった。目当てはさわやかの新店舗&浜名湖である。
私の推し湖は田沢湖浜名湖なのだが、2022年まさかのどちらも踏破できてしまった。嬉しい。

【朝〜昼の話】
豊橋で雰囲気の良いカフェのモーニングを食べた後(ゼリーも食べてしまった)、車でさわやかへ向かう。さわやかは整理券もぎってから他の所に観光に行くのが正しいルートである。ってかそうじゃないと滅茶苦茶時間がかかる。どうやら13時以降になりそうとのこと。当初の予定通り、ウォットという小さな水族館に出向いた。全国各地の水族館を回っている。魚のことも好きだ。


【ウォットの話】
小さい水族館だった。創意工夫と熱量のある水族館で、研究やってるんだろうなという感じがした。
鰻の展示がされていた。そして浜名湖は想像以上に鰻と共に生きている人間がたくさんいる場所なのだと思った。
私は主義主張として鰻を食べない。
人間のエゴで絶滅しかかってると分かっているのにあえて食べる理由はない。他の命も同等だろという人もいると思うしごもっともだが、種が滅ぶ事に加担できない。そんな恐ろしいことを自ら進んでやれるほど肝っ玉デカくない。

良い水族館であり研究所であったが「シラスウナギの玉子からの養殖には成功していない」という文言は目ただない所に書いてあるだけだった。養殖の話がそこかしこに書いてあったが、これはミスリードだし子供も大人も勘違いするだろうなと思った。よくないよ。それでいてSDGSを語るのは無理があるのではないかと思ったので意見を送ろうと思った。まあでも、鰻と共に生きてる土地で一言書くだけでも勇気がいるのかもしれないが。そこしかないが、そこは評価に値するのかもしれん。しかし鰻の提灯はおふざけだわな。SDGs掲げてそれはアカンだろうよ。

生活のために鰻を育てる人もいる。だからこそ絶滅させてはならない。鰻を好きな人間こそ、鰻のために研究が進むように寄付でもなんでもすべきではないのか?と思う。ちなみに私は鰻は好きじゃないです、食べると元気になるけどもう何十年も食べてない。

でかいスズキがいてテンションが上がった。あと、やけにデカいゴンズイがいて、全体的にここの魚たちはすごく大切に育てられてるんだなと思った。
底引網の話が書いてあったけど底引き網漁はやめた方がいいよと、釣り人かつ持続可能に魚を食べたい人間なので、そう思う。小魚までとるなよと感情では思う。高くなる?まあそれは仕方がないことだ。

そういえば豊橋の動物園に「山で取れた鹿をライオンに食わせる」という取り組みをしている話が書いてあった。なるほどこれは良い循環だなと思った。食害はどこの農村でも深刻だと言いますしね。我々はみんなバランスを取り合って生きていかねばならない。生まれてしまった以上は仕方がない。
進撃の巨人風に言えば「俺が生まれたから」ですね。
バランス良く生きていきたい。
白か黒に触れがちなので。

ぬまがさワタリさんの本が売ってたので買った。やっぱ必要なのは幼い頃からの教育なのかなということを最近とみに思う。物販にうなぎのぬいぐるみキーホルダー置いて欲しいと思った。私が動物好きなのは子供の頃からなので。

湖には小魚や蟹がいた。かわいかった。隣にあった芝生のキャンプ場はゆるキャンで出てきていたかもしれない。ピザだかなんだかをしまりんが食べていた気がする。夏のキャンプはハードそうだ。私がキャンプしてた時代とは、地球の温度が全然違う。


【さわやかの話】
車で戻ってさわやかに向かった。店員さんみんな優しかった。やけにジロジロ見てくる人いるなと思ったら一人ポケモンのオタクがいた。

肉は言わずもがな美味しいし、メロンパフェを食べたが美味しかった。レタスを焼いたやつも美味しかった。静岡は肥沃な土地なのだなと思った。東北育ちなので、痩せた土地にしがみついて、天候に左右されながら苦しんで生きてきた人たちの事をつい思い出してしまう。

素敵な接客をしてくれる人は好きだ。接客業は大変な仕事だと思う。わたしにはできない。
さわやかの創業者は身体が弱く、みんなが楽しく遊んでいた年代に病院にいたらしい。産み作り出した親を恨んだらしいが助けてもらって家族のありがたみを感じたらしい。席が広いのは家族連れでも座れる様にという配慮だろうか。「家族」を大切にする人間たちはすごいね。私は無理です。


帰りはすごい渋滞してた。東名よりも圏央道を使いがちだが、東名はいつも混んでるイメージがある。あと海沿いだからトラックが多い。前日の深夜、入りきれないトラックが高速の入り口に溢れてた。トラック運転手の労働の話を思い出した。

随分遅くなってしまったが全体的に楽しかったという話です。

仕事をサボった話

先日、ツイッターで気になる映画を見かけた。
どうやらユーロスペースでやってる模様だ。
渋谷にあるミニシアターだ。

渋谷ってミニシアターの多い街なんだなと、渋谷から勤務地を異動してから知った。何せ好きな街じゃない故に、苦手意識の方が先行していたけれども、職場では無くなってからの方が良く来ている街だなと思う。映画館のある街、文化のある街。文化にアクセスがしやすい街。

どうしても見たいが、知ったのが遅すぎて平日じゃないと上映期間に間に合わないことが分かった。
いやはや困ったものだと考えていたが、むくむくと「サボれば良いじゃん!」と言う発想が湧いてきた。
サボったら映画が観れる、しかも火曜日はちょっと安い。

そうと決まればサボろう、じゃあどうするのが良いかな、というところを考えながら動き、ズル休みをした。体調不良のフリをしたのだが、体調不良のフリが上手いのは、多分本当に体調不良になりやすいからだなと思う。ごめんね事務所の人たち。無駄に心配をさせてしまうが、まだ「映画を突然観に行きたくなったので休む!!!」という胆力はない。
そしてこれで10月までの有給の残りは3日。

メンタルや体調の関係で会社途中抜けは良くやっていたけれど、こういう形でサボったのは初めてだ。時間がかなりギリギリになってしまったのだが、暑い中を駆け抜けて職場の最寄駅へ。



ユーロスペース道玄坂の上にあるらしい。ハチ公前から109に抜けて、東急Bunkamuraの方から行くルートなら分かるが、しかし、駅に到着したのが開場20分前。汗がダラダラ垂れてくる。

渋谷勤めしていた頃に先輩が前に教えてくれたマークシティの中を通り過ぎると駅まで楽に行けるルートを使おうと思い、頭の中でシュミレーションをする。マークシティまでの行き方はどうすべきか、どう行ったら早いか、人様のブログを読んだりした。マークシティの四階まで上がるって考えたら、やはりマークシティの中を通るのが賢明だなと思った。駅を降りて、エスカレーターを駆使しつつ、階段を駆け上る。
渋谷駅は再開発に失敗したせいで動線が最悪なのだ。
昔の方がずっと使いやすかった。JRに乗りたいならハチ公口が一番わかりやすいと思う。地味に困るのが、銀座線の入り口が遠すぎることだ。ヒカリエには縁が無い生活をしているので、銀座線を使う時は不便でしか無い。東横線も不便だ。私はいつも新宿三丁目を使ってしまう。もうちょっとなんとかしてほしい。

そんなことをぶつくさ思いながらサンドラッグ横のマークシティに上がるエスカレーター前に着いた。なるほど、ここの地下道を使えばサンドラッグ前の横断歩道使わなくて良いのかと勉強になった。渋谷は横断歩道がとにかく長いのも苦手だ。苦手を無くしてみたいと思うが、好きな場所を増やすのが良いのだろうなということを思う。

池袋と新宿は比較的抜け道を知ってるけれど、渋谷は分からない。勉強になった。マークシティに無事到着し、エスカレーターを上る。そしてひたすらまっすぐ歩いて、マークシティを抜けた。ちょうど昨日事件があったのってこの辺だったかなと思いながら歩いていたら、消防車がたくさん止まっていてテープが貼られていてユーロスペースにたどり着けない。交番のお巡りさんに道を聞いて走る。汗だくである。なんとか辿り着いた。渋谷duoの近くだった。
ラブホ街なのだが、ラブホの看板に書いてある文言が面白かった。

チケットを滑り込みで買って、席に着く。急いでる時に現金は助かる。10分前くらいに着いたのでトイレに行く時間もあった。平日なのに結構人がいるんだなということを思った。割と年代も性別も入り乱れていて、雰囲気としては概ね平和だった。服装もみんな自由だった。リモワの途中で抜けてきたりしてるのだろうか。いいなあ。

映画の内容としては、好きな内容だった。平日の晴れた昼間に見るのにぴたりとはまった映画だった。

「遭難者」
自転車乗りの男と、田舎町に住む男の話。人生には遭難することがあるし、私も自転車乗りの男の気持ちはわかるなと思ってしまう。ダメな人間だなと思う。でも思う事を止める事はできない。人生は遭難する。遭難してる。

「女っ気なし」
海辺の田舎町、バカンスにきた女の親子と、そこに住む男の話。
マッチョイズムのない男、親切な男、自分の感情を上手く言葉にできない男。
ある意味夢の様な話なのだよなと思いつつ、こうだったら良いのにと思わずにいられない話だ。優しくてマッチョイズムの無い、だけれど選ばれない人。とにかく人が良いが清潔感に欠け、見た目に無頓着。どこか私の友人達にも似てる所がある。慎ましやかに暮らし、たまに訪れるあれこれに一喜一憂する。人生の悲哀と美しい喜びが詰まっていた。そこかしこで笑いが起きた。
長閑な時間だった。


満ち足りた気持ちで映画館を出て、帰途に着いた。
平日しか間に合わないスーパーに出向いて、野菜を安くゲットした。節約という名のゲームに燃えているので安い食材を買うのが楽しくて仕方がない。自炊即ち節約だ。ほとんど旬のものしか買わない、それが安く済ませる方法だ。

ブロッコリーまた安くならないかなあということを思いながら帰宅した。